ただの平日と言われれば、ただの平日だと答えるだろう。何か特別な日なのかと聞かれれば、特別だとも答えることが出来る。そんな日。ふわふわと浮き足立つ気持ちが否定できない、そんな日を迎えた。
三限で授業が終わる今日、15時に正門前でスガさんと待ち合わせをすることになっている。お礼と言う名の、わたしへのご褒美。
何度も何度も時計を見るけれど、まだ短い針は1を示していて、待ち遠しさに気が狂いそうになった。時間って進むのこんなに遅かったっけ?はやく、はやく授業が終わらないかなぁ。 高校の時からずっと夢みてた、好きな人と放課後にデートをすること。本当のことを言うと制服デートが夢だったけれどそれはもう叶わない。けれどささやかな夢が何年か越しに叶うというのだからそわそわするのも仕方ないと思う。
「中島〜、配布物早く後ろに回してやれよ。」 「あっ、スイマセン」
先生の声でハッと我に返った。興味のある授業ですら心ここに在らず状態で受けてしまう。後ろにレジュメの束を回して、ぱらぱらと自分のそれを捲っていく。先生が何度か言ったところはきっとテストに出る、赤ペンを握りしめて書き込みながら時間が進むのを待った。ああ、さっき見た時から10分しか時計が進んでない。
◇◇◇
「スガさん、待ちましたか?」 「いや、全然。今来たとこ」
約束の時間の15分前に正門前に着いてしまったのに、そこには人影があった。近づいて見るとやっぱりそれはわたしと待ち合わせをしている人物で。急いで駆け寄って声をかけたけれど、当たり前のように待ってないと言うのは予想出来ただろう。
ふわりとスカートを翻しながら彼に駆け寄ると、少しだけ目を丸くしていた。 普段着なんてあまり見せる機会はなかったけれど、いつもパーカーにショートパンツといったボーイッシュな感じだったり、スカートを履いていてもジーンズ生地だったり、こんな女の子らしい格好はあまりしていなかったはず。 今日のためにかわいい格好をしようと意気込んできたのだけれど、それがバレてしまったような気持ちになって、ふわりと舞うスカートが少し萎んだ気がした。
「……変、ですよね、こんな格好普段しないし」
こう言ったって、彼は絶対に「変なんかじゃあないよ。」って答えることはわかっている。 それなのに言葉を強請るように問いかけるわたしはずるい女だろうか、そう思うだろうか。
「……かわいいよ、中島」 「へっ…!?」 「いつもの格好もすきだけど、今日の服もかわいい。」
自分でそう言わせるように仕向けたも同然。それなのにむず痒くなるような言葉の羅列に耳まで赤くなるのがわかる。 行くぞ、そう言ってそそくさと歩き出してしまうスガさんを慌てて追いかける。スガさんの耳も心なしか赤く染まっている気がしたけれど、それは都合の良い妄想かもしれない。
「スガさんに褒めてもらいたくて、潔子さんと仁花ちゃんに選んでもらったんですよ」 「えっ…?」 「スガさんの私服も、素敵です。」
やられっぱなしじゃ悔しいから、わたしも言ってやろう、そう思って声に出した。振り向いたスガさんの顔は驚きに満ちている。
◇◇◇
「スガさん、カフェとかすきなんですか?」 「まあね。でもあんまり入ることないから頻繁に行くわけではないよ。甘いものより辛いもの食べることが多いしなぁ」
いつか彼氏が出来たらこういうところに行きたいなあ、とぼんやり考えることが楽しかった。それを実現できる日が来るとは思ってもみなかったけれど。
目的地に到着し、店の中に入る。木を基調としたデザインの店内は派手ではないのに可愛らしい雰囲気で、人気の理由がわかる。周りをぐるりと見渡すと女の子同士かカップルで来ているお客さんばかりで、自分たちは周りからどのように見られているのだろうか、そう考えてしまう。
「すごいかわいい……」 「中島はこういうカフェすき?」 「はい、すきです…すごい、ケーキもある……!」
ショーケースに並んだキラキラと光るケーキたち。そのどれもが美味しそうに見えて近寄ってみた。甘いものに目がないのは女子特有のものなのか、スガさんは少し離れた位置で待ってくれた。
「スガさんと一緒にカフェに来てるなんて、夢みたいです」 「そうか?」 「高校は1年間しか一緒じゃなかったし、部活があってそれどころじゃなかったですもんね。大学も同じで、うれしいです」 「……そんなの俺もだよ」
お世辞かもしれない。そう思うことだってあるけれど、もしも彼の言葉が本心ならば。考えても正解は出ないけれど、考えるのは自由だ。こうやってわたしと同じ時を過ごしてくれていることが嬉しいのはわたしだけでは無ければ良いのに、そんな淡い期待がふわふわと脳内を占めていった。
注文を済ませて他愛もない話をする。大学での履修の様子、サークルはどうしたのか、友達は出来たか。 どうでもいい会話が弾む相手が一番長続きするよ、そう言った高校時代の友人は今もそういった相手と関係が続いているのだろうか。どうでもいい会話、気負わない会話、苦痛ではない沈黙。そういった点では高校時代からスガさんとの会話に困ったことはないような気がする。 「サークル入らないことにしたんだな。」 「もう、前の飲み会で懲り懲りです…」 「ははっ、その方が良いよ。俺もその方が安心だわ。」
安心、に込められた意味が透けて見えて仕舞えばわたしのこの浮足立つような期待は地に足をつけてくれるのだろうか。
その時、はっと頭の中に今日の目的が過った。
「あっ、パーカー。」 「俺が貸してたやつ?」
わたしは確か、彼に借りたパーカーを洗濯して綺麗に畳んだ。そしてそれをアパレルショップでもらえた紙袋に詰めて、お礼にケーキ屋さんで買ったクッキーを一緒に入れた。その記憶は確かにある。 なのに手元にその紙袋は存在しなかった。
「玄関に置きっ放しだ……」 「ははっ、べつにいつでも良いよ。いつでも会えるべ」 「えっ、ほんと、ごめんなさい!何のために今日予定空けてもらったんだよって感じですよね!?なんであそこに置いたんだろう、朝のわたしの阿呆……!」
忘れないように目につく所に置いたつもりだったのに。わたしはどこまで今日のことにうつつを抜かしていたのかを思い知らされた。
「またメシ行こうよ。返してもらうのそん時で良いし。」
ついさっき運ばれて来たケーキとコーヒーに手をつけようとしたところでそんなことを言われたもんだから、フォークをカタンと音を立てて机の上に落としてしまう。震える手であたふたとしながらもお皿の上に置き直したけれど、わたしの顔に集まる熱は引かなかった。
「えっ、また、ですか?」 「いやじゃなければで良いけど。予定合わないなら大学で貰いに行くわ。」 「ひま!ですよ!予定合わせます!!」
さー、ケーキ食うべ!そう言いながら彼は美味しそうにケーキを頬張り始めた。 また次も会える。それだけのことなのに。ふわふわと心に温かい何かが広がるのがわかる。
「中島、この後なんか予定ある?」 「ないです!」 「じゃあそのへんフラフラ歩くか」
駅チカのショッピングモールに行っても良いし、そのへんの商店街の雑貨屋を回っても良いし、中島の好きなこと教えてよ。そんなことを言われて平然としていられる方がおかしいと思う。 ケーキの甘さが残る口の中と同じくらい、脳内が糖分に満たされるような感覚を得る。心地よさに酔いそうだ。
◇◇◇
スガさんとの初デートは、楽しかった。楽しいのひとことで片付けてしまうのが惜しいくらい。ふわふわしている、そう、そんな感じ。うまく伝えきれないこの気持ちをわたしは持て余している。
かわいいカフェに行ってそのあとショッピングモールを歩いて雑貨屋を覗いた。すきなキャラクターのキーホルダーが置いてあって、これすきなんですと言うとスガさんもすきなキャラクターだったみたいで、ケータイにはそのキャラを模したストラップがついていた。 細やかな共通点ですら見つかるとここまで嬉しいものなのだと驚いたものだ。
中島と一緒にいるの気楽で良いな、この帽子お前に似合うと思う、ほらやっぱりかわいい、このクマのぬいぐるみの顔ちょっと中島に似てねえ?。スガさんと話したこと、掛けてもらえた言葉は全部覚えている。ふう、と大きく息を吐いて自分の温もりきった気持ちを落ち着けた。
「……ふーん、『中島、中華すき?美味しい麻婆豆腐食べに行こう。』だって!え、めっちゃ良い感じなんじゃない!?」 「う、うるさい!ただわたしがパーカー返せてないから……ご飯行きたいですって言っただけで……」 「でも嫌いな後輩とは二人でご飯なんて行かないよね?」
食堂で仁花ちゃんとお昼ご飯を食べながら近況報告をしていた。スガさんの声真似をしながらわたしのスマホ画面に映る文字を読み上げた彼女は今日も明るく元気だ。2人で恋愛に関して話すところはわたしも女子だなあと感じる部分。 仁花ちゃんはにこにこしながらわたしのケータイ画面をまた覗く。恥ずかしくなって画面を急いで真っ暗にした。隠さなくても良いのに!そんな言葉が耳を掠めたけれど気づかないふり。
「めっちゃ良い感じで心配して損したよ……」 「わかんないじゃん……だってスガさんだよ?あの優しいスガさんだよ!?スガさんの周りにはかわいい女の子きっとたくさんいるだろうし、何よりあの美しい潔子さんの近くに3年間も居たんだよ!?わたしなんて霞のようだ……」 「色メガネ色メガネ」
潔子さんの傍にいたら誰でも霞むよ!という仁花ちゃんのフォロー(になっているかは置いといて)が耳を通り抜ける。手が止まっていたため箸を再び動かしながら中華料理を食べに行くことを考えると、仁花ちゃんに言われたからではないけれど少し良い感じなのでは?と浮かれ始めた。 今日のAランチは豆腐ハンバーグ。ヘルシー志向の方が痩せそうだからという理由で唐揚げ定食を我慢したのは、もっと可愛い綺麗な見た目になりたいと思ったからだ。
「ワンピも似合ってるって言われた?」 「え、」 「昨日着てたじゃん!一緒に買いに行ったやつ」 「かわいいって、言われたよ…お世辞かな!?」 「菅原さんはお世辞でそんなこと言わないと思うよ!またお買い物行こうね!」
ご馳走さま、と箸を置いたその時に、仁花ちゃんがニヤリと笑う。今の行動のどこに笑う要素が?と不思議に思うと、後ろから肩をポンと叩かれた。
「よ、中島と谷地。ご飯中だった?」 「スガさん……!?」 「菅原さんお疲れ様です!あと、及川さん?」 「覚えてくれてるの!?烏野マネちゃんズ!!嬉しいなあ〜〜」
声をかけて来たのは、スガさん。あと、誰だっただろうか。烏野マネちゃんズと呼んでくる人が、どこかに居たような、居なかったような。
「あ、思い出した、飛雄の人。」 「誰が飛雄のだ!失礼だなぁもう」 「影山くんの先輩だった、青葉城西の及川先輩だよ、春乃ちゃん!菅原さんとお友達だったんですね!」 「スガちゃんとはゼミが一緒なんだよ〜!ね〜!」
ルンルンという効果音が見えそうな彼はわたしのとなりに腰を下ろした。やけに距離が近いのはこの人の特徴なのだろうか。スガさんはその前の席、仁花ちゃんの隣に腰を下ろした。そんな些細なことでもいいなあと感じてしまう。
「ねー、烏野マネちゃん。春乃ちゃん?」 「中島です。」 「かわいい顔して釣れないなあ、今後も会うかもしれないしよかったら連絡先教えてよ。」 「だめ。」
面倒なので嫌です、と声を出そうとした時に遮るように聞こえた声は、焦がれているあの声だった。
「中島が可愛いのはわかるけど、及川はだめ。な?」
そう言ってわたしの目を捉えるから、顔がこれでもかというほど熱くなってしまう。ふわりと笑うスガさんの表情はいつもとたいして変わらないのに、その一言に心が揺さぶられて止まらない。
「ご、ごちそうさまでした!!!スガさんまた連絡いれますね!さようなら!!!!」 「待って春乃ちゃん!菅原さん及川さんお先に失礼します!」
これ以上この空気の中にいたら心臓が壊れてしまう。わたしは食器を片付けるのも疎かにしたまま走り出してしまった。次の授業はなんだっけ、そんなのもうどうでもいい。すっかり頭から抜け落ちて忘れてしまった。わたしの頭の中にはスガさんの言葉しかない。 後で仁花ちゃんに食器片づけといたよ、と言われて謝り倒した。お詫びに自販機でジュースを一本おごり、今度のスガさんとのお出かけも報告する約束を取り付けられてしまった。
「スガちゃん、あの子のこと」 「うるさい黙って及川」 「えーー、じゃあ俺狙うよ?」 「だめ。俺が頑張ってるところだから邪魔しないで」 「ほら、好きなんじゃん」 「……本人に言ってもないこと、他の人に言えるかよ」
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