気付いてくれない


※モブ俺→場地くん
※振られ注意


 ――僕は場地くんが好きだ。
 彼の艶やかな黒髪が好きだ。彼の細く吊り上がった目が好きだ。口の端から覗く鋭い八重歯が好きだ。低い声が好きだ。乱暴な口調が好きだ。休み時間もずっと勉強しているのに成績が悪いところが好きだ。厚い瓶底のような眼鏡が似合っているところが好きだ。だけど学校にいるときと違って、普段は眼鏡もしていないし髪も結んでいないところが好きだ。実は暴走族なところが好きだ。口より先に手が出るような暴力的なところが好きだ。不良を束ねる隊長として頼り甲斐のあるところが好きだ。つまり僕は、場地くんのすべてが好きなのだ。

「うぅ……ッ、場地くん……ッ!」

 その声と共に僕の愛が吹き溢れる。はぁはぁと乱れた呼吸を整え、床に散ったそれをティッシュで拭う。あぁ、またやってしまった。僕の場地くんへの愛はいつしかもう止められない所まで来てしまった。彼を思い浮かべては己を慰める。その繰り返しだ。
 そろそろこの想いは成仏させたほうが良いのかもしれない。自分を慰める日々に虚しさが募る。愛おしい彼を汚す想像をする自分の愚かさにもほとほと愛想が尽きた。

 場地くんに告白して、この想いに決着をつけよう。

 愛の告白と言えば校舎裏だろう。そう思い、場地くんを呼び出すための手紙をしたためる。僕は字が下手だったが、少しでも良い印象を持ってほしくて、パソコンで印刷した活字をお手本にしながら頑張って書いた。
「放課後、校舎裏にて待つ」
 普段はスクールカーストの最下層にいるような僕だが、好きな人には男らしいところを見せたいので手紙にはその一言のみを書いた。本来ならば送り主の名を記載しなければならないが、恥ずかしいので差出人の名前は書かずにおいておく。臆病な自覚があるが、万が一にも場地くん以外の誰かに手紙を読まれて馬鹿にされたりしたら……という思いもあった。僕が場地くんに告白したことがバレたら、きっとクラスメイトには卒業までいじられることになってしまうだろう。


 ◇◇◇


 早朝。校庭からは運動部が朝練をする声が聞こえるが、それ以外の場所は校門を含めて人気がなくシンとしている。誰もいないのだから堂々と歩けばよいのだが、僕はカバンを胸に抱えて周りを伺うように歩いていた。カバンに入っているのはいつも通りの教科書、筆記用具、お母さんの用意したお弁当、それから場地くんを呼び出すために書いた手紙。たった一枚の手紙をカバンに入れているだけなのに僕はひどく緊張していて、まるで大金でも抱えているかのような気持ちになっていた。周りの人間に手紙のことがバレたりしないだろうか。手紙が誰かに盗まれたりしないだろうか。そんな風にありもしない悲劇を頭の中で反芻しながら、そろそろと足音を立てないように歩く。

 昇降口はシンと静まり返っていた。周りを伺いながら、場地くんの靴箱を探す。彼の出席番号はたしか――……。あった、見つけた。

 靴箱に入れられている上履きのかかと部分には、マッキーペンで「場地」と書かれている。絶妙に下手な字だ。これが場地くんの物で間違いない。もう一度キョロキョロと周りの様子を伺い、人が見ていないことを改めて確認する。そして、すぅーはぁーと大きく深呼吸をし、僕はカバンから手紙を取り出した。
 場地くんの上履きに触れてしまわないよう、細心の注意を払いながら手紙を上履きの上に乗せる。場地くんの妄想をオカズにするのは良くても、彼の持ち物に触れるのは良くないと思ったからだ。彼の持ち物に手を出すのは、一線を越えた下種な行為のように思えた。さすがの僕もそこまで堕ちる気はない。僕は倫理的な人間である。

「……ふぅ」

 手紙は場地くんの靴箱に入れた。このまま立ち去れば、僕はもう後戻りできなくなる。緊張と興奮で心臓が早鐘を打っている。昇降口が静かであるせいか、耳元に心臓があると錯覚するほどに、僕には鼓動の音が大きく聞こえていた。それを落ち着かせるよう、また大きく深呼吸。すぅ、はぁ。しかし、心臓はいまだ早鐘を打っている。手紙を持ち帰って大人しく過ごしたほうが良いかもしれない、と一瞬だけ弱気になるが、一度決めたことはやり遂げなければ、と思い返す。僕は靴箱から離れ、教室へと向かった。


 ◇◇◇


 放課後。今日の授業はずっと身が入らなかった。一日中、僕は場地くんのことを考えていた。手紙は読んでくれただろうか。ずっと場地くんのことを観察していたが、特に変わったところはなく、彼はいつものように辞書とにらめっこをしていた。あまりにも普段通りすぎて、手紙に気付いていないのかと不安になるほどだ。もしかして誰かに手紙を抜き取られてしまった? 僕が気付いていなかっただけで、手紙を入れる瞬間を見ていた第三者の手によって、僕の手紙は捨てられているかもしれない。ゾッと背筋に悪寒が走り、全身から血の気が引くような思いがした。

 しかし、場地くんが手紙を読んでいる可能性が一ミリでもある以上、僕は校舎裏に向かうしか選択肢はなかった。場地くんを待ちぼうけにさせるわけにはいかない。 悪意を持った第三者が待ち伏せしているかもしれないことに怯えながら校舎裏に向かうも、そこにはまだ誰もいなかった。場地くんがいないことに対して残念に思うとともに、場地くんがいないことに対して同様に安堵を覚えた。我ながら矛盾した感情だと思うが、どちらも僕にとっては紛れもない本心だ。場地くんに来てほしいが、来ないでほしいとも思う。自分の恋心が打ち砕かれる可能性が怖かった。場地くんが来なければ、僕は一生彼のことを好きでいられる。

「おい! 場地さんに果たし状出したのはテメーか!?」

 背後から突然そう叫ばれ、ビクリと身体が跳ねる。口から心臓が飛び出てしまうかと思った。ドキドキと早鐘を打つ胸を押さえながら振り向くと、そこには金髪の男子生徒が立っていた。彼は他のクラスに在籍している不良――たしか名前は松野くんと言ったか?――だった。場地くんと会話をしているところを何度か見かけたので、彼の顔だけは知っていた。喋ったことは一度もないけれど。

「場地さんに喧嘩売るたぁいい度胸してんじゃねーか」

「えっ、え!? 喧嘩!?」

「場地さんの手を煩わせるまでもねぇ。オレが相手になってやるよ!」

「ちょっ、え! 待って!?」

「オレは松野千冬! いずれ場地さんの右腕になる男!」

「ままま待ってくれよぉおお!!」

 松野くんは僕の制止の声が耳に届いていないのか、腕を振り上げながら大股でこちらに近付いてくる。場地くんに告白するつもりで呼び出したのに、何をどうして果たし状だと勘違いされたのか。理由は分からないけれど、今はとにかく逃げなければ松野くんによって僕はボコボコにされてしまう。

 松野くんのいる方向とは逆へ逃げなければ、と慌てて後ろを振り返る。そして一歩を踏み出そうとした瞬間、足がもつれて僕は顔面から地面へとダイブした。音で表すのであれば「ズシャア」だ。

「………………」

「………………」

 さすがの松野くんも突然の顔面ダイブに面食らったのか、転んだ僕に追い打ちをかけるようなことはなく、呆然とした表情でただ僕を見つめていた。松野くんは感情の整理がついていないのか、困惑したような半笑いを浮かべている。

「オ、オマエそんな鈍くさい転び方は無しだろ……」

「………………」

「そんなんでよく場地さんに喧嘩売ろうと思ったな……」

「違うんだよォ! 僕は喧嘩なんて売るつもりなくてェ!」

 そもそもそれが勘違いなのだ。悔しくて大声で否定するも、その声は裏返っていて情けないものだった。松野くんは「はぁ?」と困惑の声を上げる。

「ぼ、僕は場地くんと仲良くなりたくてェ! 教室だと話し掛けるタイミングがないから呼び出そうと思っただけでェ! 喧嘩なんてそんなこと一ミリも思ってなくてェ!」

「………………」

「それなのにひどいよォ! なんで僕がこんな目にィ!!」

 そう叫ぶうちに気持ちが昂ってきたのか、思わず涙が出てきた。悲しいのか悔しいのか、よく分からないが、とにかく涙が溢れて止まらない。僕の感情はもうグチャグチャだ。
 僕は場地くんに告白したかっただけなのに。ただそれだけなのに場地くんとは会えないし、松野くんには殴られそうになるし、人前で泣いてしまうし、踏んだり蹴ったりだ。

「あー……なんか、その、悪かったな……」

 地獄みたいな空気だ。松野くんの憐れむような声を聞いて、僕はもっと惨めな気持ちになった。


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