廃課金


※モブ視点


【同級生Aの証言】


 隣のクラスの田中と付き合っているりっちゃんが、「ねぇ見て」と胸元のネックレスを指ですくって私に見せた。

「誕生日プレゼント貰ったの。いいでしょ」
「えー、いいじゃん! 羨ましい!」
「うふふ、でしょー」

 蝶のモチーフのネックレスが輝く。それは学生の買える範囲のアクセサリーの中では奮発した物のように見えた。大人と違ってお金のない私たちにとっては、数千円のアクセサリーだとしても買うのには一苦労だった。きっと田中は、愛するりっちゃんのためにバイト代を貯めてこのネックレスを買ったのだろう。愛してくれる彼氏がいるっていいなぁ、そんな風に微笑ましい気持ちでりっちゃんを見ていると、

「恋人自慢してんならオレも混ぜろよ」

 前の席に座っていた灰谷くんが急にそう言いながらこちらを振り返った。紙パックに刺したストローを咥えながら、彼はニヤリと口角を上げて私たちを見ている。不良の灰谷くんに話し掛けられて私とりっちゃんの間には緊張が走ったが、灰谷くんにはそんな私たちの反応はどうでもいいらしい。彼はお構いなしに言葉を続ける。

「オレも誕生日近いからピアス貰ったの。見てよ」

 灰谷くんは左耳に付けられたピアスを指で転がす。彼の耳に付けられたゴールドのピアスには黒のラインが入っていて、シンプルながら高級そうなデザインをしていた。これが友達相手だったら「もっと近くで見せて」なんて言えるが、不良の灰谷くん相手にそんなことはできない。怖がっていることを必死で隠しながら、私は「すごいですね」なんて褒め言葉を吐く。

「いいだろ。これ三十万くらいすんの」
「さっ――、三十万!? たっか!」

 驚きすぎて思わずタメ口が出てしまった。慌てて口を押えるも、灰谷くんは特に気を悪くした様子もなく「そ、ブランド物だからさ」と自慢げに言葉を続ける。

「ナマエは社会人だから何でも買ってくれんの」

 唐突に出された知らない名前。灰谷くんの口に出したナマエと言うのは、彼の恋人の名前だろうか? 社会人だと言うが、学生相手に何十万もする物をポンと買ってあげるだなんて、灰谷くんの恋人とは一体どんな人なのだろう。ウチの親は五、六千円のゲームですらなかなか買ってくれないと言うのに。

「灰谷くんはすごい人と付き合ってるんだね」
「逆だろ。ナマエに貢がれてるオレがすごいの」

 オレみたいなカリスマと付き合いたいなら金使うのは当たり前だから。灰谷くんはそう言った。しかしそんな言葉とは裏腹に、灰谷くんのその顔はとても嬉しそうに見えた。彼氏から貰ったネックレスを自慢していた先ほどのりっちゃんと同じような表情で、灰谷くんは自身のピアスを触っている。

 よほどナマエさんという人からのプレゼントが嬉しかったのだろう。灰谷くんはきっとこのピアスを誰かに自慢したかったのだ。タイミング良くりっちゃんがプレゼント自慢をしていたものだから、灰谷くんは嬉々として私たちの会話に割り込んできた。自分の恋人からのプレゼントを自慢するために。

 怖い不良だとばかり思っていた灰谷くんにこんな一面があるなんて知らなかった。灰谷くんにも可愛いところあるじゃん、と思うのと同時に、数千円のプレゼントで満足している私たちの前で数十万のプレゼントを自慢してくるのは少し空気読めてないな、とも思った。もちろん私にはそんなこと言えないけれど。



【不良Bの証言】


 蘭くんにはナマエさんと言う年上の恋人がいるらしい。いや、蘭くんの話を聞いている限り恋人とは名ばかりで、ナマエさんはただの金ヅルなのかもしれない。蘭くんの左耳に鎮座しているピアスはナマエさんが買ったウン十万するブランド物。それ以外にも毎回バカみたいに高いホテルでディナーを奢らせて、ブランド物をねだって、オマケに小遣いも貰ってと、かなりの額を使わせているらしい。自分だったら気後れしてしまいそうな額だが、蘭くんは「オレみたいなカリスマと一緒にいられンだからナマエが金出すのは当然なの」なんて言って片頬を上げて笑っていた。

 そんな調子で蘭くんが奢らせた自慢をしてくるものだから、仲間内では「ナマエさんは蘭くんの財布」という共通認識が出来上がっていた。恋人でも援助交際などでもなく、きっとナマエさんは蘭くんの信者や奴隷に近い存在なのだろう。自分を含め、みんなそんな風に思っていた。


 ◇


 クラブで酒を飲みながら談笑している最中、酔いが回ったらしい鈴木が突然「オレ今すげぇ金欠でぇ」なんて愚痴を言い出し始める。鈴木が酒の入ったプラカップをダン、とテーブルに叩き付けるように勢いよく置いたものだから、酒のしずくが蘭くんの目の前のテーブルに飛んだ。目の悪い蘭くんには飛んだしずくは見えていないかもしれない。だが万が一のことを考え、彼が機嫌を悪くする前にサッとおしぼりでテーブルを拭く。酔った鈴木にはそんな自分の気遣いは見えていないようだった。

「オレも蘭さんみてぇーに金出してくれるパトロン欲しいッスよぉ」
「…………」
「ナマエさん、でしたっけ? オレにも蘭さんの財布ちょっと貸してくれませんか?」

 黙って鈴木の話を聞いていた蘭くんの眉がピクリと動く。鈴木は蘭くんの表情変化には気付いていない。おい、やめておけ。自分がそう口を挟むより早く、鈴木は言葉を続けた。

「オレ、どーっしても欲しいモンあって! 一回でいいんスよ! 蘭さんからナマエさんに頼んでもらえませんか!?」
「あぁ?」

 低く唸るように発された蘭くんの声。蘭くんの眉間に刻まれたしわはより深くなる。それは蘭くんの機嫌が急降下したことを示していた。

「なんでオレがテメーなんかにナマエを貸さなきゃなんねぇんだよ」

 そう言い終わるや否や、鈴木の頭を掴んだ蘭くんはそのまま腕を振り下ろし、鈴木の頭をテーブルに叩き付けた。鈴木の「ぎゃっ」だか「ぴゃっ」だか分からない鳴き声のような悲鳴に混じって、ガァンと頭蓋骨がテーブルに衝突する音が響く。

「ナマエはオレだけの物なワケ。オレ専用の財布なのにさー、他人に金使うことを許すと思う? 許すワケねぇだろ。聞いてんの? おいコラ、何とか言えよ」
「ず、ずみばぜ……ッ!」
「あ? 聞こえねぇーよ」

 そう言う蘭くんの口調はいつもと同じ、ローテンションで低い声音だった。しかしその落ち着いた口調とは反対に、蘭くんは謝る鈴木の頭を何度もテーブルに叩き付けている。コップに入っていた酒は倒れてこぼれ、鈴木の流した血と混ざり合う。

「ちょ、ちょい待ち蘭くん! それ以上やったら鈴木死んじゃうって!」

 慌てて蘭くんの腕にしがみついてそう叫ぶ。蘭くんはチラリと自分に視線を送ったのち、「気安くオレに触んな」と一言呟いて頬を殴り付けた。蘭くんに殴られた自分が倒れる際、体がテーブルにぶつかって机ごとひっくり返ってしまった。ガシャアンと大きな音が響くも、それ以外の音はなくその場はシンと静まり返っていて、誰もが固唾を飲んで蘭くんの凶行を見守っていた。

「萎えた。帰る」

 静寂を破ったのは蘭くんのその一言。ズボンのポケットから取り出したケータイで誰かに電話をかけながら、蘭くんは自分らには一瞥もくれずに出口へ向かって歩き出す。

「あ、ナマエ? うん、蘭だけど。今からナマエン家行っていー? 迎えに来てよ、今すぐ。うん、うん……そ、いつものとこで。待ってるからさ」

 電話をかけた相手は件のナマエさんらしい。蘭くんは先ほどまで鈴木をボコボコにして、ついでに自分まで殴り付けたとは思えないほど、優しい声音で電話をしていた。

 ――蘭くんがナマエさんを財布と呼んでいたのはただの照れ隠しで、蘭くんは本当はナマエさんのことが好きだったのかもしれない。

 自分たちはそれに気付くのが遅すぎた。ナマエさんに対する認識を改めないと、次こそは蘭くんに殺されるかもしれない。そんなことを考えながら、自分はクラブから出ていく蘭くんの背中を見ていた。



【弟Rの証言】


 普段であれば不機嫌かニヤニヤと笑っているかの二択な兄ちゃんが、今日は珍しく落ち込んだ表情をしていた。暗い顔をした兄ちゃんがリビングのソファにいるものだから、それに合わせて部屋の空気がどんよりと重くなる。――空気悪くすんのやめてほしいな。

 買ってきたばかりのレコードを流してフロア(家)をぶち上げようと思っていたが、それをしたら兄ちゃんにウルセェと怒られそうだ。機嫌が悪いときは容赦なくぶん殴ってくるから嫌なんだよなぁ、なんて思いつつ、オレはレコードを諦めてソファに座る。

「兄ちゃん、なに落ち込んでんの?」
「ナマエが……」
「は? ナマエさんがなに?」
「ナマエがオレの知らねぇ奴とファミレスにいた……」

 まるでこの世の終わりかのように兄ちゃんは話すが、その内容があまりにもくだらなさすぎて、オレは思わずソファから転げ落ちそうになった。ナマエさんがファミレスにいることの何が悪いのか。兄ちゃん以外の男と食事することの何が悪いのか。たしかナマエさんは社会人だったはず。職場の人間だとか、友達だとか、誰かと行動を共にしていても不思議ではない。

「ナマエさんだってファミレスくらい行くだろ」
「……行かねぇよ。ナマエがオレと出掛けるときはいつもホテルディナーか三つ星レストランだし」
「兄ちゃんのために奮発してただけなんじゃねぇの?」
「若い男と一緒で、ナマエすげぇ楽しそうだった」

 兄ちゃんの言葉はオレの言葉と微妙に噛み合っていない。きっと兄ちゃんは会話がしたいのではなく、ただ話を聞いてほしいだけなのだろう。それを察して口をつぐむ。

「知らねぇ男と一緒なのにムカついたから電話掛けたのにナマエ出なかったし。何回も掛けてやっと出たと思ったら『今は用事あるからごめん』って切られるし。いつもならオレを優先してくれんのに。オレから別の男に鞍替えするつもりならナマエのこと殺してやりてぇんだけど」
「おっも! 兄ちゃん流石にそれは重すぎるって。てか、まだそうと決まったワケじゃねぇだろ」
「…………」
「あんま考えすぎんなよ! なっ!?」

 弟であるはずのオレがどうして兄を慰めてやらねばならんのか。そう思いつつも、いまだ暗い表情の兄ちゃんに対して慰めの言葉を掛け続ける。

「つーか、別に心配いらなくね? ナマエさんが兄ちゃんみたいなスター性ダダ漏れてる男と別れられると思わないけど」
「…………」
「何がそんなに心配なワケ?」
「……ナマエが」
「うん」
「普段行かねぇファミレスとか行っちゃうくらい、あの男のことが好きだったらどうすんだよ」
「はぁ?」
「オレとは一度も行ったことないくせに」

 だからナマエさんだってファミレスくらい行くし、ただ兄ちゃんの前ではカッコつけて高えメシ奢ってくれてただけじゃないの。てか、そもそも浮気と決まったワケでもねぇだろ。そう思ったが、兄ちゃんは完全にナマエさんの浮気だと思い込んでいるらしい。なら殴り込みに行くでも問い詰めるでもすれば良いものを、そうしないのは惚れた弱みがあるからだろうか。こんな兄ちゃんは見たことがない。明日は槍が降るかもしんねぇな、そんなことを思う。

 しかし、だんだん兄ちゃんの話を聞くのが面倒になってきた。部屋の空気を悪くされんのも困るし、ていうか買ったレコード早く聴きたいし。そう思って尻ポケットに入れていたケータイを取り出し、ナマエさん宛てにメールを打つ。兄ちゃんが日和っているのであればオレが直接ナマエさんに確認するしかない。

『ナマエさんが男とファミレスいたの見たけどあれ誰?』

 それだけのメールを送ると、すぐに返事が来た。ナマエさんからの返信のメールには「弟だよ」とだけ書いてある。メールに添付された写真を開くと、そこにはナマエさんとナマエさんによく似た若い男が写っていた。これだけ似ているのならすぐに兄弟だと気付きそうなのにと思ったが、そういえば兄ちゃんは目が悪いんだった、と思い直す。普段あんなにカッコつけてる兄ちゃんが勘違いでこんなにも落ち込んでいると思ったら、なんだか面白いような気がしてきた。笑いそうになる表情筋を必死で抑え、オレは真実を兄ちゃんに伝えるべく口を開く。

「兄ちゃん、あれナマエさんの弟だって」
「あ? なんで竜胆がンなこと知ってんだよ」
「ナマエさんと超似ててウケるぜ」

 ほら、とケータイを兄ちゃんに向ける。眉間にしわを寄せながらオレからケータイを受け取った兄ちゃんは、画面いっぱいに表示された写真をまじまじと見つめていた。

「良かったな浮気じゃなくて。てか、ナマエさんって弟いたんだな」
「…………」
「良かったじゃん。これで元気出た?」
「……竜胆」
「なに? お礼なら酒でいいぜ」
「なんでオレに黙ってナマエとメアド交換してんだよ」
「えっ」
「オレ刺青も特攻服も竜胆とオソロにしてっけどさ、さすがにナマエのシェアは嫌なんだけど?」
「いや、そんなんじゃねぇけど!?」

 慌てて首を左右に振って否定すると、兄ちゃんはフッと鼻で笑って「バーカ、冗談だよ」と言った。
 突然ドスの効いた声を出されるモンだから地雷を踏んだかと思って焦ってしまった。冗談と本気の見分けが付かない。兄ちゃんのそういうところは嫌いだ。

「浮気じゃなくてナマエの弟だって分かったから今回は特別に許してやるけど、次はねぇから気を付けろよ、竜胆」

 そう言って兄ちゃんは上機嫌に部屋へと戻って行った。さっきまでの落ち込み具合がまるで嘘のようだ。
 兄ちゃんがナマエさんのことが好きなのは分かるけど、間に入るオレの苦労も考えろよ。と、そう思った。オレは兄ちゃんのこういうところも嫌いだ。


- ナノ -