きみがほしい


「都合良く使われてるだけだって。もうやめておきなよ」

 友人に言われた言葉がふと頭をよぎった。たしかに私のやっていることは不健全かもしれない。世間一般的に見たら間違っていることなのだろう。だが、友人のその言葉も、世間の常識も、目の前にいる彼の顔を見るだけで霧散する。
 私の視線に気付いたココくんは、テーブルに広げられた料理に向けていた視線を上げて私を見た。三白眼の瞳が私を射抜き、思わず胸が高鳴る。

「……なに、オレの顔に何か付いてる?」
「ううん、なんでもないの。可愛いなぁと思って」
「オレにそんなこと言うのはアンタだけだよ」

 ココくんはぺろりと舌を出しながらそう言った。舌を出すのは彼の癖だ。その表情は実家で飼っていた黒猫を彷彿とさせ、私はそれを見るだけでいつも温かい気持ちになる。ココくんは本当に猫みたいで可愛らしい。もっとも、実家の猫はただ単純に舌をしまい忘れているだけのおバカちゃんだったので、頭の良いココくんとは似ても似つかないのだが。

「ココくん、他になにか食べたいものある? 何でも頼んでいいよ」
「んー……、じゃあこれ。デザート食べたい」
「もちろん! 頼んじゃうね」

 片手をあげて近くに待機していたウェイターを呼び、ココくんが食べたいと言ったデザートをすぐさま注文する。厨房へとオーダーを通しに行ったウェイターの背中を見送ってからココくんのほうへと向き直ると、ニコリと微笑む彼と目が合った。

「いつもご馳走サマです」
「全然。私はココくんが美味しそうに食べるところを見ているだけで嬉しいから」
「ホント変な趣味だよ。何度聞いても理解できねぇ」
「えぇー、どこがよ」
「全部」

 ココくんはそう言うが、好きなものは好きなのだ。彼は見た目に反して大食いで、私一人では到底食べきれないほどの量を軽々と食べてしまう。その様は見ていてとても気持ちが良かった。会うたびに食べているのにまったく太る様子がないのも、若さの神秘を感じられて非常に良い。羨ましいくらいだ。
 私がご馳走したこれらがココくんの血となり肉となり、彼の成長へとつながる。そう考えるだけで、興奮で足が震えた。
 ――ああ、私は本当にココくんが好きだ。

 ココくんがオーダーした料理をすべて平らげ終わるのは解散の時間が近付いた合図だった。テーブルに広げられていた料理も空になった順に片付けられていき、今ではもうすっかり綺麗になっている。しばらくしてウェイターの持ってきた伝票を手に取る。記載された金額をチラリと見てから、カードで、と一言。領収書にサインをしてウェイターが会計の手続きをしているのを待つ間に、鞄から取り出した封筒を忘れずにココくんに渡す。ココくんはそれを受け取り、ぺろりと舌を出す。

「毎度ドーモ」
「こちらこそ。一応合ってるか確認してもらっていい?」

 私がそう言うと、ココくんは封筒を開けて中を見た。封筒から取り出した万札を一、二、三…と小声で枚数を数えるココくんの姿すら、私の目には可愛く見えた。

「十万、確かに。アンタのおかげでいつも助かってるよ」
「ふふ、それで好きなものでも買いなね」

 私と彼の関係は世間から見れば後ろ指をさされるものだろう。少し前に流行っていた援助交際と呼ばれるものに似ている。もっとも私は彼に肉体関係を求める気はないので、それよりは幾分か上等な関係だと思いたいが。
 私はただココくんの力になりたいだけだ。私のご馳走したもので彼の血肉を作り、私のあげたお金で生活をしてほしいだけ。これは紛れもない愛なのだ。世間に後ろ指をさされようが、友人からやめろと忠告されようが、貯金の額が一桁も二桁も減ろうが、私はそれで満足だった。


 ◇◇◇


「目ぇ覚ませよココ!! 赤音はもう死んだんだ!」
「うるせぇよイヌピー。オレに近づく奴ぁみんな金! それでいいんだよ!!」
「ココ!!」

 街でココくんを見かけて会話を盗み聞いてしまったときから、家に帰るまでの記憶が一切ない。いつの間にか私は自宅に帰っており、硬い床の上に転がっていた。夕日はすっかり落ちて部屋は暗闇に包まれ始めていたが、電気をつける元気すら私にはなかった。雨戸も閉めなければ、そう思うが体が動かない。近所の家の灯りが窓からわずかに差し込み、ベッドの下に溜まった埃を照らしている。次の週末に掃除しなきゃ、と、ぼんやりと思った。

「アカネって誰よ……」

 ぽつりと呟く。知らない女の名前だ。そんな名前、一度も聞いたことがない。
 ココくんと喋っていた男の子は、おそらくイヌピーくんと呼ばれる子だ。何度かココくんから聞いたことがある。幼馴染で、注射で血を抜かれる瞬間が好きな変な子だと聞いた。ココくんは注射が嫌いだから「イヌピーの趣味は理解できない」と言っていたのを覚えている。いや、それだけじゃない。私はココくんから聞いた話はすべて覚えている。黒龍という不良チームに入っていることも、あまり良くない方法でお金を稼いでいることも、全部覚えている。私がココくんから聞いた話を忘れるわけがない。だって私はココくんのことが好きなのだから。

 それなのにアカネという名前に覚えがないということは、ココくんは私にその話を意図的に伏せていたということに他ならない。ココくんがお金を稼いでいたのは、そのアカネという女のため。私が彼に渡していたお金もすべて、彼女のために集められたものだった。それを、彼は隠していた。
 私は何も知らずにせっせとお金を渡して、その女の物になるとも知らずに「ココくんの生活の足しになれば」なんて思っていた。バッカみたい。あり得ない。死んでしまいたい。

「うぅあああっ」

 胸の辺りがムカムカとする。それを誤魔化すように叫ぶと一瞬だけ楽になったが、口を閉じるとすぐにムカムカはぶり返した。心臓もドクドクと脈を打っている。
 鼓動に合わせて呼吸をすると、はっはっ、とどんどん息が浅くなっていき、正常な呼吸ができなくなってしまった。体はどんどんおかしくなっていくのに頭だけは妙に冷静で、「あ、過呼吸だ」なんて自分の症状をまるで他人事のように見ていた。
 息を吸っても吸っても苦しくて、次第に唇が痺れ始める。脳天も痺れていく。正座したあとに足先が痺れるように、唇と脳天がぞわぞわとする。息苦しさに焦って息を吸い込むと、苦しさはもっとひどくなった。

「もうやだっ! うっ、うぁ……はぁっ、は……ッ! もうやだぁ……ッ!!」

 苦しみから逃れるために叫ぶ。無駄だった。息苦しさも胸に埋まった鉛のような苦しさも、どちらも私を掴んで離さない。
 私の恋心はどうなる? 失った貯金は? 私は明日から何を支えにして生きればいい? こんな風に苦しむ自分すら気持ち悪い。ココくんだってそのアカネという人のことで苦しみながらお金を集めているのに、私は自分の心配ばっかりだ。ああ、おぞましい。

 あんなにもキラキラと輝いていた思い出が崩れていく絶望に私は耐えられない。思い出は綺麗なままでいてほしかった。醜く崩れて消えていくくらいなら恋なんてしたくなかった。
 せめて私に貯金さえ残っていればまだ耐えられたかもしれない。この恋心がなくなってしまったら、私には何も残らない。恋心も、時間もお金も、なにもかも失ってしまう。空っぽだ。私は何も残さないまま独り寂しく死ぬのかもしれない。そう思ったら、ゾッと背筋に悪寒が走った。

「ウッ! オエ……ッ、オ゛エ゛ッ!!」

 過呼吸を長く続けていたせいだろうか、胃液が汚い音を立てて私の口から吐き出された。生臭くて酸っぱい味が喉と口の中にまとわりつく。口いっぱいに広がった酸っぱい味でまた気持ちが悪くなった。

 ――床を汚すこの胃液が、胃液じゃなくて石油だったらココくんに貢げたのにな。

 こんな風になってもまだココくんを好きでいる自分が醜悪な化け物のように思えて、私はまた吐いた。震える手で携帯電話を取り出し、メールを開く。涙で歪んだ視界に震える指先。文章を打つのが途方もないくらいに難しく感じたが、やっとの思いで「ココくん会いたいです」と入力する。

 この苦しみから逃れられるならもうなんでも良かった。それが更なる苦しみの上塗りだとしても。きっと彼と一緒にいる時間だけは救われるはずだから。
 返事の来ない携帯電話を握り締め、私はまた吐いた。



原作だとココとイヌピーの会話は抗争中のなので聞くの無理だろって感じですけど、細かいことは気にせずパッションで読んでくれると嬉しいです。




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