終わりよければすべて良し


 ――私は同じクラスの羽宮一虎くんという不良のことが苦手だ。

 中学生なのに首には虎の刺青が入っていて怖いし、鈴のついたピアスはいつもうるさい。体育のある日なんかはジャージを腰パンで履いているせいで、ド派手なパンツが見えてしまっていることがある。あまりにも派手な柄がチラ見えするものだからつい目が行ってしまうのだが、羽宮くんは私の視線に目ざとく気付いては「見てンじゃねーよスケベ」と突っかかってくる。決して私は彼のパンツを見ているわけではない、ただ見えてしまっただけなのだ。まるで私が羽宮くんのパンツを嬉々として見ている変態であるかのような言い方をされることが気に食わない。私以外にも見ている人はいるとは思うのだが、羽宮くんは何故か私にしか文句を言ってこないのも謎である。
 羽宮くんに私が絡まれている間、友達やクラスメイトは不良の羽宮くんとは関わりたくないからか、誰も助けてはくれない。私は常に一人で羽宮くんと対峙しなければならないのだ。本当に、私は羽宮くんのことが苦手だ。



◇◇◇



「なぁ」

 退屈な家庭科の授業の最中、羽宮くんが誰かに呼びかける声が耳に届いた。教室内はザワザワと騒がしく、誰も先生の授業を聞いていない。今さら羽宮くんが声を上げても変わらないと思ったのか、先生も注意はしなかった。
 そもそも、私は授業中に私語をする人が苦手だ。ますます羽宮くんへの苦手意識が強まる。先生の話くらい静かに聞けないのだろうか、と思いながら黒板に書かれた文字をノートに書き写す。

「なぁってばー」

 羽宮くんはなおも声を上げる。羽宮くんは誰に話し掛けているのだろう。話し掛けられている人も早く返事をしてあげたら良いのに。呼びかける声が気になって授業に集中できないではないか。そう思いつつ、私はまっすぐ先生を見る。

「おーい。無視してンじゃねぇよ」

 返事がないことに苛立ったのか、羽宮くんの語気が強まった。本来であれば授業に集中したいところではあるが、羽宮くんのことを無視する人物とはどんな人なのだろう、と、ちょっとした好奇心が首をもたげる。
 チラリと隣の羽宮くんのほうを見ると、体を私に向けて椅子に座っている羽宮くんとバチリと目が合った。彼の目はまっすぐに私を見ていて、思わずギョッとする。ここまで露骨に視線を向けられていれば、彼が話し掛けていた人物が誰なのかは嫌でも気が付く。羽宮くんは他でもない私に話し掛けていた。

「やっとこっち見た。なんで無視すンだよ」

「え、いや……まさか私に話し掛けているとは思わなくて……」

「はぁー? こんな至近距離で呼んでンのに?」

「だって名前で呼ばれたわけじゃないし……」

「呼ばれなくても気付けよー。てか、なんで小声?」

「だって授業中だよ。お喋りは良くないじゃん」

「真面目だなぁー、オマエ」

 羽宮くんは不思議そうな表情でそう言った。私が真面目なのではなく羽宮くんが不真面目すぎるだけなのでは、と思ったが、それを口には出さなかった。下手なことを言ってまた突っかかられては困る。今は授業中であるし、なるべく穏便に済ませたい。

「それより羽宮くん、何か用でもあった?」

「あー、そうだった。あのさ、オレ教科書持ってねぇから見せてよ」

「え? あ……、うん。いいよ」

 羽宮くんがそんなことを言うとは思えず、反応が一瞬遅れてしまった。基本的に彼は学校に来ないし、来ても堂々と寝ていることが多かったからだ。先生も諦めているのか、羽宮くんが寝ていても注意することはない。
 珍しいこともあるものだな、と思いながら机を寄せ、私と羽宮くんの机の間に教科書を乗せる。教科書を見せてほしいと言うわりにあまり勉強する気はないのか、羽宮くんの机の上にはノートや筆記用具の類は一つも出ていない。何も置かれていない彼の机には「夜露死苦」だの「卍」だのとよく分からない落書きがしてあった。勉強道具がなくて落書きのある羽宮くんの机と、勉強道具があるが落書きのない私の机。あまりにも正反対だな、と私はぼんやりと考えていた。だが、やはり私はそれを口に出すことはせず、先生の授業を聞く姿勢に戻る。

「………………」

「………………」

「なぁ」

「……どうしたの?」

「オレもう授業飽きちゃった。一緒に帰ろーよ」

 羽宮くんがそう言いながら首を傾げると、揺れたピアスがリンと音を立てた。
 何故それを私に言うのか理解ができない。授業に飽きたのであれば、普段みたいに昼寝でもしていれば良いのに。私を一緒に帰ろうと誘う意味も分からなかったが、とりあえず今は授業中である。言葉の意図を確認することよりも、私は一刻も早く授業に戻りたかった。

「い、いや……授業まだあるし……」

「えー。いいじゃん別に」

「良くないよ。内申点に響くし」

「あっそ。じゃあ放課後まで待つよ」

 別に待ってくれなくても良いのだが。羽宮くんは何かと私に突っかかってくるので、てっきり嫌われているものかと思っていたが、彼はいったい何故こんなことを言うのだろう。趣味が合うとも思えないし、私を誘うメリットなんて何一つないと思うのだが。まさかカツアゲでもするつもりだろうか? そうだとしたら嫌だ。
 私を誘ったことを忘れてそのまま帰ってくれないかな、なんて思いながら、私はノートを取る手を再開させた。



◇◇◇



 ――放課後。
 羽宮くんはあのときの言葉を忘れてはくれなかったらしい。何も入っていないペタンコのカバンを肩にかけながら「行こうぜ」と私の手を引いた。何故、手を繋ぐのだろう。まさか私が人ごみに紛れて逃げようとしていることを察したとでも言うのだろうか。たしかに、手を握られてしまったら逃げることは叶わない。
 羽宮くんの行先が怖いところじゃありませんように。カツアゲやリンチをされませんように。内心でそう祈りながら、大人しく羽宮くんの後ろをついていく。

「おー、一虎ァ! 奇遇だな」

 羽宮くんに連れられて街を歩いていると、二人組の男子に声を掛けられた。大きな声に驚き、ビクリと体が強張る。
 声を掛けてきた二人組の片方は黒髪ロングの男子、もう片方は金髪ツーブロックの男子だった。どちらも威圧的な外見をしており、一目で羽宮くんのお友達なのであろうことが想像できた。

「場地に千冬じゃん。何してンの?」

「オメェーこそ何してンだよ、珍しいじゃねぇか」

「え、女連れだ!? 一虎くんの彼女さんスか!?」

 金髪の男子は私の姿を見るなり、丸く目を見開いてそう声を上げる。中学生なんて男女が二人で歩いているだけですべてが恋人同士に見える年齢だ。ましてや手を繋いで歩くだなんて、付き合っていると勘違いされてもおかしくないとヒヤヒヤしていたが、案の定そう思われてしまった。違います誤解です、私は羽宮くんによって逃げられないよう捕まえられているだけなのです。そう私が否定するより先に、羽宮くんが口を開く。

「うん」

 それは肯定の言葉だった。

「……ッ!?」

 私たちは付き合っていないどころか、友達ですらないのでは? むしろ羽宮くんは私のことが嫌いだったのではないのか?
 ギョッとして羽宮くんを見ると、彼は照れたような笑みを浮かべていた。どうやら言い間違いの類ではなさそうだ。彼は本気で私と付き合っていると思っているのだろうか? いつ、どこから? どうしてそうなった? 羽宮くんが何を考えているのか、私には何も分からない。
 困惑する私をよそに、金髪の男子は「すげぇ!」と一人盛り上がる。

「彼女持ちとか大人じゃないスか! めちゃくちゃ羨ましい!」

「へへ……」

「オレらも負けてられねッスよね、場地さん! 少女漫画みたいな恋、憧れますよね!?」

「いや、オレは興味ねぇな」

「硬派なとこもカッケー、さすが場地さん! でもオレはやっぱ彼女ほしいッス」

「あー、まぁ良いンじゃねぇの」

「一虎くん、どっちから好きになったのかとかって聞いてもいいですか?」

 羽宮くんは照れ臭さを誤魔化すように首をかしげる。その拍子に、彼のピアスがリンと音を立てた。

「コイツがずっと見てくるから『オレのこと好きなのかな』とか思ってたンだけど、気付いたらオレまでコイツのこと気になってきちまってさー。まぁ可愛いところもあるし? 仕方ないから付き合ってやるか、みたいな」

 羽宮くんは饒舌にそう語る。別に私は羽宮くんのことが好きで見ていたわけではない。ド派手なパンツがチラ見えするから目が行ってしまっていただけなのだが。しかし、羽宮くんの中では私が好意から彼のことを見ていたということになってしまっているらしい。何もかもが初耳だ。

「あー、一虎ツラだけは良いもんなァ」

「うっせ。顔だけとか言うな」

 場地と呼ばれた黒髪の男子がそう言うと、羽宮くんはその人の腕を軽く小突いた。ゲラゲラと笑い合う様はとても仲が良さそうに見える。
 盛り上がる不良三人を前に、私には「付き合っていません」なんて口を挟む勇気はなかった。否定できないまま、私と羽宮くんが付き合っているという前提で話が進む。早く否定しないと本当に羽宮くんと付き合うことになってしまう。だが、この和気あいあいとした空気の中に水を差すような発言は、とてもじゃないが私にはできなかった。何も発言することができず、私はただ彼らの話を黙って聞いている。気が遠くなりそうだった。

「じゃあオレらはもう行くからヨ。一虎のことよろしく頼むな」

「一虎くんのことで相談とかあったらオレいつでも聞くんで! 何かあったら声かけてくださいね!」

「え、あ……は、はい!」

 反射的に返事をしてしまった。これではまるで自分が彼女であると認めてしまったようなものではないか。流されがちな自分の性格が恨めしい。ああもう、これからどうしたら良いのだろう。今からでも否定するべきだろうか? しかし、気付いた頃にはあの二人の背中はもう遠くに行ってしまっていた。もう追いかけることは叶わない。彼ら二人は勘違いしたまま行ってしまった。
 困惑の中、ふと視線を感じて顔を上げると、笑顔を浮かべる羽宮くんと目が合った。

「ダチにカノジョ紹介すンのって照れるな」

 ハハ、と羽宮くんは眉尻を下げながら照れ臭そうに笑う。その顔を、私は少し可愛いかもと思ってしまった。
 あんなに苦手だと思っていた羽宮くんに対して可愛いという感情を抱くだなんて、と自分の心境の変化に戸惑う。羽宮くんは不良だ。首には虎の刺青が入っていて怖いし、鈴のついたピアスはいつもうるさい。ド派手なパンツを履いているし、突っかかってくるし、そんな人と付き合うだなんて考えられない。昨日まではこうして一緒にいることすら微塵も想像できなかったと言うのに。

「オレたちも行こーよ。良い感じのケーキ屋見つけたからオマエのこと連れてってやろーと思ってて」

「……うん。楽しみ」

 付き合ってないと言うのはまた今度でも良いか。そう思う程度に、私は羽宮くんに絆されてしまったのかもしれない。


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