たすけてほしい


 メールセンターに問い合わせること数十回目。何度問い合わせをしたところで、新着メールが私のケータイに届くことはなかった。メールは諦めて電話をかける。すぐにツーツー、という通話中であることを示す機械音が鳴る。終了ボタンを押し、もう一度かける。やはり繋がらない。
 使い物にならないケータイを壁に向かって投げると、バキョ、という嫌な音を立ててケータイの破片が飛び散った。欠けた部分からはチップやらコードやら、よく分からない機械が顔を覗かせる。ケータイの液晶画面は真っ黒に消灯し、涙のせいでメイクが落ちてボロボロになった私の醜い顔を映していた。

「なんでよッ! ちょっと引き留めただけじゃん……ッ!!」

 思いの丈を口に出す。大声で叫んでみても、その声は部屋に響いて消えるだけで、何の返事も返ってこなかった。涙があふれて止まらない。近くにあったクッションをケータイと同様に壁に向かって投げる。クッションは、ぱす、という間抜けな音を立てて床に落ちた。ストレス解消にはならず、言いようのない苛立ちが募る。

「ココくん……ッ!!」

 私の心を掻き乱す人物の名を叫ぶ。何度メールを送っても、何度電話をかけても、ココくんには繋がらない。前は一日二通ほど彼からメールが返ってきていたというのに。きっと受信拒否をされてしまっているのだろう。頭では分かっていても、私の心はそれを認められなかった。諦めずにメールを送り続け、返事がないことに落胆する。その繰り返しに疲れ、つい先ほど私はケータイを破壊してしまった。

 事の発端は、私が街で見かけたココくんを引き留めてしまったことにある。私がお金を払ってココくんと食事に行くのと同様、他にも誰かと会っているのかと不安になってしまったのだ。倍のお金を払うから行かないで、と、ココくんの腕を強引に引っ張ったことは覚えている。ココくんの顔がみるみるうちに嫌悪に染まっていくのにも構わず、私は「どこにも行かないで」と喚き散らした。
 しかし、このときココくんが会いに行こうとしていた相手は私のような女ではなかったらしい。彼が暴力をお金に換えていることは知っている。そういう裏関係のお得意様との予定だったらしい。「オマエのせいでお得意様との予定が台無しだ」「オレのメンツを潰してンじゃねぇ」「もう二度とオマエとは会わない」そうココくんは怒鳴った。

 ――そうして私はココくんに関係を断たれた。

 予定に少し遅れるくらいなんだと言うのか。男性はメンツだの顔を立てるだのなんだのとよく言うが、私にはそれの意味が分からなかった。そんなもの人生のなんの役に立つと言うのか。
 私は関係を断たれるほどのことをしたか? たしかに往来で喚いたのは私が悪い。でも、それだけじゃないか。ここまで怒られるようなことをした覚えはない。ココくんがどうしてこんなに怒るのか、私にはまったく理解ができなかった。

 家で繋がらないケータイを眺めていても埒が明かない。直接ココくんに会いに行って、私の気持ちを分かってもらわなければ。


 ◇◇◇


 黒龍は街で有名な不良集団だ。少しヤンチャしていそうな男の子に声を掛ければ、すぐに黒龍の溜まり場が判明した。ここは女の来る場所じゃねぇ、なんて脅してくる輩もいたが、その手にお金を握らせたらみんな黙ってくれた。理解があって助かる。
 九井一くんに会いたいんだけど、そう言ってまたお金を握らせれば、親切な彼らはココくんのいる場所まで案内してくれた。

「ココくん……!」

 白い特攻服に身を包んだ彼を見つけ、思わず声が上がる。私と会うときはいつも私服だったから特攻服姿は新鮮だ。これも似合っていて可愛い。
 私の存在に気付いたココくんは目を大きく見開いた。彼はもともと三白眼だったが、目を見開くことでより瞳が小さく見えて、その顔がなんだか面白かった。ウキウキで彼に近付く私とは対照的に、ココくんは驚愕の表情を浮かべながら後ずさる。

「なっ、ンで、アンタがここにいんだよ……ッ!?」
「だってメールも電話も繋がらないんだもん。会いに来るしかないじゃん」
「フツーはそこで諦めるんだよ!」
「やだ。無理。諦められない。私はココくんに会いたかったの」

 私がそう言うと、ココくんは顔を青褪めさせながら「頭おかしいだろ」と呟いた。私は自分の頭がおかしいという自覚は一ミリもないけれど、ココくんがそう言うのであればそうなのかもしれない。恋は人を狂わせる。きっとそういうことだ。

「どうして連絡くれなかったの?」
「するわけねぇだろ! 二度と会わないってオレ言ったよな!?」
「お金は払うよ。私は会いたいんだもん」
「〜〜〜〜……ッ!!」

 ココくんは言葉を失ったように口を開けたり閉じたりしている。ココくんが何故そんな顔をするのか分からない。私が一歩近付くと、彼は一歩後ずさった。彼との距離が縮まらないことが悲しい。また近付こうとしたとき、私の首元にナイフが突き立てられた。

「おいテメー、それ以上ココに近付くんじゃねぇぞ」
「…………」

 横目で私にナイフを突き立てる人物を見る。その人は綺麗な顔をしているが、顔の四分の一ほどに大きな火傷跡が残っていた。その跡さえなければとてもモテそうな顔だ。もっとも、私にとってはココくん以外はどうでもいいので彼の顔に興味はないのだが。
 そんな彼は眉間にしわを寄せ、思いきり私を睨みつけている。ココくんが「イヌピー!」と叫んだので、私にナイフを突き立てている彼がココくんから聞いていたイヌピーくんだということを悟った。不思議くんだと聞いていたが、実物は思ったより殺伐としているんだな、なんて思った。

「ナイフ下ろしてよ。私はココくんと話がしたいだけなの」
「黙れ。殺すぞ」
「危害を加えるつもりはないよ。話し合いたいだけだってば」
「本気で殺しはしないと思ってンのか? 女だからって容赦しねぇぞ」
「…………」

 話の通じなさに辟易する。どうして私の邪魔をするのだろう。ココくんの騎士にでもなったつもりか? ナイトだけにナイフ使いってか。つまらない冗談だ。
 イヌピーくんと睨み合うことに飽きてココくんのほうを向くと、私の視線に気付いたココくんはビクリと体を跳ねさせた。そして「マジでなんなんだよオマエ」と震えた声を上げる。

「金目的で近付いてくンならまだ分かる。オレに近付く奴ァみんなそうだ。でもオマエは違うだろ。金払ってまでオレと会いたい理由が分かんねぇ」
「……ココく、」
「何がしたいんだよマジで! オレの何がそんなに良いワケ!? 他にも男はいくらでもいンだろ! 怖ェよオマエ!!」

 ――他にも男はいる。
 そんなことを言われても困る。だって、ココくんはこの世にたった一人しかいないではないか。他の人ではダメなのだ。ココくんでないと意味がない。他の人間に価値などありはしないのに。どうしてそれを分かってくれないのだろう。私はココくんが好きだからここにいる。ココくんが好きだからお金を出している。ただそれだけなのに。

「だって、私はココくんのことが好きなんだもん……」
「聞きたくねぇよ! もうオマエの顔も見たくない! 二度とオレに近付くんじゃねぇ!!」

 ココくんがそう叫ぶ。そして、「二度とオレらに近付けねぇようにしろ!」と近くにいる不良たちに指示を出すと、彼らはすぐさま私を殴り倒した。殴られた左頬がジンジンと熱を持っている。彼らは倒れた私に蹴りを入れた。
 不良集団による暴行を受けながら、私は「ココくんに殺されるのなら本望なのに」と思った。どうして他人に手を下させるのだろう。ココくんに殴る価値もないと思われた自分がひどく悲しくて惨めで、私は泣いた。


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