別名猫を被った悪魔でーす


「ミョウジさんのことキショい目で見てんじゃねぇぞこのクソカス猿がァ!!」

 昼休みの時間中、突然聞こえてきたその怒声に思わず飲んでいたお茶を吹き出してしまった。クラスメイトの視線が一斉に私に集まる。その視線の由来は私がお茶を吹き出したからだけではない。あの怒声に含まれていたミョウジと言うのが、何を隠そう私の苗字だったからだ。そして恐らくこの怒声の持ち主は私を慕ってくれている後輩――三途くんのものだ。彼が暴れ馬と呼ばれるほどの不良であることは学校中の誰もが知っている。そんな彼が何故か私に懐いてくれていることも、一部の(主に私の周りの)人の間では有名だった。そのため、あの怒声に含まれるミョウジというのが私のことを指していることは明らかだ。クラスメイトから私に向けられた視線は「早くあいつを止めてこい」とでも言いたそうなもので、私はどうしようもなく恥ずかしい気分になった。

「言い訳してんじゃねぇぞコラ! テメーのカスみてぇな発言はバッチリ耳に届いてんだよォ!」

 声の遠さからして、恐らく三途くんのいる場所は廊下なのだろう。廊下からここまで聞こえるほどって、彼の肺活量は一体どうなっているのだろうか。普段の声量はどちらかと言えば小さいほうなのに。と言うか、怒鳴られた相手の鼓膜は大丈夫なのだろうか。至近距離であの大声を食らったら無事では済まなさそうだが。そもそも、学年が違うのに三途くんは一体何故ここにいるのか。そんなことを考えて現実逃避しようとするも、なおも聞こえてくる怒声によって、私はまた現実に引き戻される。

「なァにが『ミョウジってエロいよな』だこのマスカキ野郎……! ミョウジさんのこと視姦してんじゃねぇぞクソが……!」

 聞きたくない単語が次々に耳へと飛び込んできて、私は思わず頭を抱えた。それと同時にクラスメイトのヒソヒソと遠巻きに噂する声も聞こえてくる。恥ずかしい。穴があったら入りたい。そんな気分だ。

「ヒィ……ッ! す、すいません!!」

「謝って済むわけねえだろォが! ミョウジさんの周りウロチョロしやがって、テメーが何度も写真に写り込んでンのは把握してんだよこっちは!」

「な、何の話ですか……!?」

「しらばっくれンじゃねえ!」

「ヒィィッ!!」

 それを聞きながら、私は三途くんに詰められている男子と同じ気持ちになった。
 ――写真って何のこと?
 私には三途くんと一緒に写真を撮った覚えなんて一切ないのだが。何度も、と言う言葉からそれが一枚二枚の話ではないことだけは分かる。もちろん、私には写真を撮られた覚えなんて一切ないけれど。
 三途くんに写真のことを確認したいのもあるが、それ以上に「そろそろ三途くんを止めたほうが良いかもしれない」という気持ちが私にはあった。三途くんの怒声はどんどんとヒートアップしている。うっかり傷害沙汰にでもなったら大変だ。三途くんが心配なのもあるが正直、私がクラスメイトからの突き刺さるような視線に耐えられなくなった、という理由のほうが大きいのだが。

 教室を出て廊下へと進むと、すぐに人だかりが出来ているのが見えた。すみません、なんて言いながら人の波を縫うように進む。人だかりの中心部には三途くんと、私のクラスメイトである山田くんがいた。山田くんは三途くんに胸倉を掴まれながら半ベソをかいている。そんな山田くんのその姿には憐れみすら覚えた。普段はおちゃらけていて明るいはずの山田くんが、顔を真っ青にして三途くんに向かって「スイマセン、スイマセン!」と繰り返し謝っている。

「三途くん! 山田くんのこと離してあげて!」

「あ、ミョウジさん」

 三途くんが手を離すと、山田くんはその場にドサリと尻もちをついた。そして情けない悲鳴を上げながら、彼は這いつくばるようにしてその場から逃げていく。そんな山田くんの姿は三途くんの目には入っていないようだった。三途くんは私をまっすぐに見つめながら、こちらに素早く近寄ってくる。

「偶然ですね。オレ、今からミョウジさんに会いに行こうと思ってたんです」

 先ほどまで怒声を上げていた人物と同じだとは思えないほど、三途くんは低く落ち着いた声で語り出した。彼は長いまつ毛で縁取られた目を細め、笑顔を浮かべている。山田くんに暴行一歩手前の怒声を浴びせたことは微塵も悪いとは思っていなさそうだ。

「いや、あの……山田くんと何かあったの?」

「ああ、さっきのクソカ……いや、ミョウジさんに付いていた悪い虫はオレが払っておきました」

「悪い虫って……クラスメイトなんだけど」

「ていうかココ、人多いですね。どこか静かなところ行きませんか? オレ人混み嫌いなんで」

 人だかりが出来ているのは三途くんが騒いだせいなのだけど、と思ったけれど、当の三途くんは自分が原因であるとは微塵も思っていなさそうな顔をしている。なんなんだ、本当に。
 だが、私が真に指摘しなければならないのは人だかりの件ではない。例の『写真』とは何のことなのか。それを確認するため、意を決して口を開く。

「あのさ、三途くん……さっきの話なんだけど」

「なんですか?」

「写真ってなんのこと? 私たち、一緒に撮ったことないよね?」

「…………」

「……三途くん?」

「ミョウジさん、チーズケーキ好きですか? 隊長と一緒に食ったのが美味かったんでミョウジさんにも食べてほしいなってオレ思ったんですけど」

「なんで話変えたの!?」

「コー〇ーコーナーって知ってます?」

「知ってるけど! 話変えるのやめて!?」

「教師に見つかる前に行きましょう。ミョウジさんの荷物はまだ教室ですよね」

 三途くんに私の声は聞こえていないのだろうか。三途くんが私の教室へ向かって歩みを進めると、人だかりは三途くんを避けるようにして引いて行った。まるでモーセの海割りだ。呆気にとられる私へと振り返り、三途くんは「ミョウジさん早く行きますよ」なんて言って急かした。
 三途くんのこの我の強さは何なのだろうか。こうなってしまったら何を言っても聞かないんだよな、なんて思いながら仕方なく三途くんの後を追えば、彼は嬉しそうに目を細める。

「オレ、車運転できるんすよ。今度ミョウジさんのこと助手席乗せてあげますね。ドライブしましょうよ」

「あー、うん……そうだね……?」

「ふふっ。楽しみです」

 私にはこの可愛い猫の皮をかぶった暴れ馬を制御することはできない。三途くんが大人しく言うことを聞いてくれる姿なんてカケラも想像できなかった。いっそのこと私も三途くんの言う『隊長』とやらに弟子入りでもしたほうがいいのだろうか。私にも他人を従わせるだけの威厳があればいいのに。そう思いながらも、私は今日も三途くんに振り回されることしかできなかった。


 ◇◇◇


 後日、私は三途くんが隊長と呼ばれる人にプレゼントするために人の髪をむしったことがあるという噂を聞き、心底「山田くんが坊主で良かった」と思った。人の毛髪なんてプレゼントされた日には、きっと私は卒倒してしまうだろう。


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