※遊郭パロ。長谷部が男娼



「そこの貴女、どうかこちらへ来てください」

 ふらふらと吉原の街を歩いていると、とある男娼に話し掛けられた。そちらを見やると栗色の髪を丁寧に切り揃えたとても顔(かんばせ)の美しい男がこちらを真っ直ぐに見つめている。こんなに美しい顔をしているのなら張見世に出なくとも十分に客が入るだろうに、そう思ったら何となくこの男に興味が出てしまい、そっと格子へと近付く。

「貴方はそんなに美しい顔をしているのに、なぜ客引きなんてしているの?」

「決まっているじゃないですか、貴女様に俺を買っていただく為ですよ」

「嬉しい事言ってくれるね」

「ふふ、他でもない貴女の為ですから」

 そう微笑まれ思わず心臓がどきりと鳴った。どうせ世辞なのだろうが、美しい男に、貴女の為、なんて言われて悪い気はしない。沢山の人がいる中で私に声を掛けてきたのだ、これも何かの縁だとこの男と一夜を共にすることを決める。見世の商人に一声掛け、登楼の手続きを済ませると、美しい男は私の手を引き部屋へと導いた。








「貴女とこうして褥を共にできて、俺は本当に幸せです」

 長谷部、と名乗った男は猫の様に私の身体に擦り付き、うっとりと目を細めながらそう言った。情事の最中もずっと、嬉しい、好き、と呟き続けるものだから勘違いしてしまいそうになる。いや、それがこの男の手練手管なのだろうけれど。遊郭なんて、客に勘違いさせてナンボの商売だろう。するりと長谷部の髪を撫でると、花が咲いたようにぱぁ、と顔を綻ばせる。まるで私に触れられる事がこの上ない喜びだとでも言うように。

「俺はずっと街を歩く貴女を見ていたんです。貴女と褥を共にしたくて、貴女のお顔に触れたくて、意を決して張見世に出てみたんです。無視する事もなく、こうして俺を買ってくれて、本当に嬉しい……」

「ふぅん」

「あっ信じていませんね? これは世辞や口説ではありません。俺の本心です。本当に、本当に貴女と一緒になりたかったのです。こうして褥を共にしたいま、貴女は俺の運命の人だと確信しました。どうか俺の元に通ってください。もう貴女以外の客は取りたくありません。」

「そう。……じゃあ私が長谷部を身請けしてあげようか?」

 本当ですか、とこの男はいままで横たえていた半身を起こし、私の腕を掴んだ。先ほどまでのうっとりした顔を一変させ、真剣な面持ち、いやそれ以前に鬼気迫る何かを携えた表情でこちらを見詰める。ほんの甘言のつもりだった。長谷部が私を運命の相手だと言うから、長谷部の身代金を見世に払って、男娼を辞めさせ自分の物とする、所謂身請けをしてやろうかと言っただけなのだ。まさかこんなに真剣に受け取ると思わなかった。今更嘘だなんて言えなくて、もちろん本当だよ、と返してしまった。

「本当なのですね。その言葉に嘘偽りはないのですね? 嬉しい! ああ、早く俺を身請けしてください! そうと決まれば貴女以外の客はもう取りません! 早く俺を身請けしてください! いつ迎えに来てくれますか? それまでずっと待っています。いま此処で約束してください、いつ迎えに来てくれますか?」

 すっかり興奮した様子で捲し立てられ萎縮する。この男は本当に私が身請けしてくれると思い込んでいる。ひとまず、まとまったお金が用意できたらまた来るよ、とだけ伝えたら、約束ですよ、と私の小指と自分の指を絡めてきた。所謂指切りをして満足したのかその日はそれだけで帰してくれた。



 あれから二週間が経ってしまった。私としてはただの甘言のつもりだったのだ、もし本気にされていたら困る。そう思ったらなかなかこちらへ来られなかった。しかしあの声あの表情も贔屓の客を取るための演技かもしれない、そう思ったら長谷部の元へまた登楼する覚悟ができた。貯金は十分にある、もし本気にされていても大丈夫だろう、なんて心の片隅で思ってしまうあたり、私も愚かだと思う。男娼の世辞を間に受けて金を用意してしまうだなんて愚かな客以外の何者でもない。いや、素敵な金づるか。

「やっと来てくれたのですね! 俺です、長谷部です! お待ちしておりました!!」

 張見世の中から叫ばれこちらに周囲の注目が集まる。そんなに叫ばなくても聞こえている、大声を出してはしたないな。周囲の視線に耐えられなくて私は急ぎ足で見世へと入る。近付いてきた長谷部の腕を掴んで部屋へと駆け込んだ。

「どうっしてあんなに大声で叫ぶかな……」

「なかなかこちらへ来ていただけなかったから、嬉しくてつい……申し訳ありません」

 そう言って長谷部は弱々しく首(こうべ)を垂れた。よく見たらこの前より顔色が悪くないか? 若干やつれているようにも見える。ああ、やはりあの言葉を本気にしていたのだろうか。だとしたら申し訳ない事をした。悪かったと詫びようと長谷部の手をとった瞬間、何か違和感を感じた。あれ、指が、4本しかない?

「ああ、気付かれました? 指を切り落としたんです。貴女の為に。元来遊郭では客との誓いだての際には小指の第一関節から切り落とすのが一般的なのですが、俺の気持ちはそんなものではありません。約束の証に、指を丸ごと貴女に差し上げます。どうです? 俺の気持ちは分かっていただけましたか? 指を切り落とした所為で見世の連中に酷い折檻を受けてしまいまして、でもすぐに貴女が俺を身請けしてくれると思えば耐えられましたよ。三日三晩飲まず食わずでも、耐えられました。もちろんその後も貴女以外の客は一切とっていませんよ。何処ぞの馬の骨に指名されても断りました。その所為でまた折檻を受けてしまいましたがね。……それで? お金は何処に用意してくれているのですか? 今日は俺を身請けしてくれるのですよね?」

 一瞬目の前が真っ暗になった気がした。長谷部に捲し立てられた言葉の意味を反芻する。私の「身請けしてあげる」という甘言を間に受けて、この男は指を切り落としてしまったのか。私は何て取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。こんな事になるなんて思わなかった。指を切り落とす激痛を想像して全身に鳥肌が立つ。この男が恐ろしい。できるのなら二週間前に戻ってあんな事は絶対言わないようにと私を引っ叩きたい。しかしもう取り返しのつかない事態になってしまった。腹を括るしかないのだろうか。この思い込みの激しい男を身請けして一緒に暮らさねばならないのか。嫌だ、恐ろしい。

「どうしたんですか? まさか、あれは冗談だったなんて言いませんよね? そんな事は絶対に許しませんよ。俺は貴女の為に、指を切り落としたんです。指を、切り落としたんですよ。あの激痛が分かりますか? 冗談では済みません。貴女の一生をかけて償ってください。俺を、幸せにしてください。貴女のおそばに置いてください。誠心誠意尽くしますから。ね?」

 指を切り落としたのはお前が勝手にしたことだろう、そう思ったが先に身請けしてやると言ったのは私だ。全ての元凶は私なのだからやはり償うべきだ。これに懲りたら、今後は滅多な事は言わないようにしよう。
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