驚き桃の木山椒の木


※格好良いカリスマはいませんので注意






 ――なんか意外だったな。それが私の感想だった。
 私は今日、六本木のカリスマなんて呼ばれている灰谷蘭と寝た。彼は癖の強い人ではあるが顔は整っているし、それに加えてあのパーソナルスペースの狭さから「これは相当遊んでいるタイプの人に違いない」と私は予想していた。カリスマの肩書に惹かれて近寄ってくる女の子は多いだろう。私の想像には及びもしないようなモテ方をしているんだろうな、なんて思っていた。きっと女の体なんて知り尽くしているんだろうな、何をどうすれば女が喜ぶのかなんて分かり切っているのだろうな。経験人数三桁超えなんてこともあり得るかもしれない、なんて思っていた。

 だが、彼のセックスは私の想像と違っていた。下手だとまで言うつもりはない。が、だからと言って上手くもない。彼はずっと無言で、言葉責めなんてしてこなかった。私に触れる手付きが優しすぎて少しだけど物足りなさすら感じた。もっとドSっぽいと思っていたのだが。叩かれたり軽く首を絞められるくらいはあるかもしれないと覚悟していたが、予想に反して彼はそんな素振りは微塵も見せてこなかった。

 そして、私の予想を裏切った蘭くんの行動はもう一つある。
 普段の傍若無人な態度から、彼は行為が終わったらすぐに寝てしまうタイプかと思っていた。背中を向けて爆睡され、こっそり泣いた女の子は星の数ほどいるんだろうな、なんて思っていた。それがどうだ、彼はいまだ寝ていないどころか、現在進行形で私に腕枕をしている。あまりにも意外だ。居心地の悪さすら感じる。想像よりも筋肉質で太い蘭くんの腕に頭を乗せながら、私は気まずさを誤魔化すように口を開く。

「ら、蘭くんて腕枕とかしてくれるタイプだったんだ……」
「ンだよそれ、どういう意味?」
「いや、なんていうか……もっと冷たい人かと」
「はぁー? オレはマザー・テレサみたいに優しいだろうが」

 さすがにそれはない。彼は何を言っているのだろう。頭の中でそう反論するも、彼の機嫌を損ねたら後が怖いので私はそれを言葉にはしなかった。

「蘭くんて女の子たくさん泣かせてそうなイメージがあったんだよね」
「ないない。あり得ないっつーの」
「えー、絶対そうだって。気付いてないだけで泣かせてるでしょ」
「だからねぇってば。つーかオレさぁ、実はこれがハジメテだったんだよね」
「えっ!?」

 衝撃の発言が聞こえ、思わず大きな声を出してしまった。そんな私につられるように、蘭くんも何故か「え?」と驚いたような声を上げる。きょとんと目を丸くしている彼を見て、いや驚いたのは私のほうなんだけど、と思った。

「初めてって、何が……? あっ、腕枕が?」
「んー、それはガキの頃に竜胆にやったことある」
「本当に仲良いんだね……。いや、じゃなくて。え、じゃあ何が?」
「セックス」
「えっ!?」
「え?」
「いや、え? 絶対ウソじゃん」
「そんな嘘吐くメリットなくね?」
「いや、でも経験ないわけなくない? その顔で? 絶対ウソ」
「あんま興味なかったんだよなー。あとオレ、好きな女いるし」

 蘭くんも女の子を好きになったりするんだ。意外。と言うか、好きな女の子が他にいるのに私と寝るのは良いのか? 私はノーカンってこと? ちょっと失礼だな。どうして私にそれを言ってしまうのだろう。
 蘭くんが何を考えているのかが分からなさすぎて、私の口からは「へぇ、そうなんだ」以外の言葉が出てこなかった。しかし私のその反応はどうやら蘭くんの気に障ったらしく、彼は形の良い眉をピクリと動かした。

「……なんか反応薄くねぇ?」
「え、そうかな」
「オレに好きな女がいるとか大ニュースだろ」
「あー……、うん。確かにそうだね……?」
「だよなー? 相手が誰か、特別に教えてやろうか」

 別にそこまでの興味はないんだけどな。そう思ったものの、なんとなく蘭くんは聞いてほしそうな表情を浮かべているように見えた。聞いてあげたほうが良いのかな。ちょっと面倒臭いな。そう思いつつも、私は彼の意を汲んであげることにした。

「蘭くんの好きな子って誰?」
「ナマエ」
「……ん?」
「だから、ナマエが好きっつってんの」
「えっ!? いや、待って。どういうこと?」
「オレのハジメテ奪ってったんだから責任取れよ」
「ほ、本当に何言ってるの!?」
「あ? オレの純情もてあそんだのかよテメー」
「いやっ、違うって! 待って怒らないで!?」

 話の展開に付いていけない。私の脳内はもはやお祭り騒ぎだ。話を整理すると、蘭くんは実は童貞で、その初めての相手が私だった。蘭くんが童貞だったのは好きな子がいたからで、その好きな子というのが私。そのため私はいま蘭くんに責任を取れと脅されている。

 ――どうしてこうなった? 告白から脅しへと転換するのがあまりにも早すぎる。これは混乱しても仕方がない。もはや意味が分からない、と言っても過言ではないくらいだった。

「オレのことヤリ捨てする気? ンなことしたらどうなるか分かってんだろうな」

 しかし混乱する私のことなど置いてきぼりで、蘭くんは私に再度脅しをかけた。どうして彼はこんなにも堂々としているのだろう。一般的な男性は、自分が童貞であることを恥じるものではないのだろうか。卒業できたらラッキー、ヤれるだけ儲け物。そう思う男性が多い中、蘭くんはそれらとは真逆の価値観をしていた。まさか責任を取れと言われることになるだなんて思わなかった。まるで未知の生物にでも出会ったような気分だ。
 そして何より、事後に言ってくるのは卑怯じゃないか、とも思った。最初に言ってくれたら私だって対応を考えたのに。蘭くんに手を出さないという選択肢を取ることもできたのに。それなのにどうして。

「ち、ちなみに『責任を取る』って具体的に言うと……?」
「とりあえずオレと付き合ってよ」
「え」
「あぁ?」
「ひぇっ、すいません! 付き合います!」
「オレに手ぇ出したんだから当然。一生かけて償ってよ」

 いま一生って言った? さり気なく発された蘭くんの重い言葉に引っかかるも、下手を打って機嫌を損ねたら、なんて考えてしまう小心者の私にはそれを指摘することはできなかった。

 ――どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 クラブで何人かと集まって話しているときに私と蘭くんの立ち位置が隣同士になることはよくあった。だが、それだけ。隣同士になるからと言って二人きりで遊んだことは一度もない。そもそも、隣になるくらいよくあることだ。私だけが特別なわけではない。謎に手を握られたり腰を抱かれたことも何度かあったが、それも恐らく私だけにするスキンシップではない。蘭くんが竜胆くんと肩を組んでいる姿はよく見かけた。きっと蘭くんは誰に対しても距離が近い。
 思い返してみても、蘭くんとの思い出はそれくらいしかない。記憶にあるそれらの行動に、私が彼に好かれていると確信できる要素はなかった。それに、そんな私よりもっとあからさまに蘭くんへの好意や媚びを表してきた女の子は他にも大勢いたはずだ。そういう女の子ならまだしも、何故私なのだろう。私を選ぶ意味が分からない。

 ――と言うか、蘭くんは本当に私のことが好きなのだろうか?

 ふつふつと、もしかしてこれはドッキリなのではないか、という気持ちが湧いてきた。突然のことに混乱していたが、冷静に考えてみれば、前述したように私が蘭くんに好かれる要素はない。冷静になればなるほど、私を好きだと言う彼の言葉が嘘のように思えてきた。
 もしかして、彼は私を馬鹿にする算段なのではないだろうか。「本気でオレと付き合えるとでも思ったのかよ」なんて言って、私を馬鹿にするつもりなのではないだろうか。私が彼の言葉を信じ込んで彼女ヅラした瞬間、仲間うちで指さして笑うつもりだったのではないだろうか。
 その可能性に気が付いた瞬間から、私にはそうとしか思えなくなってしまった。だって蘭くんみたいな人が童貞なはずなんてないのだから。経験人数千人と言われるほうがまだ現実的だ。蘭くんが私を好きになるわけがない。

「……ドッキリ大成功の看板っていつ出てくるの?」
「あ? 何の話?」

 頭の中で考えていたことがそのまま口から出てしまった。蘭くんからすれば私の発言は飛躍しすぎて意味が分からないだろう。彼は首をかしげて不思議そうな表情をしていた。

「あ、ごめん。これ全部ドッキリなんじゃないかって思って……」
「……。オレがそんな嘘吐くような人間に見えんの?」

 見えると言えば見えるし、見えないと言えば見えない。微妙なラインだ。否定も肯定もせずに黙り込んだ私を見て、蘭くんは「はぁ」と小さく溜め息を吐いた。

「ドッキリのためにわざわざセックスするわけねぇだろうが」
「……で、でも」
「オレの体はそんな安くねぇの。誰とでもヤってたらカリスマの価値が下がっちまうだろ」
「…………」

 言われてみれば確かにそうかもしれない。蘭くんは自分の興味が向かない集まりには絶対に参加しなかったし、来たとしても飽きたら知らぬ間に帰ったりしていた。かなり自分勝手なタイプだ。
 そんな人が私を陥れるためだけに時間を使うか? 使わない気がする。まして、好きでもなんでもない私とわざわざ寝るか? 寝ない気がする。

「……じゃあ本当に私のことが好きなの?」
「だからずっとそう言ってんだろ」

 全然気付かれねぇからショックだったんだけど。蘭くんはそう続けた。

「ずっとナマエの隣キープしたり、意識させようとボディタッチしてみたり、オレすっげー健気にアピールしてたんだけど?」
「…………」

 クラブでよく隣になったのも、謎のタイミングで手を握ったりしてきたのも、すべて私へのアピールのつもりだったらしい。なんなら、竜胆くんを含む数人は気付いていて、わざと私と蘭くんが近くになるよう仕組んでいたと、いま初めて蘭くんから打ち明けられた。

「ご、ごめん……。本当に気付いてなかった……」
「マジで傷付いた。最悪」
「ごめんってばぁ……」

 蘭くんのことは距離感のバグったモテ男だとしか思っていなかったが、どうやらそれらの行為は私にしかしていなかったらしい。自分の鈍感さ加減にただただ驚くばかりだ。どうして気付かなかったのだろう。勘は良いほうであると自負していたが、その認識は改めたほうがいいのかもしれない。

「……まぁいいか。んで、ナマエ。カリスマの彼女になった感想はねぇの?」

 蘭くんはそう言いながらニヒルな笑みを浮かべた。つい先ほどまで童貞だったと言うのに、どうしてそんなにも自信満々でいられるのだろう。
 蘭くんのすべてに対して、「なんか意外だったな」という感想しか出てこない。もちろんそれは口には出せないけれど。


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