燭台切視点



 主の部屋の前を通ったとき、家族からの手紙が届かない、家に帰りたい、さみしい、そう嘆く声が聞こえた。慰めに行こうかと思ったけれど、すぐに別の男の声が聞こえてきたので彼女の部屋へ入ることは躊躇われた。「ああ、主……お可哀想に」と言ったその声の主は長谷部くんなのだろう。

「あなたには俺がついていますよ。俺だけが、あなたの味方です。」

「うっうう……」

「俺だけは主のそばにいてあげますから」

 長谷部くんのその声はまるで幼子をあやすようでいて、また恋人に囁くような甘ったるさも含んでいた。長谷部くんのこんな声は誰も聞いたことないのではないだろうか。主に対するまるで媚を売っているかのような声と僕らに対する声とが違うことはいつものことだったけれど、これはいつもの声ともまるで違っていた。甘さと少しの粘っこさを含んだその声に、彼には申し訳ないけれど鳥肌がたってしまった。

「他の奴らは裏切る可能性がないとは言い切れませんが、俺だけは主の味方です」

 だから俺を主のおそばにおいてくださいね、と念を押す長谷部くんはここからは顔は見えないけれど、きっと嫌らしい笑みを浮かべているに違いない。僕らが彼女を裏切るはずがないのに。長谷部くんは酷いな。



***



 畑当番のあと、収穫した野菜を手に裏庭を歩いていたときのこと。肌を刺すような日差しが照りつけるなか、火を燃やす長谷部くんの姿が目に付いた。たき火でもしているのだろうか。こんなにも暑い時期に? 少しの違和感を覚え彼に近付く。彼がいま火にくべたのは政府とやらからの飾り気のない書類ではなく、前にあの子が見せてくれた「家族からの手紙」の封筒のように見えた。

「長谷部くん、なにしてるんだい?」

「……ッ!! ……なんだ、燭台切か」

 ビクリと盛大に肩を揺らした長谷部くんは僕の姿を認識し、ほっとしたように息を吐いた。

「なんでもない。……早くその手の持っているそれらを調理してきたらどうだ。主がお待ちだぞ」

「なんでもないわけないだろう? 長谷部くんが握ってるそれ、あの子宛ての手紙じゃないの?」

 長谷部くんの手に握られた封筒は落ち着いた柄のものだったり、華やかなものだったりと種類があった。恐らくあの子の家族や友人からのものではないのだろうか。彼女がもらった手紙を燃やすよう長谷部くんに頼むとは思えなくて、話題を変えようとした長谷部くんに再度問いただす。言い訳はできないと悟ったのか、長谷部くんは苦虫を噛み潰したような顔をして重い口を開いた。

「…………中身は俺が確認している。取るに足らない内容だったからこうして捨てているんだ」

「でもあの子はこの手紙を楽しみにしてるんじゃないのかい? この前も泣いてるところを見たけど」

「下手に読んで主が『家に帰る』なんて言い出したらどうするつもりだ」

「だからってさあ……」

「主には俺だけがいれば良いんだ」

 そう言って長谷部くんは手に持っていた封筒をすべて火のなかへ投げ入れる。色とりどりの封筒が黒く変色していき、やがてパチパチという音を立てて炭に変わっていった。

「この前、長谷部くんがあの子を慰めてたのって自作自演だったの? 長谷部くんは酷いな」

「……主に言ったら許さんぞ」

 長谷部くんに睨まれたところで別に怖くもないのだけれど、片手をあげて降参のポーズをとる。そんな僕の態度が気に入らなかったのか長谷部くんはチッと大きく舌打ちをした。

「ほどほどにしなよ。あの子の味方は長谷部くんだけじゃないからね」

「…………」

 なおもこちらを睨み続ける長谷部くんを尻目にその場をあとにした。ああ、お昼ご飯はなにを作ろうかなあ。

 その日の夜、僕の部屋に見慣れぬ燃料油と火打石があった。恐らく長谷部くんからの「余計なことを喋ったら焼く」という無言の圧力なのだろう。なんとなくむかついたので明日長谷部くんがこっそり集めている主の捨てた服やらちり紙やらのコレクション、すべてを掃除と称して捨ててやろうかな。

- ナノ -