人生すってんころりん


※12竜胆
※まともな倫理観をしている人がいない
※未成年との行為を推奨する意図はありません




「あ、オネーサンおはよ」

 あどけない笑顔を浮かべる少年。まだ十代前半に見える。一糸纏わぬ姿で私の隣にいる彼は、どうやら私が目覚めるまでずっと私の寝顔を見ていたらしい。目が覚めた瞬間、ニコニコ笑顔の彼と目が合った。

 ――やっちゃった。

 二日酔いでズキズキと痛む頭を押さえる。調子に乗って日本酒を浴びるように飲むんじゃなかった。昨夜(日付の上ではもう今日だけど)、終電なんてとっくの昔になくなった時間帯にフラフラと立ち寄った公園で、ぽつんと一人で座り込んでいた男の子を見かけたところまでは覚えている。頭頂部だけ残した髪をお団子に結いているそのヘアスタイルが、キューピーちゃんみたいで可愛い、なんて思ったことまでは記憶にある。恐らく、私は酔いに任せてその子に話しかけた。その後の記憶はない。気付いたらラブホテルのベッドの上だった。服を着ていない男女が同じベッドで寝ている、何があったのかは推して知るべし。しかも未成年としか思えない男の子と。ああ、終わった。もし未成年淫行で捕まったらどうなるんだったか。懲役か、または数百万円の罰金? めまいがする。

「昨日ベロベロだったけど平気?」
「ああ……うん、平気。心配してくれてありがとう」
「あのさ、良かったら連絡先交換しねぇ?」

 少年はベッドの下に散乱した服の中からいそいそと携帯電話を探し当てると、それを開きながら「またオネーサンに会いたいからさ」と照れたように言った。

「オレ、竜胆って言うの。オネーサンは?」
「あー……、えっと」

 どうしようかな。視線をさまよわせると、年季の入ったソファの上に無造作に置かれている自分のバッグが目に入った。成人祝いに両親から買ってもらったブランド品、サンローランのバッグだ。

「……ランです」

 もちろん偽名である。未成年の男の子と関係を持った成人女性なんて、紛れもない犯罪者だ。それも最低最悪の未成年淫行。本名なんて教えられるわけがない。ランと名乗った私を見て、少年は「兄ちゃんと同じ名前だ」と笑った。

「電話番号聞いてもいい? メアドでもいーけど」
「あ、うん。えっと番号は――……」

 自分の電話番号から一、二文字間違った番号を口に出す。名前だけでなく、電話番号も架空のものだ。罪に罪を重ねている自覚はあるが、私は一刻も早くこの場から去りたかった。未成年の少年とこれ以上関係を続ける気はない。良心の呵責がないわけではないが、これ以上の犯罪を重ねる気もさらさらなかった。

 法廷で「酔っていて記憶にありません」と発言する自分を想像すると、元から痛かった頭がさらに痛くなる。これは二日酔いによる頭痛ではない。絶望によるものだ。私はまだ二十代。ここで社会的な死を迎えるわけにはいかない。そんな最悪の未来を迎える前に、私はこれを一夜の過ちとして一刻も早く忘れたかった。

「また連絡するから」

 少年はちゅ、と私の頬にキスを落とし、その整った顔にはにかんだ笑顔を浮かべる。その顔は年相応に可愛らしいもので、彼にデタラメな名前と電話番号を教えてしまったことにわずかな罪悪感を覚えた。悪い大人でごめんね。私のことは忘れて、どうか真っ当な大人に育ってほしい。少年のその可愛い顔の下、体に刻まれたタトゥーは年齢にそぐわない存在感を放っていたけれど、私は見ないふりをした。


 ◇◇◇


 あれから二週間が経った。いまだに警察は来ない。どうやら通報はされていないようだ。その安心感からホッと息を吐く。もっとも、名前も連絡先もデタラメなものしか教えていないので、通報されていたとしても私が見つかる確率は低いだろうけれど。念には念を入れ、あれから六本木には近付いていない。うっかりあの少年と鉢合わせにでもなったら苦労が水の泡だ。教えた連絡先が嘘であることにもとっくに気付いているだろうし、それを詰められたらもう私に逃げ道はない。そんなことになったら、今度こそ本当に捕まるかもしれない。

 自宅へと続くマンションの階段を登る。バッグから鍵を取り出しながら歩いていると、玄関前にしゃがみ込む人影があることに気が付いた。頭頂部だけ残した髪をお団子に結いたその特徴的な髪型、オーバーサイズのスウェット。その姿には見覚えがあった。ドッと心臓が跳ねる。

「あ、オネーサン。おかえり」

 この前の少年だった。つぅ、と背筋に冷や汗が落ちる。どうして彼は私の家の前にいるのだろう。住所なんて教えていないのに。あまりの動揺から、私は平衡感覚を失ったような錯覚に陥った。まるで地面が波打っているようだ。心臓はドッドッ、と恐ろしい音を立てて暴れ回っている。全身から血の気が失せていき、指先は氷水に漬けたように冷たく感じた。

「教えてくれた電話番号、嘘だったじゃん」
「え、あ……」
「なんでそんなヒデーことすんの?」

 オレすっげー傷付いたんだけど。少年はそう言葉を続ける。そうして彼は立ち上がると、裏拳でコンコンと玄関の戸を叩いた。

「家、入れてよ。寒いしお茶飲みたい」
「な、なんで……ここにいるの……?」

 震える唇を動かし、なんとか発音する。きちんと言葉になっているか不安だったが、少年の耳にはきちんと私の言葉が届いたらしい。彼は首をかしげながら私の問いに返答する。

「なんでって、オネーサンに会いたかったからだけど」
「そ、そうじゃなくて。住所教えてない……」
「ああ、そっち? 免許証に書いてあった」

 少年はあっけらかんとした態度でそう言った。それはつまり、彼は私の荷物を勝手に漁り、免許証を盗み見ていたということか? 私が寝ている間に? なんてひどいことをするのだろう。あまりにも慣れた手口だ。ふと、少年の体に入ったタトゥーを思い出す。あんなものを体に入れるくらいだから、きっと彼は不良に違いない。私はいわゆる美人局に巻き込まれてしまったのだ、と、この瞬間に気付いた。

「ミョウジナマエ」

 本名を呼ばれ、ビクリと体が跳ねる。

「今後のこと話したいからさ、早く家入れてよ」

 ああ、もう終わった。お金を強請られるくらいで済むなら良いほうだろう。でも、通報されたら私は完全に終わる。

 少年にみだらな行為をした二十代女性を未成年淫行の疑いで逮捕。新聞の見出しになる自分を想像して、ひどく暗い気持ちになった。そんなことになってしまったら、きっと両親は泣くだろうな。卒業アルバムの写真がネットに出回るんだろうな。そうなったら終わりだ。

 少年を家に上げると、彼は我が物顔で椅子に座り「オレ温かいお茶飲みたーい」と一言。最悪の未来を想像している私には、彼のその行動に苦言を呈する余裕はなかった。ペットボトルのお茶をマグカップに移してレンジで温め、彼の前に差し出す。少年は「ありがと」と言ってマグカップに口を付けた。椅子に座る少年の前で、私は床に正座する。

「あ、あの……お金なら払います」
「……何の話?」
「さっき『今後のこと話したい』って言ってたでしょ。お金はちゃんと払います。だから警察には通報しないでください」

 私がそう言うと、少年はピクリと眉を動かした。

「……何それ。オレが金目的でンなことしてると思ったの?」

 むしろお金目的の行動じゃなかったら他に何があると言うのか。ワンナイト目的だったらわざわざ免許証を盗み見て個人情報を控えたりはしないだろう。強請のネタ探し以外に、個人情報を控える意味なんてない。肉体関係を持って口止め料としてお金を巻き上げる、そんな手口に違いない。こくりと頷く私を見て、少年はハァと短い溜め息を吐いた。

「オレ言ったじゃん。連絡先教えてもらうときにさ、『オネーサンにまた会いたい』って。絶対言ったはずなんだけど」

 どういう意味だろう。少年の発言した言葉の意図が分からず、首を傾げる。

「だからぁ、……ッ!」

 少年は何かを言いかけ、ハッと口を閉じる。そして彼は顔を赤く染めた。耳まで真っ赤だ。突然どうしたと言うのか。困惑する私をよそに、少年は視線を左右にさまよわせる。そして数秒後、彼は覚悟を決めたように私に向き直った。

「オレと付き合って。そしたら許したげる」
「え!?」

 予想だにしない返答に思わず大きな声が出てしまった。何を言っているのだろうか、この子は。どうして付き合ってほしいなんて言い始めたのか。その顔なら同級生に彼女なんていくらでも作れそうなのに。どうして私にそんなことを言うのだろう。

「え、な、なんで……?」
「なんでって、すき、に、なったからだけど。だから金目的だと思われたのむかつく。オレ本気だったのに」
「い、いや、歳の差ありすぎるし……」
「はぁ? そんなの誤差だろ」
「成人済みと未成年は誤差じゃないんだけど……」
「オレが誤差っつったら誤差なの!」
「えぇ……?」
「てかさぁ、ナマエ彼氏いる? いるなら今すぐ別れて。ンで、オレと付き合って。じゃなきゃ通報する。ミセーネンインコーだって」

 通報しないでくださいってさっき言ったじゃん。少年はそう言葉を続ける。

「オレと付き合うか通報されるか、どっちか決めて」
「え、いや、あの……」
「早く決めてよ」
「でも付き合うとか……そんな……」
「なんで? オレ初めてだったのに。責任取ってくれねぇの?」
「それは、その……ごめんなさい」
「…………」
「…………」
「……あっそ。じゃあ通報しちゃお」
「そ、それは待って!」

 携帯電話を開いてボタンをプッシュし始めた彼の手を掴む。彼の携帯電話からはプルル、というコール音が聞こえ、私は慌てて「切」ボタンを押した。警察に繋がる前で良かった。動揺から呼吸が乱れ、肩で息をする私と違って、平然とした表情を浮かべた少年は「で、どうすんの?」と改めて私に問いかけた。

「つ、付き合う。付き合います……。だから通報しないで……」
「本当? 今度は嘘じゃない?」
「……本当。約束する」
「やった!」

 少年はニコ、と笑顔を浮かべた。その表情はまるで天使のようだった。可愛らしいその顔とは裏腹に、やっていることは悪魔の所業でしかないけれど。

「兄ちゃんのアドバイス通りにしたら本当にナマエが彼女になっちゃった。やっぱ兄ちゃんてスゲーな」

 少年は私が寝ている間に身分証を確認することと、告白する際は通報を匂わせること、それらが兄の入れ知恵であると語った。怖すぎる。こんな兄は嫌だ第一位じゃないか。

「あ、兄ちゃんと言えば。ナマエあのとき偽名使おうとしたじゃん、ランって。兄ちゃんの名前も蘭だからオレ笑っちゃってさぁ。なんでランだったの?」
「サンローラン、のランで……」
「サンローラン?」
「そういうブランドがあって……」
「へー。兄ちゃんにも教えよ。気に入りそう」

 少年は笑顔を浮かべながら私の手を握った。彼はウキウキした様子で「オレ彼女ができたら遊園地デートしたかったんだ」なんて言いながら理想のデートプランを語り始める。その姿はとても嬉しそうで、先ほどまで私を脅していた人物とは思えなかった。

「あ、あの……」
「竜胆」
「え」
「オレの名前。竜胆って呼んでよ」
「……。竜胆くん」
「えへへ。何?」

 彼は頬をわずかに赤く染め、嬉しそうに笑った。心の底からの、本当に嬉しそうな表情だった。その顔を見てしまったら、とてもじゃないけど「やっぱり私じゃなくて同じ年代の女の子と付き合ったほうがいいと思う」とは言えないと思った。

 竜胆くんは私の何がそんなに気に入ったのか、それは分からない。けれど、彼が私に飽きるまでは付き合ってあげてもいいかな、と言う気持ちにはなった。竜胆くんは年下ではあるけど顔は可愛いし、付き合っても損はないだろう。それに何より、通報されたくないし。

 この数ヶ月後、私まで竜胆くんのことを好きになってしまい真剣交際へと発展するだなんて、このときの私は一ミリも思っていなかった。



【オマケ】


 自宅へと続くマンションの階段を登る。バッグから鍵を取り出しながら歩いていると、玄関前にしゃがみ込む人影があることに気が付いた。――デジャヴだ。しかし、玄関前にしゃがみ込む人物は竜胆くんではなかった。金髪の長い三つ編み姿。そこにいたのは竜胆くんによく似た、整った顔をした少年だった。

「オマエが竜胆をたぶらかした女?」

 少年は私に気が付くと、そう言いながら私の頭の先から爪先までを舐めるように見た。不躾な視線に思わずたじろぐ。

「だ、誰……? 私に何か用かな?」
「オレ? 竜胆の兄貴。蘭っていうの」

 彼が例のお兄ちゃんか、と思った。彼は薄ら笑いを浮かべながら「ガキに手ぇ出すなんて悪い女」と言葉を続ける。彼も竜胆くんと同じく私より何歳も年下の少年に見えるが、彼のその態度はあまりにも不遜だった。

「大事な弟が悪い大人に手ぇ出されたの、ショックすぎてオレ夜しか眠れなくなっちまったんだけど」
「夜が眠れているなら良いのでは?」
「二十四時間寝れンのが特技だったのにさー、ヒデェ話だと思わねぇ? オマエのせいでずっと寝不足」
「…………」
「だから慰謝料よこせよ」
「え!?」
「サンローランてどれ? オレそれ欲しいなぁ」

 頭に浮かんだ言葉は単純に「なんで?」だった。一応は竜胆くんとの話し合い(という名の脅し)の末、決着は付いたというのに。今度は竜胆くんのお兄さんがやって来るだなんて聞いていない。固まる私とは対照的に、彼はニコリと笑顔を浮かべた。

「もしナマエが竜胆と結婚なんてすることになったら、オマエはオレの義妹になるわけだろ? 仲良くしたいからさぁ、ここは円満に解決しよーぜ」

 そう言って彼は私が両親から成人祝いに買ってもらったサンローランのバッグを強奪していった。有無を言わさぬその態度に、私はただ従うしかなかった。悔しいけれど、バッグ一つで前科持ちになることを回避できるのであれば安いものかもしれない。せっかくの成人祝いの品をこんな形で失ったのは両親に申し訳ないけれど、そう思うしかなかった。

 蘭くんが去っていってから数時間後、竜胆くんからメールが届く。

『兄ちゃんが迷惑かけてごめん。今度一緒に新しいの買いに行こ。お揃いのとかよくない?』

 マッチポンプを感じた。


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