ルナは鳥の鳴き声で目を覚ました。鳥の鳴き声と言っても雀やヒヨドリのような、朝に似つかわしい軽やかな囀りではなく、見つけたゴミを仲間に知らせるためのカラスの鳴き声だ。ここ、スピナーズ・エンドは様々な生き物の掃きだめだ。汚れた川は異様な匂いを放ち、ゴミ捨て場は荒れ果てている。きっと普通の人ならこんなところで暮らせないと眉をひそめるだろう。けれどルナは、この淀んだ空気に物心ついたときから触れているため何とも思わない。それがルナにとっての普通だからだ。
 ルナはベッドから起き上がり、伸びをした。ガウンを着ようとして、今日が暖かいことに気づく。春はもう、すぐそこまで来ている。春が終われば次は夏。待ちに待ったときがやってくる。そのときを想像して笑みが浮かぶ。ルナはパジャマ姿のまま、スキップをしてリビングへ向かった。
「おはよう」
「おはよ」
 この家にはルナ以外にもう一人の人間が住んでいた。彼、セブルス・スネイプはテーブルに着き、日刊予言者新聞を読んでいる。キッチンではひとりでに泡立て器が卵をとき、フライパンは定期的に動いて、焼かれているウインナーを転がしている。
「……パジャマのまま部屋を出るなと何回も言っているだろう」
 セブルスは新聞から目を上げて言った。ルナはトースターから焼けたパンを取り出しながら言葉を返す。
「いいじゃん、家の中なんだし……はい」
 ルナはセブルスの方にトーストを置いた。もう一枚は彼の向かいに置く。いつもルナが座る定位置だ。マーガリンも冷蔵庫から取り出したところで、ちょうどフライパンがウインナーとスクランブルエッグを皿に盛った。その皿も持ってテーブルに置けば、セブルスは新聞をたたんだ。ルナもテーブルに着く。
「いただきます!」
 ルナはフォークを持ち、ウインナーを自分の皿に取った。セブルスはトーストにマーガリンを塗っている。
「……今日も遅くなるの?」
「そうだな……九時までには帰ろうとは思うが」
 セブルスはホグワーツ魔法魔術学校に勤めている。魔法薬学を受け持つ彼は、学期末のテストの準備で忙しかった。ルナはセブルスが教師をしている姿を見たことはないが、きっと家の中でのセブルスのように厳格なのだろうと想像できる。その想像が当たっているかはこの夏にわかる。
「私のいない間はちゃんと教科書を読んで予習しておけ」
「言われなくとも」
 先週末、セブルスの休みの日に、ルナたちはダイアゴン横町に出かけ新学期の準備をしていた。そこで買ってもらった教科書は、もう何度も読み返している。
「でも、昔からセブルスのいないときにはセブルスの本を読んでたから、なんだか教科書の内容が簡単に感じるわ」
 つい本音を言ってしまえば、セブルスは眉根を寄せた。
「その傲慢はやめろ。何事も基礎が大事だ、一から学ぶ姿勢でいろ」
「……はーい」
 ルナとセブルスは血がつながっていない。昔はセブルスを父親だと思っていて、気まぐれに「お父さん」と呼んでみたところ、セブルスはぎょっとしてその間違いを正した。だとすると、本当の親は誰なのか。ルナは一時期気になっていたものの、今では考えるのをやめた。セブルスに聞いたとて教えてくれないし、今セブルスと暮らしているこの状況だけで十分幸せだったからだ。セブルスは厳しいけれど、一緒にいて居心地が良い。それはずっと共に暮らしているから、というのもあるし、ルナの知る大人がセブルスしかいないから、というのもあるのだろう。
 朝食を食べ終え、皿を片付けていると、その間に支度していたセブルスが暖炉の前で言った。
「では行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
 セブルスは緑のフルーパウダーを暖炉に投げると、中へ入り、姿を消した。
 さて、長い一日の始まりだ。皿を洗い終わったルナは、とりあえず日課である掃除を始めることにした。お風呂場、トイレ、地下と掃除をしていき、ついでにセブルスの部屋も掃除してあげるかと扉を開ける。セブルスには、あまり自分の部屋に入るなと言われているけれど、この家はすぐにほこりが溜まるので定期的に掃除した方が良い。部屋が綺麗ならセブルスも喜ぶだろう。
 案の定、セブルスの部屋はやりがいがあった。パタパタと本棚の埃を無心ではたいていると、今まで見たことのない本があることに気づいた。「魔法薬学における毒の扱いについて」。気になるタイトルだ。きっと先週書店で買ったのだろう。ルナは手を止めてその本を抜き出した。闇の魔術に関する本は読むなと言われているが、それ以外の本は読んでもいいことになっている。抜き出したとき、はらりと何かが落ちた。写真だ。拾ってみると、そこには女の人が写っていた。こちらに向かってにこやかに手を振っている。自分と同じ赤毛。
「……綺麗な人」
 彼女は美しかった。高く通った鼻筋にアーモンド型の目。唇はゆるく弧を描いている。セブルスの知り合いだろうか。あとで聞いてみようと思い、写真を元に戻した。
 セブルスは朝言っていた通り、九時には帰ってきた。「おかえり」と挨拶し、ソファに腰掛けた彼の隣に座る。
「今日も特に何もなかったか?」
 何かあったときは暖炉からホグワーツのセブルスの部屋まで行ってもいいことになっているのだが、セブルスは心配性なのか、毎日聞いてくる。
「うん、なかったけど……あのね」
 ルナは写真の女性のことを聞いてもいいか躊躇した。もし、彼女がセブルスの特別な人だったとして、その領域に踏み込んで良いのか不安だった。だって一緒に住んでいるとは言え、セブルスとルナは本当の家族ではない。指を合わせてどうしようかと考えていると、セブルスは言った。
「何だ。何かあったらすぐに言えと言ってるだろう」
 ルナは話すことにした。
「……今日、セブルスの部屋に掃除しに入ったんだけど、本棚に新しい本があるのを見つけてそれを抜いたの。そしたら写真が出てきて――」
 セブルスの顔色は変わらなかった。ルナは安心して言葉を続ける。
「女の人の写真……あの人は、セブルスの知り合い?」
「……ああ」
 セブルスは短く答えた。
「綺麗な人ね……私もあんな風になりたい」
 そうこぼすと、セブルスは鼻で笑った。
「努力したところでなれるようなものではないだろう」
「何それ、馬鹿にしてるでしょ!」
 ルナはセブルスを軽く叩いたが、セブルスはまだ笑みを浮かべている。セブルスが笑うのは珍しい。写真の女性とセブルスがどんな関係なのかは知らないし、聞こうとも思わないが、きっと大事な存在なのだろうとその柔らかい表情からわかった。
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