やめてほしい


 テーブルの上に次々に並べられていく料理の数々を見て、私は軽率に「奢ってあげようか」なんて言ってしまったことを後悔していた。
 今月は支払いが多くて大変だ、なんて言っていたココくんに同情心を持ってしまったのが私の運の尽きだ。ココくんには何だかんだ良くしてもらっているし、そのお返しのつもりだった。それがまさかこんなことになるなんて。

 今いる場所がたびたびSNSで論争が起こる安いファミリーレストランであることだけが救いだった。いや、いくら安いと言っても、注文する量が増えればその支払い価格はとんでもないくらい上がってしまうのだが。

「あの……それ、本当に全部食べられるの?」
「当たり前だろ。じゃなきゃ頼まねぇよ」
「そ、そうですよねー……」

 四人掛けのテーブル席。座っているのは私とココくん、その二人だけ。だが、テーブルには二人分とは思えない数の料理が並んでおり、テーブルを隙間なく埋めていた。私の目の前にあるのはドリンクバーのグラスだけ。ココくんがあまりにもたくさんの料理を頼むものだから、ビビった私はドリンク一品しか頼むことができなかった。

 ココくんがナイフとフォークを両手に持ち、ステーキを切り分ける。彼がステーキを一口大に切り分けて口に運ぶ様は学生とは思えないくらい綺麗だった。本当にここはファミレスか? と思ってしまうほどの所作だ。
 ステーキをたいらげると、次はパスタ、ピザ、とココくんは次々に料理を口に運んでいく。テレビの大食い選手権でしか見たことのないような食べっぷりにもはや感動すら覚える。ココくんを見つめる私の視線に気付いたココくんは、私の顔を見てハッと鼻で笑った。何その顔、ムカつく。


 ◇


 ココくんがすべてを食べ終わった後、レジで店員さんの読み上げた支払金額に戦慄した。一か月分のお小遣いが丸々飛んでいく額だ。震える手で財布を開き、札を一枚、二枚、と数えていく。小銭もかき集めてトレーの上に置く。バッグやポケットの中も探し、文字通り私の有り金すべてを出した。だが、何度数えても店員さんの読み上げた金額には千円足りない。

 サァァ、と血の気が失せていくのを感じる。どうしよう。これが服屋や雑貨屋だったなら「やっぱり買うのやめます」なんて言えるけれど、飲食店となると話は別だ。もう食べてしまったものは戻せない。金額が足りないのは食い逃げに該当するのだろうか。警察を呼ばれたりするのだろうか。どうしよう。不安で目に涙が浮かぶ。ギ、ギ、と錆びた機械のようなぎこちない動きで、隣に立つココくんに顔を向ける。動揺する私とは対照的に、ココくんは平然とした顔でその場に立っていた。

「あの……ココくん……」
「なんだよ」
「大変申し訳ないのですが……千円足りなくて……」
「……散々『奢るから!』って豪語してたのは誰だっけ?」
「私です……。いや、本当すみませんけど……」
「ったく、しょうがねぇなぁ」

 ハァ、とココくんは大きな溜め息を吐く。もとはと言えば私に許可なく大食いを始めたココくんが悪いのだが、お金が足りないことに気を取られすぎてそれを咎める発想が今の私にはなかった。
 ココくんが自身のバッグを探り、黒い革張りの財布を取り出す。それは大人が持っていそうなしっかりした造りの財布だった。私はブランドには詳しくないが、高級そうな財布だな、なんて感想を持った。
 そしてココくんは財布を開け、中から一万円札を一枚取り出す。その際、私の目には彼の財布の中身が見えてしまった。

「ねぇ! なんか札束が入ってるんだけど!?」

 彼の財布には何枚もの紙幣が入っていた。それはもはや札束と呼んでも遜色ない枚数だろう。ココくんは金欠なのではなかったのか。裏切られた気持ちでいっぱいだった。私の叫びを聞いたココくんはペロリと舌を出す。

「支払いが多いのはホント。でもオレは金がないとは一言も言ってねぇから」

 その言葉を聞いて、雷に打たれたような衝撃を受けた。確かにココくんは金欠だとは言っていない。チームへの上納金だの何だのが多くて大変だ、とは言っていたが、お金がない、とはただの一度も言ってはいなかった。
 勝手に勘違いしたのは私だ。金欠だと思い込んで、奢ってあげようかなんて上から目線で提案したのも私だ。私一人が勝手に踊り狂っていただけ。すべては私の自業自得ではあるのだが、それでも悔しいものは悔しい。

「だ、騙されたぁああ……」

 頭を抱える私を見て、ココくんはニヤニヤと笑っている。

「仕方ねぇからお釣りはオマエにやるよ」

 支払金額に対する私の全財産、不足分は千円。そこにココくんの一万円が投入され、お釣りは九千円。かなりの額が戻って来たとは言え、それでもハッピーエンドとは言い難い。ちょっと、いや、かなり複雑だ。

「次もまた奢ってくれよ」
「絶対に嫌です……」

 果たしてこれは「奢った」に入るのか。それすら分からないが、少なくとも軽々しく奢るなんて言うものではない、と私は深く反省した。


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