変人


※梵蘭
※Xのフォロワーさんからリクエストいただいた話です




 目が覚めてまず目に入ったのは見知らぬ天井だった。ふかふかの布団は自分の家の寝具よりもずっと上等な物に思える。ここが自宅でないことは明らかだ。辺りを見回すと、壁に直接はめ込まれた開閉できない窓――いわゆるはめ殺し窓――が目に付いた。窓から見えるのは広い空だけで、その景色からこの部屋が高層階にあることを悟る。ここは都内のタワーマンションの一室なのだろう。部屋の雰囲気から、私はそう予測した。

「どこ、ここ……」

 思わず独り言が漏れる。仕事を終えて帰り道を歩いていたところからの記憶がない。酔った勢いで誰かとワンナイトした可能性も考えたが、最悪なことに私にはお酒を飲んだ記憶は一切なかった。ただ家に帰ろうと道を歩いていただけ。そこからの記憶がなく、何故こんな部屋にいるのかまったく分からなかった。
 ベッドから下り、部屋を出る。そのまま玄関から出ていくことも考えたが、スマホや財布を含む荷物が見当たらず、私は仕方なくリビングを目指すことにした。扉を開けると、広い部屋の中央に置かれたソファでくつろぐ人物の姿が目に入った。

「え、蘭くん……?」

 そこにいたのは、何度かバーで飲んだことのある男性――蘭くんだった。普段バーで会うときの彼は派手なスーツを着ていて、髪もきっちりセットされていたけれど、ソファでくつろぐ今の彼はスウェット姿で、髪もセットされておらず前髪が顔にかかっていた。いつもよりやや幼く見える蘭くんに違和を覚えながらも近付くと、彼は手元のスマホから視線を上げて私の顔を見た。そして彼は片頬を上げ、ニヤリと笑いながら口を開く。

「オレより起きンの遅いとか寝過ぎじゃねー? ナマエ疲れてんの?」
「え、いや……ていうか蘭くん、ここどこ……?」
「オレの家だけど」
「そうじゃなくて! 私なんでか昨日の記憶なくて、蘭くんの家にお邪魔することになった経緯とか、そういうの何にも分からないんだけど……」
「記憶なくて当たり前だろ。誘拐したんだもん」

 蘭くんはそう言って馬鹿にしたように笑った。人を小馬鹿にしたような笑い方はいつもの蘭くんと同じだったけれど、その発言の内容は冗談と言うにはあまりにもタチが悪く、私は思わず言葉を失ってしまった。呆気に取られた私は蘭くんの顔をポカンと見つめることしかできない。何を言っているのだろう、この人は。

「――ていうかソレ、私のスマホ!」

 ハッとしてそう叫ぶ。蘭くんの見ていたスマホは私の物だった。人のスマホを勝手に覗くなんてあり得ない。そう思ってスマホを取り返そうと手を伸ばすも、蘭くんは立ち上がってスマホを持つ手を頭上に上げてしまった。圧倒的な身長差を前に、私には成す術がない。ピョンピョンとその場で飛び跳ねてみても、蘭くんの持つ私のスマホには手が届かなかった。

「ちょ、返してよ!」
「えー、やだ」
「やだじゃない! 何なの!?」

 私がそう声を荒げると、蘭くんは変わらずヘラヘラと笑いながら「だからぁ、せっかく誘拐したのにスマホなんか返すわけねぇだろ」と言った。

「ナマエさ、小さい頃に習わなかった? 『悪い人とは喋っちゃいけません』って」

 オレすっげぇ悪い人なんだけど、蘭くんはそう言葉を続ける。彼が脈絡なく会話を始めるのはいつものことだったが、状況が状況なだけに私はその発言にムッとしてしまった。眉をひそめて蘭くんを睨みつけるも、彼はまったく気にした様子がない。変わらぬ笑みを浮かべながら、蘭くんは言葉を続ける。

「こわぁい組織の幹部なの、オレ。いわゆる反社ってやつ」
「…………」

 彼が普通のサラリーマンなどではないことは薄々分かっていた。派手なスーツにゴツいアクセ、首に入った刺青。初めのうちは彼のことをホストか何かかと思っていた。けれど徹底した秘密主義から、彼の生活習慣や仕事内容といった素性は一切見えてこず、何となく危ない人なのだろうと言うことには勘付いていた。分かった上でこちらも詮索してこなかったのだが、蘭くん自ら反社であることを打ち明けてくるのは予想外だった。

「これを打ち明けた理由、分かるよな? もうオマエは逃げらんねぇの。痛いことされなくなかったら大人しくしろよ」
「そ、そんなこと言われても……全然、分かんないんだけど……。何が目的なの? 身代金? 残念だけどウチにはそんなお金ない……」
「はぁ? 金なんていっぱい持ってっから。そんなモンいらねぇーよ」
「じゃ、じゃあ蘭くんは何がしたいの……?」
「そんなん決まってんじゃん」

 蘭くんはそう言って笑うと、人差し指でトン、と私の鎖骨下辺りを叩く。

「ナマエのことが欲しかったから攫ってきたの。オレ卑怯なことしかできねぇ男だからさー、ナマエを手に入れるためなら誘拐でも何でもできちゃうワケ」
「…………」
「ハハ、恐怖で声も出ねえって感じ? ま、オマエが泣こうが喚こうが意味ねぇからさ、さっさと諦めろー?」
「…………」
「ナマエはただオレの言うこと聞けばいいんだよ」

 ここからもう二度と出られねぇんだからさ、彼はそう言葉を続ける。

「……そ、それじゃ仕事とか、どこにも行けなくなっちゃうじゃん……」
「あー? ンなの行かせるワケねぇだろ」
「…………」
「オレがナマエの面倒ぜぇんぶ見てやるからさ、その代わりナマエはただオレの言うことだけ聞いてればいいの」

 そう言いながら蘭くんは私の頬を撫でる。これは監禁宣言と受け取って良いのだろうか。家の中に閉じ込めて、私のことを飼い殺しにする気なのだろうか。蘭くん以外との関わりを断たせて、私の全てになるつもりなのだろうか。そんなことって、

「……や」
「ハハ、『やめて』とか言われてもやめるわけ――……」
「やったー! もう仕事しなくていいってこと!?」
「……は?」

 蘭くんは綺麗に整えられた眉を思い切りひそめ、驚いたようにそう呟いた。表情から困惑していることが見て取れる。あまり表情の変わらない蘭くんが、こんなにも困ったような表情を浮かべているのは初めて見た。

「ちょうど仕事辞めたいって思ってたし、家から出ずにずっとゴロゴロしてたーいって思ってたんだよね! タイミング良すぎる!」

 知らない部屋で目覚めたときはどうなるかと不安だったが、蘭くんが私を養ってくれると言うのならそれに全力で甘えるだけだ。仕事もせずにただ息をしているだけで生きていけるのなら万々歳。蘭くんのことは好きか嫌いかで言えば好きであるし、嫌がる理由なんて一つもない。

「養ってくれるんなら何でもする! ありがとう蘭くん!」
「…………」
「……蘭くん?」

 私のハッピーニートライフが始まる。そう思って全身で喜びを表現してみたのだが、そんな私とは対照的に蘭くんは黙り込んでしまった。その姿はまるでスイッチの切れたロボットのようだ。不安になって蘭くんの名前を呼びかけてみると、そこでやっと彼は「……まじか」と呟いた。

「……オマエ本気で言ってんの? オレ、ナマエのこと監禁するっつってンだけど」
「私インドア派だから大丈夫!」
「……オレ反社なんだけど」
「偏見とかないから大丈夫!」
「…………」

 蘭くんは「信じられない」とでも言いたそうな目で私を見ている。人のことを誘拐して監禁しようとした人にそんな目で見られるのは納得がいかない。まるで私がおかしいみたいじゃないか。

「なに、蘭くんもしかして私のことヘンだと思ってる? 言っておくけど私より絶対に蘭くんのほうがヘンな人だからね」
「はぁ?」
「普通の人はカリスマを自称したりしないもん」
「…………」
「あと人のこと誘拐したりしない」

 私がそう言うと、蘭くんは呆れたように「普通の女は監禁されることを受け入れねぇよ」と呟いた。
 たしかに。そう言われてみたらヘンなのかもしれない。お互いヘンな人同士でお似合いかもね、と私が言うと、蘭くんは鼻で笑った。



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