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 連れてこられた彼らの家はいわゆるタワーマンションと呼ばれるものの高層階で、玄関ですら布団を敷いて眠ることができそうなほどに広かった。芸能人のお宅訪問ツアーの番組でしか見たことがないような部屋だ。自身の安全すら保障されていない状況にも関わらず、私はその部屋の広さに思わず感動してしまった。
 リビングルームに通されると、広いソファがまず目についた。それから部屋の隅には、捨てられていないゴミの袋が。そういえば蘭くんたちの家は汚かったな、とぼんやりと思い出す。流石に蘭くんの自室は整頓されていたが、弟との共用部分にはゴミや空き瓶が無造作に置かれていて、男性の家とはこんなものなのか、と驚いた記憶がある。

 昔を思い出している場合ではない。広すぎるこの部屋に私の居場所はないように感じてしまって、私はただその場に立ち尽くす。一人暮らしの狭い自宅にはたくさんの家具が所狭しと並んでいたが、それと違ってこの部屋は余白が多すぎて寒々しさすら感じた。
 壁際でゴミ袋の隣に並ぶのは違うような気がするし、だからと言って部屋の真ん中にあるソファに座るのも違う気がする。そもそも、私は彼らの許可もなく座って良いものなのだろうか。勝手に座るなんて生意気だ、と怒られたりはしないだろうか。

 身の振り方が分からず困惑する私とは対照的に、蘭くんと竜胆くんは革張りの高級そうなソファーの背もたれ部分にこれまた高級そうなスーツのジャケットを雑にかけ、どっかりと座る。私が委縮してしまうほどの広さも、高級そうな品々も、彼らにとっては日常の一部でしかないということが一目で分かった。
 ネクタイを緩めながらホッと息をついた竜胆くんが立ち尽くす私の存在に気付くと、彼はその整った眉間にしわを寄せ、蘭くんのほうを向きながら私を指差した。

「……兄貴、#nam1e#さん困ってるよ。座らせてやれば?」
「あー? うわ、本当だウケる。ナマエちゃん何してんの? こっちおいでよ」

 蘭くんは竜胆くんに言われてやっと私が困っていることに気付いたらしい。他人に対してあまり気を使わない所は昔と変わっていなかった。
 おいで、と呼ばれるがまま蘭くんに近寄る。これは私もソファーに座れということだろうか。恐々としながら蘭くんの隣に腰を下ろそうとすると、蘭くんは私の体を掴んで強制的に私を自分の足の間に座らせた。後ろから抱きしめられ、背中には蘭くんの体温を感じる。彼はどうしてこんなことをするのだろう。緊張で体が固まる。
 そんな私たちを真横で見ていた竜胆くんはその綺麗な顔を思い切り歪め、うぇ、と舌を出した。

「目の前でイチャイチャすんのやめろよ」
「はは、羨ましいかー?」
「いや、自分の年齢考えてほしいなって思う。正直ちょっと痛い」
「ンだとコラ」

 竜胆くんは「だって本当のことじゃん」と呟きながら、ポケットから取り出したスマホに目を落とす。もうこれ以上は話すつもりはないということなのだろう。
 蘭くんもそれ以上は竜胆くんに対して何を言うでもなく、「ナマエちゃん」と私の名を呼びながら私の肩に自分の顎を乗せた。

「今日からここが新しい家になるんだからそんな緊張してんじゃねーよ」
「……ッ! う、うん」
「部屋にあるモン自由に使っていいからさ」
「……分かった。ありがとう」

 そう返事をすると、蘭くんは私の頭を撫でた。そのまま彼の手は私の頭頂部から後頭部へとするすると降りていき、ついには首に触れる。人体の急所に触れられ、本能的に体に緊張が走った。この指が私の首を絞めたらきっと私は成す術もなく死んでしまうだろう。そう思うと、嫌な汗が背中を流れた。
 私がビクリと体を震わせたことに気付いたのか、背後から蘭くんが小さく鼻で笑う音が耳に届く。

「昔はオレのこと信用しきってたのにな」

 蘭くんはそう小さく呟いた。そしてその直後、「暑くなってきたから向こう行ってろ」と言って蘭くんは私をソファーから突き落とした。ガン、と突き落とされた拍子に私の膝がフローリングを強打する音が響く。何故こんなことをするのか。突き落とすくらいだったら初めから膝になんて乗せなければいいのに。蘭くんの行動理由が分からないが、膝に感じる痛みだけは分かる。悶絶しながら横目でドン引きする竜胆くんの顔が見えて、私は悲しくなった。


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