ころしてほしい


※暴力(流血)描写あり



 銀行残高は残り四桁。つまり私には数千円しか残っていないと言うことだ。つい一年前までは一千万近い貯金があったというのに。それもこれも、ココくんに出会ってしまったせいだ。

 ココくんは可愛い。可愛いから好きだった。好きだったからお金を出してあげたかった。世の中には男に奢られたいと言って憚らない女も多いが、私はより愛が深いほうがお金を出すべきだと思っている。つまり、男も女も関係なく好きなら黙ってお金を使え、という価値観だ。だから私はココくんにお金を使うことは苦ではなかった。
 ご飯は絶対に奢ってあげたし、ブランドの服や靴も買ってあげたし、お小遣いだってあげた。世間から見たら私たちの関係は援助交際、なんて呼ばれるかもしれないが、少し前までの私は、私とココくんはそんな不純な関係ではないと鼻で笑っていた。笑えていたはずだった。

 ――それがどうだ。今ではこの有様だ。

 私はホテルの冷たい床に転がっている。殴られた左頬はジンジンと熱を持っていた。私を殴り倒した張本人であるココくんは、フーッフーッと荒い呼吸を繰り返している。

「気色悪ィんだよ!」

 私はココくんと一緒にご飯を食べているだけで満足だった、はずだった。私はココくんと一緒にお出かけできるだけで満足だった、はずだった。人間の欲望というものはとどまることを知らない。貯金の桁が減っていくのと同時期に、私はココくんとの関係に少しずつ不満を覚えていった。関係が深まることがないからだ。いつだってご飯を食べて解散。それ以上には発展しない。
 歌舞伎町のホストのほうがまだ良心的だ。彼らはお金を使いさえすれば恋人のふりをしてくれるし、セックスだってしてくれる。中には籍を入れて本当に結婚までしてくれるホストもいるらしい。
 でも、ココくんはホストではない。恋人にはなってくれないし、セックスもしてくれないし、籍も入れてくれない。それなのに私の貯金は無くなっていく。もう限界だった。

「ココくんにいくら使ったと思ってるの? 一回くらい良いじゃん」
「オマエが『金払うからデートしてくれ』って言ったンじゃねぇかよ! デートしてやっただろ! 何が不満なんだよ!」
「デートだけじゃやだよ。私はココくんが好きなんだもん」
「それが気色悪ィって言ってんだよ!」

 ココくんは頭に血が昇っているのか、顔が真っ赤だった。肩で息をし、荒い呼吸を繰り返す。

「誰々にヤキ入れて来いだとか、強盗やって来いだとか、そういう依頼以外は請けるんじゃなかった……ッ!」

 ココくんとの出会いはとあるクラブのVIPルームだった。暴力をお金に変えている子がいるなんて噂を聞いて、興味本位で会わせてもらったのだ。お金だけ持っているジジイや犯罪自慢のクソ男に飽き飽きしていた私にとって、その出会いは衝撃的だった。似合わないスーツを着て必死こいてお金を稼ごうとするその姿が、とても可愛く見えたのだ。可愛い子がいたものだ、なんて思って注目していたら、いつの間にか彼は成長していた。子供の成長は早い。短かった髪は長く伸び、耳にはピアスを開け、彼はケバケバしいほどのヤンキーへと成長していた。その顔が、正直好みだった。

 お金さえ払えば何でもしてくれるって聞いたけど。そう言って近付いて、はや一年。かなり我慢したほうだ。ジジイどもなら三日と保たずにホテルに誘ってくる。でも、私は大人だ。そんな薄汚いジジイどもとは違う。そう思いながらココくんに接してきた。

 可愛い子と一緒にご飯を食べられるだけで満足。好きな子と一緒に出かけられるだけで満足。
 それだけで満足できるか。バカかよ。カマトトぶるのもいい加減にしろ。私はもっと欲しい。人の欲望に際限などない。次へ次へと、もっと欲しくなるものだ。

「ねぇ、ココくん……」

 殴られた頬を押さえながら、よろりと立ち上がる。ココくんは一歩後ずさった。私はココくんへと近付く。ココくんのすぐ後ろにはソファがあった。彼はもう後ろには下がれない。よろよろとココくんとの距離を詰めていく。「オレに近寄るな」ココくんのその言葉を無視して近付く。

「ココくん」
「近寄るなって言ってンだろ!」

 テーブルの上に置いてあったガラスの灰皿を手に取り、ココくんはそれで私の頭を叩いた。ガツン、と大きな衝撃が走り、私は床に転がる。本日二度目の転倒だった。
 殴られた箇所から温かいものが滴り落ちる感触がする。頭を手で触ると、手のひらが真っ赤に染まった。血だ。床にはぽた、ぽた、と血の雫が落ちていく。

「ぅ。あ……」

 頭から血を流す私を見て、ココくんはサァッとその顔を青くした。先ほどまでは真っ赤な顔をしていたのに。赤くなったり青くなったり忙しいな。ココくんは手に持った灰皿を見る。灰皿にも私の赤い血が付着していた。

「殴るくらいならいっそのこと殺してよ」

 心の中で思うだけにとどまらず、気が付いたらその言葉が口をついていた。私も動揺しているらしい。でも、殺してほしいというのは本心でもあった。白黒はっきりさせたいという気持ちだ。どうせお金を使うのなら、食事だけで終わらせずもういっそセックスまでしたい。殴られるくらいならもういっそ殺してほしい。我慢に我慢を重ねて爆発した私の思考は、行き着くところまで行ってしまったらしい。

「うるせぇ! 死ぬならオレの知らないところで勝手に死ね!」

 ココくんは手に持っていた灰皿を投げるように乱暴に机に置き捨て、部屋から出て行ってしまった。ドスドスと大股で歩いて行ったココくんが扉を乱暴に閉める。バタン、と大きな音がした後は、部屋に静寂が訪れる。

「…………」

 ココくんは私のことを好きにはなってくれないし、セックスもしてくれないし、殺してもくれない。なんてひどい人なのだろう。

 灰皿で殴られた頭が痛い。手のひらで押さえてみても、傷口がズキズキとするだけで鎮痛の効果はなかった。床に落ち続ける血を見る。救急車を呼んだほうが良いのだろうか。でも、それもバカっぽいな。
 床に力なく寝っ転がる。このまま寝ていたら、いつか死ねるだろうか。もしこのまま失血多量で死んだら、それはココくんに殺されたことになるのだろうか。でも、致命傷とするには少々弱い気もする。

 目を閉じる。意識が消えていく。でも、それは眠りに落ちただけで死ねたわけではなかった。

 数時間後、パリパリに乾いた血を見て、私は自嘲した。全然死んでないし。私はピンピンしている。すべてが中途半端だ。馬鹿みたい。


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