夢想家の恋愛模様


※無自覚ストーカーの蘭とNOが言えない女
※Xのフォロワーさんからリクエストいただいた話です



 駅へと続く道路を歩く帰り道。背後から突如として肩を組まれ、驚きから「うわぁっ」と情けない声が出てしまった。誰だ、ナンパか? 不審者だったら困る。ドッドッと音を立てる心臓を抑えながら、肩を組んできた相手を確認すべく振り返る。私の目線の先には相手の胸元があった。視線を上げると、そこには見知った顔が私を見下ろしていた。私と目が合った彼はニヤリと片頬を上げる。

「なに、『うわぁっ』て。色気ねぇ声出してんなよ」
「は、灰谷くん……。な、何するの突然……?」
「あー? 送ってやろーと思って待ってたのに、ナマエが勝手に帰るからわざわざオレが迎えに来てやったんだろ」

 灰谷くんはまるで「オレに感謝しろよ」と言わんばかりの口調でそう言った。だが、灰谷くんに送ってほしいと頼んだ覚えは私にはないし、一緒に帰ろうと約束した覚えもないし、そもそも「送るから待っていて」なんて言葉も言われていない。灰谷くんが一方的に決めて一方的に待っていただけなのに、どうしてこんなにも上から目線かつ恩着せがましいことが言えるのだろう。驚きを超えて恐ろしさすらあった。

 そもそも、私と灰谷くんは友達でも何でもない。私のような一般人には灰谷くんのような不良は恐ろしく見える。ツートンカラーの三つ編みと言う髪型も近寄りがたいし。しかも、噂によると灰谷くんは前科持ちだとか。それだけでも怖いと言うのに、灰谷くんはよく分からないことばかり言っていて、何を考えているのかが私には一切分からない。まるで違う世界を生きているかのようだ。

 そんな灰谷くんが怖くてでき得る限りの関りを避けようとしているのだが、彼は一体どうやって私を見つけてくるのだろう。行動範囲の限られている平日ならまだしも、遊びに出掛けている休日であろうと関係なく気が付いたら灰谷くんは私の近くにいて、今のように絡んでくる。奇跡的な遭遇率だ。運命のイタズラを感じる。だが、私は灰谷くんに対して正直なところ、運命よりも恐怖を感じていた。スキンシップが多くて距離感がないことも、私の感じる恐怖に拍車をかけている。

「なぁ、たまにはオレん家行かねぇ?」
「え? いや、たまにはって言うか、一回も行ったことないんだけど……」
「そうだっけ?」
「そうだよ……」
「あっそ。まぁいいや。とりあえず行くか」

 全然よくない。何が「まぁいいや」なのか。私の肩を抱いたまま歩き出そうとした灰谷くんに対し、「ちょ、ちょっと待って!」と制止の声を上げる。

「そ、そんな簡単に男の人の家とか行けないし! 送ってくれなくても大丈夫だから、は、離して……!」

 本音は「怖いから一緒にいたくない・肩を組むのをやめてほしい」だが、それをオブラートに包んで灰谷くんに伝える。万が一にも機嫌を損ねられたら困る、と思った小心者の私には、灰谷くんをハッキリと拒絶することはできない。
 しかしやんわりとした言い方では、やはりとでも言うべきか灰谷くんに拒絶の意は伝わらなかったようだった。彼は変わらず私の肩を抱いたまま、珍しく「ハハッ」と声を上げて笑う。

「ナマエのガード固くて安心ー。でもオレまで警戒する必要はねぇだろ、オレとオマエの仲なんだから」
「んえっ!? な、なんで……!?」
「つーかオレさー、本当は出掛けんのあんま好きじゃねぇの。でもオマエが出掛けんの好きみてーだから付き合ってやってたの、超良い彼氏だと思わねぇ?」
「え!?」
「だから今度はオレの好きなことに付き合えよ」

 付き合ってないし灰谷くんは彼氏ではない。前々から灰谷くんのことをよく分からない人だと思っていたけれど、さらに分からなくなった。何をもって私と付き合っていると思い込んだのだろう。まさか行く先々で灰谷くんと遭遇していたのは、偶然ではなくデートのつもりだったと言うことなのだろうか。嘘でしょ、そんなことある? 私の頭には疑問符が浮かんで止まらない。本気で意味が分からないと思ったし、本気で怖いと思った。

「――いやっ、わ、私には灰谷くんの彼女は荷が重すぎるって言うか!? 灰谷くんのこと満足させられる自信ないし……わ、私よりもっと美人な子とか、灰谷くんにふさわしい子は他にもいるって言うか……彼女にするなら私じゃない子のほうが良いと思うんだけどな!?」

 あくまで謙遜の姿勢は崩さずにそう言い切る。面と向かって付き合えませんと言う勇気はなかった。頼む、伝わってくれ。そう祈りながら灰谷くんの顔を見ると、彼は目を丸くして私を見下ろしていた。

「…… ナマエ」
「は、はい」
「ンなこと気にしなくていいって。ナマエはオレが選んだ女なんだから、オマエはもっと自信持って堂々としてろー?」
「え!?」
「ああ、それとも誰かに何か言われた? なら黙らせてくるから誰に何を言われたか、オレにちゃんと言えよ」

 やっぱり灰谷くんには謙遜も通じなかった。それどころか、まったく関係ない第三者が灰谷くんによって黙らされそうになってしまった。恐らく、黙らせると言うのは不良用語でボコボコにする、とかそういう意味だろう。一般的な口をふさぐという意味ではない気がする。何をされるか分かったものではない。他人に被害が及ぶのは本意ではないと、私は慌ててかぶりを振る。

「だ、誰かに何か言われたとかじゃなくて! わ、私に自信がないだけって言うか……!?」
「へぇ? なら自信持てるようにしてやんねーとだな」

 灰谷くんはいたずらっぽく目を細めながら、ちゅ、と私の頬にキスを落とす。それも公衆の面前で堂々と。驚きで固まる私には構わず、彼は言葉を続ける。

「どれだけオレがナマエのこと大事にしてるか、じっくり教えてやるよ」

 早くオレん家帰るぞ、と灰谷くんは私の肩を抱いたまま歩き出す。墓穴を掘ってしまった。この流れで「付き合えません。私を家に帰らせてください」なんて言えるわけがない。顔を青くさせる私とは対照的に、灰谷くんは上機嫌に鼻歌まで歌っている。
 私はこのまま諦めて灰谷くんと付き合うべきなのだろうか、なんて考えながら灰谷くんの広い歩幅に合わせながら歩くことしか、今の私にはできなかった。





【side.ハイタニ】


 蘭がリビングへと足を踏み入れた瞬間、竜胆は己の死を覚悟した。自宅に置いたDJブースで一人、フロア(家)をブチ上げてしまったせいで兄ちゃんが目を覚ましてしまった、と、竜胆は自分の行動を後悔し冷や汗をかいていた。蘭の寝起きの悪さは常識を超えている。八つ当たりのように殴られたことは一度や二度では済まない。

「わ、悪ぃ兄ちゃん……オレうるさかった?」

 震える声でそう尋ねる。竜胆の問いかけに返事をせず、無言のままこちらへと歩いてくる蘭を見て竜胆は体を強張らせた。やばい、殴られる。そう構えたのも束の間、蘭は竜胆の前を素通りしてソファへと腰を下ろす。「え」と竜胆の口からは間抜けな声が漏れた。安眠を妨害したことに対する制裁が加えられないことが、竜胆にはにわかに信じ難かった。

「竜胆、オレ今日出掛けてくるから」

 蘭がそう口を開く。寝起き特有のかすれ声ではあったが、その声音は不機嫌そうには聞こえない。理由は分からないけれど、どうやら蘭は怒ってはいないようだった。自身が殴られなかったことに、竜胆はホッと胸を撫で下ろす。

「兄ちゃんが早くから出掛けンの珍しいな。何かあんの?」
「彼女とデートすんの」
「え、兄ちゃん彼女いたっけ? いつから?」
「告白したワケじゃねぇし『いつから』とか具体的な日付はねぇけど。まぁ、ちょっと前から?」
「へー。そうなんだ」

 告白したわけではない、と言う蘭の言葉が引っかかったが、竜胆はそれを受け流す。自由奔放な兄ならそんな付き合い方もあり得るだろう、と思ったからだ。

「本当は早く家呼んでヤりてぇとこだけどさ、ナマエは照れ屋だからまだ外でしかデートしたことねぇの。彼女に合わせてやるって、オレ超健気だと思わねー?」

 蘭の口に出したナマエという名前に聞き覚えはない。それに照れ屋だと言う情報から、クラブやナンパで出会った女ではないだろう、と竜胆は推測する。クラブに出入りしている女ならば竜胆の耳に入っているはずであるし、そして何より、クラブに行くような女に照れ屋な性格はいない、と言う偏見が竜胆の中にはあった。
 ナマエとは誰なのかと考えをめぐらす竜胆のことは無視で、蘭は詳細を語らず手元のケータイを眺めながら言葉を続ける。

「つーかナマエってば、照れ屋すぎてオレに行先も教えてくんねぇの。デートすんのも一苦労だよ」
「……ん?」
「ナマエのオトモダチみんな優しくて良かったなー。あいつらいねーとナマエの動向探れねぇんだもん」

 それは本当に彼女なのか、という疑問が口から出かかったが、竜胆はグッと耐える。友達つたいに行先を聞いて付いて行くのはデートではない。むしろそれはストーカーなのでは、とも思ったが、やはり竜胆は口には出さない。と言うか、そのオトモダチとやらは本当に兄ちゃんに協力してくれている人なのだろうか? 竜胆の頭にはふとした疑問が浮かぶ。

 蘭から至近距離で「ナマエがどこにいるか知ってる?」なんて聞かれたら、大抵の人間は脅されていると勘違いするだろう。蘭いわく「近眼だから近くに寄っているだけ」とのことだが、通常の会話は至近距離でなくても良い。意味も自覚もなく他人を威圧するのは蘭の悪癖とも言える。竜胆は、蘭がナマエにもその周りのオトモダチにも、いろいろと迷惑をかけていることを悟った。

「……兄ちゃんが好き好きっつってれば、そのナマエさん? も、そのうち慣れて教えてくれるようになんじゃね? つか兄ちゃんが直接聞いてやればいいだろ」
「えー、でもオレはカリスマだぜ? 向こうから言ってくるのが筋ってモンじゃ――……」
「兄ちゃんから歩み寄ってやんねぇとダメなの!」

 蘭の言葉を遮るよう竜胆は声を荒げる。恐らく、と言うか絶対に、兄ちゃんのアプローチ方法は間違っている。竜胆はそう確信していた。だが、間違っていると面と向かって指摘することは竜胆にはできない。八つ当たりされるのが目に見えているからだ。

「ナマエさんも兄ちゃんから言われンの待ってるって! 照れ屋なんだろ? なら兄ちゃんからアピールしてやんねぇとダメだって!」

 どうか考えを改めてくれ、竜胆はそう願いながら言う。蘭は竜胆の言葉を聞いて、キョトンと目を丸くしていた。

「えー、そういうモンかぁ?」
「絶対そう!」
「はぁ。そういうモンかぁー」

 蘭は溜め息を吐きながら「ホント手のかかる女だなー、ナマエは」なんて呟く。その態度とは裏腹に、その表情はどこか嬉しそうですらあった。惚れた女のために手を尽くす楽しみは竜胆にも理解できるが、蘭のその感情は自分の感じるものとは何かが違うような気がした。兄ちゃんちょっとキモイ。そう思いながらも、竜胆はやはり口には出さない。

「仕方ねぇから今度ウチに招待してやるか」

 そう言いながら蘭はチラリと床に転がったゴミ袋に目を向ける。竜胆には、自分が蘭から「ゴミを捨ててこい」と命令される未来が見えた。

「ナマエが来るまでにゴミ捨てとけよ、竜胆」

 ほらやっぱり。竜胆はそう思った。


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