あいしてほしい


※梵天 ※夢主は赤音さんの代替
※軽度の嘔吐描写あり



「なぁコレ、プレゼント」

 恋人である九井一くんは、いつも突然やってくる。疲れているのか覇気のない顔をしてフラフラと私の家に来たかと思えば、挨拶もなしにこうやってプレゼントをくれる。会える日は少ないけれど、会える日はこうして私の家に来てくれる。一くんから貰った品々を眺めて寂しさを紛らわすのが日課だった。だが、決して私は放置されているわけではない。電話はよくしていた。短いときは声を聞くだけの二、三分。まとまった時間が取れるときは一時間でも二時間でも。
 詳しいことは知らないが、一くんはいくつもの企業を経営しているらしい。きっと仕事が忙しいのだろう。仕事に口を出すのは野暮だと思い、問いただすことはしない。
 一くんが疲れた時に自宅で寝るのではなく、私に会いにくることを選択してくれることが嬉しかった。そんな彼の癒しになれるよう、少しでも居心地の良い時間を提供してあげたい。一くんが私に良くしてくれるように、私も一くんに尽くしたい。

「一くんはいつもプレゼントをくれるね。貰っちゃってもいいの?」
「ああ」
「――ありがとう、嬉しい」

 手渡された小さな紙袋を受け取り、中を覗く。紙袋の中には正方形の箱があった。その正方形の箱の中央部には、箔押しでブランドのロゴが入っている。誰でも知っているような超有名な高級ブランドの名前だ。
 箱を取り出して蓋を開け、中身を確認する。布に包まれたそれを開くと、中にあったのは小さな髪留めだった。

「わ、可愛い。一くん、本当にありがとう!」
「オレにできるのはこれくらいしかねぇからさ。アンタに喜んで貰えンならオレもそれで嬉しいし」

 一くんは私の手のひらに乗せられた髪留めをヒョイと取ると、それで私の前髪を留めた。「どうかな、似合う?」そう尋ねると、一くんは目を細めて「ああ、似合ってる」と言った。それが嬉しくて、私は思わず破顔する。

「一くん、ウチ泊まっていくよね? お腹は空いてるかな? 何か作るね」
「――いいの?」
「うん、もちろん。何がいい?」
「アンタが作ってくれるなら何でも良いよ」

 そう言った一くんを自室へと招き入れ、適当な場所に座って待っていてもらう。私はそんな一くんの前を通り過ぎ、先ほど貰った髪留めを外しながら、アクセサリー入れとして使っている棚を開けた。そこには一くんからこれまで貰った大量の品々が並べられている。
 口紅、アイシャドウ、香水、指輪、ネックレス、髪留め、バッグ、それからクローゼットの中にはワンピースと毛皮のコートも。どれもこれも、何でもない日に一くんが突然くれた物だ。これらの総額は一体いくらになるのだろう。きっと私の年収よりもはるかに高いはずだ。
 一くんがどうしてこんなにも物をプレゼントしてくれるのか、私には分からなかった。私がもし有名キャバ嬢だとか、芸能人だとか、すごい肩書きを持つ女だったのであればこんな風に貢がれるのも頷ける。だが、私はしがない会社員だ。誰かに貢がれるような秀でた何かを持っているわけでもない、ごくごく普通の女。一くんは私の何が良くて、こんな風に尽くしてくれるのだろう。分からない。ただ、これが一くんなりの愛情表現であるということは理解していた。

「一くん、生姜焼きでいーい?」
「ああ。楽しみにしてる」

 キッチンへと足を運び、冷蔵庫を開けながら一くんにそう尋ねる。一くんは薄く笑って返事をした。私の部屋を照らす暖色系の蛍光灯のせいで、一くんの白い髪が少しだけオレンジ色に見えた。


 ◇


 朝。隣で眠る一くんの体を揺する。朝だよ、起きて。そう言いながら一くんの顔にかかった長い髪を指で梳くと、彼は「うぅん」と呻きながら眉間にシワを寄せた。

「ダメだよ、お寝坊は。朝ごはん食べようよ。洋食と和食どっちがいい?」
「――赤音さん」

 そう呟いた一くんの声を私は聞き逃さなかった。アカネ――女の名前だ。サァ、と全身から血の気が失せていく感覚がした。指先は氷水に漬けたように冷たい。ドッ、ドッ、と跳ねる心臓を抑えながら、震える唇を開く。

「一くん。『アカネ』って――誰?」

 努めて冷静に、大声を出さないよう注意しながらそう尋ねる。怒らないように。正気を失わないように。笑顔の一つでも浮かべたいところだったが、頬は引き攣っていて、鏡を見たわけではないが今の私は歪な表情を浮かべているのだろうなと思った。
 一くんは私のその問いを聞いて目が覚めたのか、青い顔をして飛び起きた。目を大きく開いているせいで、元から三白眼だった瞳がさらに小さく見えた。一くんの小さな瞳が左右に揺れる。視線はあっちこっちに泳いでいて、私の顔を見ない。

「ねぇ、一くん。アカネって誰?」
「そ、それは……オレ、そんなつもりじゃ……」
「ねぇ! 誰なの!? 答えてよ一くん!」

 思わず大きな声が出てしまった。一くんは私のその声にビクリと体を震わせたあと、俯いて黙り込んでしまった。そんな一くんの態度は私の神経を逆撫でする。

「ねぇ、一くん!」

 また大きな声を出す。一くんは喋らない。

「ねぇってば!」

 私はまた声を荒げる。一くんの腕を掴んで揺すっても、彼は俯いたままでこちらを見ようともしない。さらに苛立って、私はまた声を荒げる。
 ベッドの上で、一糸纏わぬ男女の痴話喧嘩。傍から見たら何とも間抜けな光景だろう。だが、私は必死だった。

「――浮気? 他にも女がいるの?」
「……違う。そんなんじゃない……」
「浮気じゃないなら何なの? キャバ嬢? 風俗嬢?」
「違う! 赤音さんはそんな女じゃないッ!!」

 一くんは突然大きな声を出した。その声に驚いて、私の体はビクリと跳ねる。一くんはそんな私を見て、「あ、悪い……」と小さく謝る。そうして一くんはまた俯いてしまった。一くんとずっと目が合わない。

「……私のほうが浮気相手ってこと?」

 私がそのアカネなる人物をキャバ嬢か風俗嬢か、と問うた時の一くんの必死な返答を聞いて、私は彼がその女を大事に思っていることを悟ってしまった。
 一くんはとても優しい。いつだって欲しい言葉をくれる。まるで少女漫画に出てくる白馬の王子様のようだ。そんな彼が、声を荒げて私の言葉を否定した。それは今までの付き合いの中で初めてのことだった。
 それはつまり、私の言葉を強く否定するほど、一くんはそのアカネという人が好きだということに他ならない。

「――う、浮気、とか、そんなんじゃなくて……」
「じゃあ何なの?」
「………………」

 一くんはまた黙ってしまった。涙で視界が歪む。泣き顔を一くんに見せたくなくて俯くと、目に溜まった涙が重力に従ってポタリと落ちた。涙はベッドのシーツに黒いシミを作る。ポタリ、ポタリ。ベッドシーツのシミは少しずつ増えていく。

「……な、なぁ、この話はやめよーぜ。誰も幸せになンねぇよ」
「何言ってるの? この時点で私はもう幸せじゃないんだけど」
「………………」
「アカネって誰? 教えてくれるまで帰さないよ」
「………………」

 ぐ、と息を飲む気配を感じた。俯いているせいで一くんが今どんな顔をしているのかは分からない。だが、きっとひどい顔をしているのだろうなということは分かった。私も一くんも、きっとひどい顔をしている。

「あ、赤音さんは――……」
「………………」
「オレの初恋の人、で……。一生かけて守りたいって、思った人、で……」
「………………」
「守りたかったけど、火事、で……オレ、間違えて……赤音さんを守れなくて……」
「………………」
「オレ、赤音さんのために金稼いで……何でも、したのに……なのに、赤音さんは、し、死んで……」

 そう言い切る前に、一くんは「うぅっ」と嗚咽を漏らした。ふ、う、と一くんの息が漏れる。ベッドシーツには私と一くん両方の涙がポタリ、ポタリと落ちて、白いシーツには水分を吸って黒くなったシミがいくつも出来上がっていた。

「一くんは今もそのアカネさんが好きなの?」

 私がそう問いかけると、彼は小さく頷いた。

「――私はそのアカネさんの代わりってこと?」
「………………」
「一くんからのプレゼント、私にはあんまり似合わないデザインが多いなって思ってた。男の人だからそういうのよく分かんないのかなって思って、プレゼントは気持ちが大事だから、って思って有り難く受け取っていたけど、あれは私じゃなくてそのアカネさんのために買っていた物だったってこと?」
「………………」
「私とそのアカネさん、何が似ていたの?」
「………………」
「答えて」
「………………」
「一くん。答えて」
「…………声、が……。赤音さんそっくりだった……」

 声。声ねぇ。一くんは私自身ではなく、私の声をそのアカネさんに重ね合わせていただけだったのか。ああ、そういえばよく考えたら、エッチのときはお互いの顔も見えないくらい部屋を真っ暗にしたがっていたな。後ろからするのも一くんは好きだった。一くんはそういう性癖なんじゃなくて、ただ私の顔を見たくなかっただけだったんだ。私の声だけを聞いて、アカネさんを思い浮かべてしていたんだ。必要なのは私じゃなくて、私の声と穴だけだったんだ。

「――う、」

 胃から食道まで、酸っぱい味が駆け上がっていく。オエッ、と声を上げると同時に、私の口からは白い嘔吐物が溢れ出す。反射的にベッドの外側に顔を背けると、嘔吐物はフローリングの上にベチャベチャと音を立てて落ちていった。

「はっ、……ぅえ、……ごほっ、ごほ……」

 手で濡れた口元を拭う。口の中には酸っぱい味が広がっていて気持ちが悪かった。フローリングに広がった嘔吐物を見ると、また気持ち悪さが喉を上ってきたので慌てて目を背ける。最悪だ。好きな男の前で嘔吐してしまった。
 フローリングに広がったそれを片付けたいと思ったが、どうにも体が重くて動けない。ベッドの上で呆然と虚無を見つめる。

「お、おい……大丈夫か?」
「ッ! 触らないで!」

 突然目の前で嘔吐しだした私を心配した一くんが、私の背をさすろうと手を伸ばす。その手を払い除けると、一くんはひどく傷付いたような表情を浮かべた。どうして一くんはそんなにも傷付いたような顔をするのだろう。傷付いたのは一くんではなく私のほうなのに。被害者ヅラしないでよ。そう思った。
 一くんに対して猛烈な怒りが湧いてくる。傷付いたのは紛れもなく私で、被害者は私だ。私は一くんに一方的に利用された。アカネさんとやらの代替に使われた。対等な人間として見てもらえていなかった。
 ひどい。彼はなんてひどいことをするのだろう。ああ、もう顔も見たくない。

「――もう、嫌。別れよう」
「ッ、それは嫌だ!」

 一くんは声を荒げてそう言った。私よりそのアカネさんとやらが好きなくせに。どうしてそんなことを言うのだろう。

「――無理。もう付き合っていられない」
「なぁ、悪かったって。……次からは、ちゃんとアンタに似合う物をプレゼントするからさ、な? 許してくれよ。なぁ……」
「欲しいのは物なんかじゃないんだけど」
「じゃ、じゃあ金か? カードやるからさ、限度額なんてねぇし。……それで何でも好きな物買っていいから」
「そういうことじゃないよ」
「オレにできることなら何でもするから、考え直してくれよ……。オレにはもう、何も残ってないんだ。アンタまでいなくなったら、オレ、どうすれば……」
「知らないよ。私のことなんて好きじゃなかったくせに」
「……ッ! 好き、だよ。オレは……アンタのことも、ちゃんと……」

 語尾に向かっていくにつれ、一くんの声は小さくなっていく。好きだと言うその言葉が、一くんの本心ではないことがありありと伝わってくる。彼はこの会話の中でまだ私の名前を一度も呼んでくれていない。彼が私を見ていないことは手に取るように分かった。
 胃のあたりがムカムカして、また私は気持ちが悪くなった。唾を飲み込み、その吐き気に耐える。

「……オレにはもう何にも残ってねぇんだよ。オレを独りにしないでくれ……」

 そう言って一くんは私の頬を撫でた。無理やり作った笑顔。引き攣ったその笑みは、見ていて哀れみを覚えるほどだった。

「赤音さんもイヌピーも、もういないんだ。オレには金しか残ってない。金なんていらない。アンタが望むなら金でも物でもいくらでもやるから、だから……」

 私だってお金なんていらない。私が欲しかったのはお金じゃなくて一くんの心だったのに。
 一くんはとても優しくて、いつだって欲しい言葉をくれていた。まるで少女漫画に出てくる白馬の王子様のように。でも、一くんは私の一番欲しかった物はくれなかった。なんてひどい人だ。
 きっと一くんは私の欲しい物をこれからも一生くれることはないのだろう。不必要な物ばかりを与え続けて、私が望んでいる物は与えてはくれないのだろう。私が望んでいる一くんの心は、お金では買えないものだから。

「もう嫌……」

 ――私は本当に一くんのことが好きだったのに。

 一くんに愛されない自分自身が嫌だ。アカネという女に似ている自分の声が嫌だ。私自身を愛してくれない一くんが嫌だ。でももっと嫌なのは、泣いている一くんを追い出せない自分自身だった。


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