女中さんの話。名前変換あります






 私はあの人に恋するために生まれたのではないかしら、と思わずにはいられないほどにあの人が好きだった。だって声もお顔も身体も立ち振る舞いも、すべてが理想そのものなんだもの。愛しいあの人、長谷部さま。審神者さまが私を女中として雇ってくれて本当に良かった! 審神者さまは私と井戸端会議に興じてくれるほどお優しくて気さくなかたであるうえに、長谷部さまと出会わせてくれた。なんて素敵なことなのだろう。職場恋愛に興味なんてなかったけれど、長谷部さまならば良いかもしれない。ううん、きっと長谷部さまでないとだめなんだわ。だってこんなにも人を好きになったことなんてないのだから!



***



「…………何をしているんだ?」

「あっ、は、長谷部さま! すみません足が滑ってしまって……!」

 何もない廊下でうっかり足を滑らせてしまって、両手いっぱいに抱えていた洗濯物をぶちまけてしまった。長谷部さまに格好悪いところを見せてしまった。何でもそつなくこなす長谷部さまだから、「なんて鈍くさい女なんだ」と嫌われてしまうかもしれない。そうなってしまったらどうしよう! 私はきっと死んでしまうわ! そんな心配をする私の前に長谷部さまはひょいとしゃがんで散らばる洗濯物を拾い始めた。

「えっ、て、手伝ってくださるんですか……?」

「……口を動かす暇があるなら手を動かせ」

 そうぶっきらぼうに長谷部さまは言い放った。言葉こそ素っ気なくはあるけれど、でもなんて優しい人なのだろう! 長谷部さまのその優しさに胸がきゅうきゅうと締め付けられ、思わず涙が出そうになった。好きな人を見ることができただけでも一日中幸せでいられるのに、こうして話しかけられるどころか優しく手伝ってもらえて、幸せすぎてなんだか怖いくらいだわ。私、この人を好きになって良かった。だってこんなにも優しくて格好良い人なんて、この世にいない。本当に私は長谷部さまが好き。本当の本当に、この人を好きになって良かった。



***



 昼間の出来事のお礼を言おうと、私は長谷部さまのお部屋へと足を運ぶ。近侍のお部屋は審神者さまのお部屋のお隣で、こんな夜更けに向かうのは初めてのことだった。審神者さまのお話によるといつも夜遅くまで仕事をされているそうだから、お夜食を作ってみたのだけれど食べてくれるだろうか。食べてくれたら嬉しいなあ。
 しかし長谷部さまのお部屋には灯りはともっていなかった。もしかして寝てしまわれたのだろうか。でも審神者さまのお部屋は明るいからもしかしたら今日の報告でもしているのかもしれない。もしそうなら報告が終わるまで待ってみようかしら、と聞き耳をたててみる。小さな声ではあったけれど、長谷部さまと審神者さま、二人分の声が聞こえてきた。

「長谷部やめて、ちょっと待って……」

「だめです、もう待てません。なまえさまだって俺を好きでいてくれているのでしょう?」

「で、でも……」

「なまえさまに乱暴するような真似は決してしませんから」

 衣擦れの音とともに聞こえてくる会話はもしかして、もしかして「そういうこと」なのだろうか。長谷部さまと審神者さまは、そういう関係だったのだろうか。足が震えてしまって力を籠めないといますぐにでも崩れ落ちてしまいそう。じわりと涙が滲んで、呼吸が苦しくなる。どうして、どうしてあそこにいられるのは私じゃないんだろう。

「ああ、なまえさま……好きです、愛しています」

 いつもの凛々しい声ではなく、甘くとろけるような長谷部さまの声。私はこんな声聞いたことがない。目の前がぐらぐらと揺れていてきもちがわるい。この場に膝から崩れ落ちて大声をあげて泣きたい気分だ。でもそんな惨めなことしたくない。
 おぼつかない足取りで来た道を引き返す。転ばないように、崩れ落ちてしまわないように、涙がこぼれないように、上を見ながら廊下を進む。自分の部屋に帰ってからは涙が堰を切ったように溢れ出てきた。夜だから静かにしなきゃいけないのに口からは、ううう、と声が漏れてしまう。悲しい。昼間はあんなにも幸せだったのに。

 ふと自分の手に持っているお夜食の存在に気が付く。ぱくりと一口食べてみた。とてもしょっぱい涙の味がして、こんなにもしょっぱいものを長谷部さまにお渡ししなくて良かったわ、と思った。

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