※現パロ
シ/ド「プロポーズ」イメージです



『今夜 部屋まで迎えに上がります』

 私の住んでいるアパートの扉に付属している郵便受けに入っていたメモにはそう書いてあった。それに消印は押されておらず、手紙でも何でもないこの紙切れは送り主が直接この郵便受けに投函したものなのだろう、と予測がついた。

 正直、気持ち悪いと思った。まず、私の郵便受けにその手書きの文字の書かれた紙切れを直接投函する、という行為自体に嫌悪感を覚える。誰か知り合いなら、メールなり電話なりで直接言えばいい。知り合いでも何でもない人物の行いであるのならば、それはストーカー行為に相違ない。誰かが私の住んでいる部屋を特定して、わざわざ扉の前までやってきて、そしてこの紙切れを投函した。想像しただけでぞっとする。寒くはないはずなのに、ぶわりと鳥肌が立った。



 ***



「何か私の部屋に変なメモが入ってたんだけど……」

「うわ、何これ?」

「私にも分からないよ……」

「ストーカーとか? 戸締りはしっかりしておけよ」

「…………うん」

 ――私の部屋に泊まりに来てはくれないんだ。恋人に今朝のメモ書きの事を相談すると、彼は「戸締りはしっかり」と、ただそれだけ言った。今日は家に帰らないほうがいい、とか、心配だから泊まりに行く、とか、そういう事は言ってくれないのだろうか。彼に対して、ほんの少しだけ不満が湧いた。

「何かあったら連絡しろよ。すぐ行くから」

 何かあってからでは遅いのに。そう思ったけれど、その不満を伝える前に彼は別の話題を出してきたので、私は不満をぐっと飲み込み、口をつぐむ。どうしてきちんと私の話を聞いてくれないのだろう。

「……気にしすぎないほうがいいって。イタズラかもしれないんだし」

 不満が顔に表れていたのか、彼は取り繕うようにそう言った。イタズラ、そう言われればそんなような気もしてきた。これが本物のストーカーだったらきっと、以前からゴミが荒らされていたり、不審な人影を見たりしていただろう。そんな前兆はなく、ただ謎のメモ書きが郵便受けに投函されていただけ。それならば、イタズラの可能性のほうが高いのではないだろうか。
 ――そうだ、きっとあのメモ書きは悪趣味な誰かのイタズラに違いない。別に私がターゲットだったわけではなく、きっと誰でも良かったのだ。



 ***



 夕食も食べ終わり、そろそろ風呂の仕度でもしようかと思っていた頃、ピンポン、と部屋のチャイムが鳴った。誰だろう、そう思い扉を開けようとしたが、寸でのところで今朝のメモ書きを思い出し、慌てて手を引っ込める。もしあれがイタズラじゃなかったら、いまチャイムを鳴らした人物は件の危険人物なのかもしれない。

 ドアスコープから外の様子をうかがうと、そこには煤色の髪をした男が立っていた。スーツを着て、いかにも会社員、というような見た目をしている。魚眼レンズのように歪むドアスコープ越しでも、その顔が整っている事は分かった。

「……どちら様ですか?」

 あんなに見た目の良い男が今朝のメモ書きの送り主なわけがないだろう。そう思い、ドア越しに声をかける。あの顔なら恐らく女なんてより取り見取りだ。わざわざ私に何かするとは思えない。きっとセールスか何かだ。それか、このアパートに越してきた人物で、近隣の住民に挨拶をしに来たとか。

「俺は長谷部、と言います」

「……はあ」

「扉を開けてはくださらないでしょうか?」

「えっと、ご用件は?」

 彼は長谷部、と名乗った。しかし、そう名乗るだけで用件は一切言っていない。不審なメモ書きが投函されていた今日、何の用かも分からないのに扉を開けるだなんて迂闊な真似はできない。

「直接あなたの目を見て言いたかったのですが」

「……開けられません」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「……あなたをお慕いしています。迎えに来ました。扉を開けてください」

 はあ、とひとつため息をついて、男は仕方なく、といった風に答えた。その言葉を聞いて、どっ、と心臓が大きく跳ねる。扉の前に立つ男は「迎えに来た」と、間違いなく確かにそう言った。

 ――こいつがあのメモ書きの送り主だ!

 その事実に気付き、ぶわ、と汗が噴き出す。どうしよう、どうしよう、どうしよう! 会話をしてしまった時点でもう居留守は使えない。外に逃げ出しても、男と鉢合わせするだけだ。跳ねるように部屋の奥へと引っ込み、携帯電話を握りしめる。そうだ、恋人を呼ばなければ! きっと彼ならすぐに来てくれる。彼が来てくれるまでの辛抱だ。早く彼を呼ばなければ、早く……。
 恐怖で指はひどく震え、携帯のロックを解除するパスコードを何度も押し間違える。間違えるたびに、早く解除しなきゃ、と余計に焦りは増していく。焦りとともに指の震えも増し、悪循環に陥っていると頭の片隅では理解できるのだが、ここで冷静になれるほど私は強くはない。
 やっとの思いでロックを解除し、さあ彼に電話をかけよう、そう思った瞬間、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。

「素直じゃないのは昔と変わりませんね」

 そう言って男は勝手知ったる、という風に私の部屋へと入ってくる。部屋の隅で携帯を握りしめる私を見て、男は少しだけ眉をひそめた。

「あの男と連絡をとろうとしていたんですか? 奴にはもう近付かないでください。あなたが汚れてしまいます」

「ひっ……!」

 私に近付き、ひょい、と携帯を取り上げる男を私はただ見つめる事しかできなかった。奥歯がガタガタと震え、悲鳴を上げる事すらままならない。腰が抜けてしまって、立ち上がって逃げる事もできない。恐怖に直面した際、こんなにも身体が言う事を聞かなくなるとは思わなかった。
 ただ涙だけが溢れる。ボロボロと泣く私を見て、男はにこりと微笑んだ。

「泣くほど再会が嬉しいのですね! 俺もです。あなたとまたこうして触れ合える日を楽しみにしていました」

「や、やだ……ごめ、なさ、ごめんなさい……」

「いいですよ。あなたが来てくれなかった事は水に流してさしあげます」

 いつまででも、と言っておきながら待てなかったのは俺ですから。そう言って男は私の左手を取った。すり、と左手の薬指を撫でながら、慈しむように目を細める。

「出逢ってすぐに結婚……は世間体が悪いですかね。最低でも何回かは愛し合いましょう」

 まずは一回目、そう言って男は恐怖で固まる私に口付けた。その口付けを合図に、きっと地獄のような行為が始まるのだ。
ハネムーンはどこに行きましょうか、と、楽しげに言いながら男は私に覆いかぶさり、頬を撫でた。カラカラに乾いた口では悲鳴すら上げられない。抵抗しようと振りかぶった腕は男に絡めとられる。私の服に手をかけ、強引に剥いだ男は私の身体を見るなり、先ほどと一変してむっとした表情を浮かべた。

「あの男に身体を許していた事にまだ憤りを覚えます。正直許しがたい。……金輪際、俺以外の男に身体を許してはいけませんよ」

 首筋を撫で、そこに吸い付く。男の吸い付いた場所には覚えがあった。そうだ、確かこの前彼と――。

「たっぷり俺を刻み込んでさしあげますから。早く思い出してくださいね」

 そう言った男の口角はひどく吊り上がっていた。
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