「明日からこれをかけろ」とセブルスが眼鏡を渡してきたのは、ホグワーツに入学する前日の夜のことだった。
「なんでかけなきゃいけないの?」
「理由は言えないが、とにかくかけて学校に行け」
「えー、私眼鏡いや」
「お前の好き嫌いなど知らん」
「……えー」
 セブルスは頑固だ。こうと決めたら揺らがない。なぜ眼鏡をかけなきゃいけないのか、疑問だったけれど、セブルスがそうしろと言うならそうしないといけない。
「……お風呂のときもかけなきゃいけないの?」
「……風呂と寝る時はいい。それ以外の時は必ずかけろ」
「かけなかったら?」
「お前の入る寮を減点する」
 そこまで言うのなら、眼鏡をかけるしかなくなる。たったそれだけの理由で寮が減点されたくもない。ルナは従うことにした。だからホグワーツ入学当日の朝、きちんと眼鏡をかけてキングス・クロス駅に向かった。
 セブルスが一緒に行くと言ったけれど、ルナはもう一一歳だ。一人でマグルの電車にも乗れる。申し出を断って、カートを押しながら一人、九番線と十番線の間の壁を目指す。ホグワーツ特急に乗る方法はセブルスから聞いていたが、さすがに壁にぶつかる勢いで進むのは気が引けた。誰か先に行ってくれれば行けるのにな、と隅の方に寄って人々を眺めていると、自分と同じようにトランクをカートに乗せている赤毛の家族を見つけた。マグルたちが行き交う中、次々と壁に突進していく。赤毛の人たちとくしゃくしゃの癖毛に眼鏡をかけた男の子が通り抜けたあと、ルナも後に続いた。
 鮮やかな緋色の機関車が見えた。これがホグワーツ特急。ルナは感動しながら席を探した。人混みをかき分けながら歩いていると、最語尾の車両に空席を見つけた。先程先にホームへ行った癖毛の男の子のところだ。重いトランクを押し上げ、コンパートメントの戸を開ける。
「ここ、空いてる?」
 窓の外を見ていた男の子は、はっとこちらを見た。そして何やらじっと自分の顔を見て、それからかすかに首を傾げた。
「ん? なにか顔についてる?」
「ああ、いや、なんでもないんだ。空いてるよ、どうぞ」
「ありがとう」
 彼の向かいに腰掛ける。外を見れば、癖毛の男の子と一緒にホームへ向かっていた赤毛の家族たちが話していた。「ハリー・ポッター」という言葉が聞こえてくる。もしかして。
 ルナはそっと向かいの男の子を盗み見た。先程は気づかなかったけれど、額に稲妻型の傷跡を見つけた。この子が、ハリー・ポッター。生き残った男の子。あの有名人が目の前に座っていることが信じられなかった。自分と同い年だったのだ。ルナはなんだかそわそわして、たっぷりとした髪を手で梳かした。
 やがて機関車は動き出した。カーブを曲がり、家々が窓の外を飛ぶように過ぎる。
 ふとコンパートメントの戸が開き、赤毛の少年が入ってきた。
「ここ、空いてるかな?」
 彼はハリーの隣を指さした。
「他はどこもいっぱいなんだ」
 ハリーは頷き、少年は腰掛けた。
「おい、ロン」
 赤毛の双子が来て言った。
「俺たち、車両の真ん中あたりまで行ってくる――リー・ジョーダンがでかいタランチュラ持ってるんだ」
「わかった」
「ハリー、自己紹介したっけ? 俺たち、フレッドとジョージ・ウィーズリーだ。こいつは弟のロン。じゃ、またあとでな」
「それじゃ」とハリーとロンは答え、双子は戸を閉めて出ていった。
「君、ほんとにハリー・ポッターなのかい?」
 ロンが言った言葉にハリーは頷いた。ハリーが前髪をかきあげて傷を見せると、ロンはまじまじとそれを見つめた。
「それじゃ、これが例のあの人の――?」
「うん、でも何も覚えてないんだ」
「何も?」
「そうだなあ――緑色の光が沢山あったのは覚えてるけど、それだけ」
「わお」
「君の家族はみんな魔法使いなのかい?」
「ああ――うん、そうだと思う。母さんのまたいとこだけが会計士だけど、俺たち、その人のことを話題にしないようにしてる」
「それじゃ、君はもう魔法をいっぱい知ってるんだろうなあ……君は?」
 唐突に話を振られて、ルナは驚いた。ハリーに話しかけられるとは思っていなかった。
「私は……一緒に住んでる人が魔法使いなの」
 セブルスがホグワーツで働いているとは言いたくなくて、そこで話をやめる。ロンは先程のハリーと同じようにこちらをじっと見ていた。
「……やっぱり、私の顔になにかついてる?」
「いや、ちょっと、君の顔がぼやけてるように見えるというか……何でだろう?」
「君もそう見えるかい?」
 顔がぼやけている? 何故だろうと考え、ルナはすぐに思いついた。セブルスからもらった眼鏡だ。どうしてセブルスは自分の顔をぼやけさせたのだろう。もやもやしたけれど、ルナは眼鏡を外さなかった。まだ寮には入っていなかったが、セブルスとの約束なのだから仕方がない。
「……たぶん、私の存在が薄いのよ」
 そう言って誤魔化した。幸い二人は深くは聞いてこなかった。三人でハリーの買ったお菓子を食べながら話したり、ハーマイオニーという女の子が尋ねてきたり、ハリーとロンがマルフォイという男の子と喧嘩しようとしたりしているうちに、外はすっかり暗くなりホグワーツに到着した。
「一年生! 一年生はこっち!」
 大きな男の人がホームに立っていた。
「足元に気をつけろ、いいか! 一年生ついてこい!」
 険しい狭い道を、彼について皆で降りていった。やがてホグワーツ城が見えた。大小様々な塔が並び立ち、窓が星のようにきらめいていた。
「五人ずつボートに乗って!」
 岸辺にあった小さなボートに、ルナはハリーとロン、そしてハーマイオニーとネビルとで乗り込んだ。
「よーし、では――進めえ!」
 ボートは一斉に動きだし、湖を進む。対岸につくと、皆は石段を登り、巨大な扉の前に集まった。
「みんな、いるか? おまえさん、ちゃんとヒキガエルを持っちょるな?」
 大男は大きな握りこぶしを上げ、城の扉を三回叩いた。扉はすぐに開き、エメラルドグリーンのローブを着た、黒髪の魔女が現れた。いかめしい顔つきをしていて、なんとなくセブルスが思い起こされた。
「マクゴナガル先生、一年生のみんなです」
「ご苦労様です、ハグリッド。ここからは私が預かりましょう」
 先生の後に続いて、石畳のホールを横切ると、ホールの脇にある小部屋に案内された。そして、マクゴナガル先生は口を開いた。
「ホグワーツへようこそ」
 彼女は組み分けがいかに大切なものかを話した。一人一人の行いが寮の得点にも減点にもなる。
「準備が出来たら戻りますので、静かに待っていてください」
 そう言って、彼女は部屋を出ていった。
「どうやって寮を決めるんだろう?」
 前にいたハリーが、その隣にいるロンに尋ねる。ルナは組み分け帽子が組み分けることをセブルスから聞いて知っていたが、何も言わなかった。こういうものは楽しみにしておくのがいい。隣に立つハーマイオニーが呪文を早口で呟いていても、ルナは何も言わなかった。
 戻ってきたマクゴナガル先生について大広間に入る。そこには何千もの蝋燭が浮かび、四つの長テーブルを照らし出していた。上座にはもう一つテーブルが置かれ、セブルスの姿が見えた。ルナは手を振りたかったが、ここは学校でセブルスは教師だ。我慢して歩く。中心に座っている、長い髭を蓄えた男性がダンブルドア校長なのだろう。セブルスから時々彼の話は聞いている。どんな人なのだろうとルナは想像していたが、その想像より彼は遥かに威厳があった。
 組み分け帽子は想像していたよりもボロボロで、汚らしかった。さすがにホグワーツが開いた時から組み分けをしているのだから、年季が入っている。帽子の歌が終わると、「アボット、ハンナ」が呼ばれた。
 こうして名前を呼ばれていくのだと知り、ルナの気持ちは沈む。ルナはセブルスの養女だ。苗字もホグワーツの皆に知られてしまう。セブルスの義娘であることに何の後ろめたさもなかったが、学校の皆にそのことを知られたくなかった。セブルスの義理の娘であることを抜きにして、ルナは一人の人間として周りに見てもらいたかった。
 ハリーとロンはグリフィンドールに入った。二人がグリフィンドールに入ったことで、自分もグリフィンドールに入りたいという気持ちが大きくなっていた。セブルスはスリザリン一択だと言っていたが、スリザリンになったマルフォイは嫌な奴だった。
「スネイプ、ルナ!」
 名前が呼ばれる。途端に囁き声がハリーの時と同様に広がった。ルナは聞かないようにしながら、帽子を被った。
「ふむ」と帽子は言った。
「頭がいい、才能もある。勇気にも満ち溢れている――どこに入れたものか」
「グリフィンドールがいい」とルナは思った。
「グリフィンドールがいいのかね? レイブンクローも捨て難いが……では――グリフィンドール!」
 帽子はルナの意思を尊重してくれた。グリフィンドールのテーブルへ走る。まず監督生のパーシーと握手する。双子の兄弟は最初はぽかんとしていたけれど、やがてにやりと笑って言った。
「君、スネイプの娘なのかい?」
「うん、義理のね」
「こりゃ面白いことになりそうだ!」
 不安になってセブルスの方を見る。彼は渋い顔をしていたけれど、目を合わせて頷いてくれた。ルナはほっとして隣にいたハリーとロンの方を向く。
「よろしくね!」
「うん、よろしく」
 ダンブルドアの挨拶とともに目の前にある大皿が、ローストビーフやヨークシャープディングなどでいっぱいになった。ルナはそれぞれを少しずつ取り分けて食べた。どれも美味しかった。
 おなかいっぱいになると、大皿の料理は消え、今度はデザートが現れた。デザートは別腹。ルナはこれもそれぞれ取って食べた。
 タルトを食べているうちに、話題は家族の話になった。
「うちはダブルなんだ」
 シェーマスは言った。
「父さんはマグルで、母さんは結婚するまで魔女だって言わなかったんだ。父さんは随分驚いたみたいだよ」
 皆が笑った。
 反対側ではパーシーとハーマイオニーが授業について話していた。ハーマイオニーは本当に勉強に熱心らしい。
「君の義理のお父さんは、ここの先生なのかい?」
 ハリーに尋ねられる。いずれバレることなのでルナは正直に頷いた。
「うん、そう」
「どこに座ってるんだい?」
 ルナは上座を手で示す。
「そこの、ターバン巻いてる先生と喋ってる人だよ」
「へえ……」
 ハリーはそちらを見た。そして偶然セブルスもこちらを見た。瞬間――「痛っ!」
 ハリーは手で額を覆った。
「どうしたの?」
「な、何でも……」
 ルナは不思議に思ったが、深く聞かないことにした。
 デザートも消えてしまうと、ダンブルドアが再び立ち上がった。広間中が静まった。
「えへん――全員よく食べ、よく飲んだことだろう。二、三言新学期を迎えるにあたり皆に話しておくことがある」
 禁じられた森には入らないように。授業の合間に廊下で魔法を使わないように。寮のクィディッチチームに入りたい者はマダム・フーチに連絡するように。
「最後に、とても痛い死に方をしたくない生徒は、四階の右側の廊下には入らないように……では、寝る前に校歌を歌うことにしよう!」
 校歌を歌い終えると、ダンブルドアは言った。
「さあ諸君、就寝時間だ。駆け足!」
 グリフィンドールの一年生は、パーシーに続いて大広間を出、大理石の階段を上がった。廊下の突き当たりにピンクのシルクドレスを着た太った女性の肖像画が掛かっていた。
「合言葉は?」
「カプート・ドラコニス」パーシーが唱えると、肖像画は前に開き、丸い穴が現れた。談話室を抜けて女子寮へ向かう。寮には深紅のビロードのカーテンが掛かった、四柱式の天蓋付きベッドが五つ置かれていた。トランクは既に届いていたため、皆パジャマに着替えてベッドに潜り込んだ。
「明日から授業ね!」
 カーテン越しにハーマイオニーに話しかけられる。
「そうね」
「私、楽しみだわ! 魔法を学ぶことが出来るなんて――」
 ハーマイオニーの早口を聞きながら、ルナは相槌を打とうとしたが、その前に眠ってしまった。
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