※誰も幸せにならない




「あなたも俺を捨てるのですね」

 長谷部は至って冷静に、いつもと変わらぬ調子でそう言った。取り乱す事もなく、表情ひとつ動かさない。綺麗に伸びた背筋も変わらない。相変わらず美しい姿勢を保っている。

「直臣でもない奴に下げ渡したりしなかっただけマシでしょうか。まあ、あなたが俺を捨てる事に変わりはありませんが」

「す、捨てるなんてひとことも言ってな、」

「同じ事ですよ。あなたは俺を手放すのでしょう。人間であるあなたにとって、これは『別れ』なのでしょうね。でも、俺は人間ではありません。刀です。人間に使用される事でしか価値を示せない物です。主人を失った道具の気持ちが分かりませんか? 分からないでしょうね。俺にとっては、これは『別れ』ではなく『捨てられた』事と同義です」

「…………」

「良い道具とは、何があっても手放したくないと思えるような物の事だと俺は思っています。手放すという事は、それほど愛着がなかったという事なのでしょう。結局俺はあなたの『一番』にはなれなかったわけだ」

 はは、と自嘲気味に長谷部は笑う。その口調は、ずっと聞かされていた前の主への愚痴と同じものだった。まさか、私はいまこの瞬間、前の主と同列に並べられたのか?

「待って、だから私は長谷部を捨てようだなんて思ってない!」

「俺にとっては同じ事、と言ったのが分かりませんか?」

「……ッ、」

「審神者を辞めさせられるのでしたっけ。遡行軍が壊滅したから。あなたはご自分の役目を真っ当されたのでしょう。ええ、ご立派ですよ」

「……なに、その言い方」

「俺はあなたを褒めただけですよ」

「どうしてそういう言い方するの!?」

 長谷部の嫌味な物言いに、つい声を張り上げてしまった私を、長谷部は相変わらず冷ややかな目で見つめている。こんな風に言われたのは初めてだった。いつだって私に気を使って、いつだって私のためにと働いてくれていたのに! まさかこんな風に言われるとは思わなかった。いままでの忠臣ぶりは嘘だったのか。辞めないでくれ、と縋られる事はあれど、まさかこうもあっさりと切り捨てられるとは思わなかった。
 あまりの悔しさにじわ、と涙が溢れ出る。止めたくても、その涙は止まらない。硬く拳を握り締める以外に、抵抗する術を私は持ってはいなかった。

「わ、私の事好きなんじゃなかったの……」

「ええ、お慕いしていましたよ。俺の一番はあなたでした」

「じゃあどうして」

「あなたは俺に別れを告げたではありませんか。審神者を辞めた後、何らかの方法で俺をまた迎えに来てくれると言っていただけたのなら、俺は変わらずあなたを主と呼び、何年でも待ったでしょう。しかし、あなたが告げたのは別れだった」

「…………」

「俺は『迎えに来てくれるのならいつまででも待つ』とずっと言っていたはずですが」

「せ、政府の人たちがそんな事許すはずないじゃない……」

「あなたの命とあらば、敵が何であれ切り伏せるつもりでした」

「……そうやって逃げたとしても、政府の人たちに追われる事になるじゃない」

「あなたとなら地獄の果てまでお供するつもりでした」

「…………」

「世のすべてが敵にまわろうとも、俺だけはあなたの味方でいたでしょう。それだけでは足りなかったのですね」

「…………」

「俺はあなたがいればそれだけで良かったのに」

 ぼろぼろと溢れた涙が、正座している私の膝の上に落ちる。ぽつりぽつりと水玉模様の染みを作っていく。涙はもう止められそうにない。
 長谷部の語るその言葉が私に重くのしかかる。私はなんて思い違いをしていたのだろう。また会えたらいいな、なんて、私は「道具」である彼に対してなんて無責任な事を思っていたのだろう。
 役目を終えた道具を、ふたたびこの手に取る事などいままでした事なかったのに。どうして長谷部だけは例外だなんて思えたのだろうか。自分の浅はかさが恨めしい。

「俺はこの先もずっとあなたを忘れませんからね。俺を大事だ何だと言っておきながら、上からの命令であっさりと捨てたあなたを、俺は絶対に許しません」

 失礼します、と言い残して長谷部は部屋を出て行ってしまった。涙を流す私には一瞥もくれずに。

 ――もしも長谷部に「次の主」ができる事があるのなら、その時はきっと私の悪口も言うのだろう。
 いっその事、俺を捨てるだなんて許せない、と激昂でもされたほうがマシだった。

 好きの反対は無関心、とはよく言ったものだ。少しの嫌味を言っただけで私に対して何もしてこなかった長谷部が、とても遠くに感じる。もしもできるのなら、少し前の私に戻りたい。長谷部に憎まれるこのつらさより、政府を敵にまわしてする逃亡生活のつらさのほうが、何倍も、何十倍もマシなように思えた。
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