合縁奇縁
二度ある事は三度ある。そんなことわざが存在するように、不思議な事というものは続くものだ。
乱世を生きていたという人物を自宅に匿ってから数週間、やっとその人物が帰って平穏が戻ってきたと思ったのも束の間、今度は私が乱世に飛ばされてしまった。
行き倒れて死を覚悟した私を発見してくれたのが、小早川軍の兵士の方で本当に良かった。金吾さんも天海さまもお優しい方ではあるけれど、行き倒れている私を発見しても助けてはくれない気がする。金吾さんが食べ物を譲ってくれるなんて事あり得ないし。天海さまは弔おうとしてくれるだけで助ける気はなさそうだし。
金吾さんが私を居候として城に置いてくださった事には本当に感謝しているけれど、金吾さんや天海さまが第一発見者じゃなくて良かった、というのは私の心からの本音だった。まぁ、口が裂けてもそんな事は言えないけれど。
「はぁ……もういやだ……。ナマエちゃんがぼくの代わりに国主やればいいのに……」
「え、いやですけど……。金吾さんどうかしたんですか? いつになく暗いですよ」
「毛利さまがこっちに来るって言うんだよ!? 絶対いやだ! ナマエちゃんが毛利さまの相手をしてあげてよ!」
毛利。その名前に聞き覚えがあるような気がしたけれど、はたして誰だっただろうか。思い出せない。
ていうか、金吾さんさり気なく私を生贄にしようとしていないか? お前そういう所だぞ。そんなだから兵士の方々も苦労するんだ。
「いやですよ! 金吾さんがそんなに嫌がるって事は怖い人でしょう!? 断固拒否です!」
「本当にお願いします!」
「国主がそんな簡単に土下座していいんですか!? やめてくださいよ!」
「だっでぇ〜〜! 毛利さまは怖いんだよぉ!」
じゃあナマエちゃんが付いてきてくれるだけでもいいから! 金吾さんはそう言いながら、今にも泣きそうな顔で私に縋り付く。ビビリなようでいて存外肝の据わっている金吾さんがここまで怯える毛利さまとは一体どれほどの人物なのだろう。鬼のような人なのだろうか。絶対に会いたくない。
お願いします! 絶対いやです! そんな押し問答を続けていると、ふすまを開けて天海さまが「失礼しますよ」と部屋へと入ってきた。取っ組み合いのような形で問答を続ける私と金吾さんを見た天海さまは、一瞬だけごみを見るような目をした。
「……ずいぶん仲がよろしいようで」
「ち、違うんですよ天海さま! そんな目で見ないでください!! 金吾さんとは別にそういうんじゃないですから!!」
「はぁ、まぁどうでもいいですが……。それより金吾さん、お客様がお見えになりましたよ。あんまりお待たせすると後が怖いと思いますが?」
天海さまがそう言うと、金吾さんは「ついに来ちゃったぁああ」と泣き出した。正直、私は金吾さんの慟哭を心配するよりも、天海さまに「どうでもいい」と言われた事のほうがショックだった。
「ナマエちゃんもついて来てね!? 絶対ぼく一人にしないでよね!?」
「おやおや。ではお二人ともお気をつけて」
「天海さまも来てよぉ!! なんで他人事みたいに言うの!?」
「大丈夫です。金吾さんはやれば出来る子ですよ」
「そういう問題じゃないよ天海さまぁ!」
◇◇◇
そうして毛利さまとやらをお迎えに城を降りてきたのだが、その間も金吾さんは私を盾にするようにして歩いていた。私の服を握る金吾さんの手はひどく震えている。ここまで怯える金吾さんを少しだけ可哀想に思ったけれど、何の力も持たない非力な女である私を盾にするのはちょっとどうかと思う。頼れるのはもう天海さましかいない。
なのだが、肝心の天海さまはあんまりこちらに興味がなさそうだった。本当につらい。どうして私が先頭を歩いているのだろう。
城門まで行くと、例の客人たちと思われる人の群れがあった。刀を下げた武士の人たちの先頭には、ものすごく姿勢の良い全身緑色の男が立っている。―その人物に、私は見覚えがあった。
「金吾、貴様……我を待たせるとは、よほど命がいらないと見える」
「ひぃいいい! ごべんなざい毛利ざまぁあ!!」
「しかも女の影に隠れるとは。よもやそこまで堕ちていようとは我も思わな―……。……貴様、そこで何をしている?」
金吾さんへ罵倒の言葉を吐いていた男は、私の顔を見て一瞬だけ驚いたように目を見開いた。だが、それは本当に一瞬の事で、すぐに端正な男の顔は不機嫌そうに歪められた。
―金吾さんの恐れていた毛利さまとは、以前私が家に匿っていた元就さんの事であった。
ああ、確かによく考えてみれば元就さんのフルネームは「毛利元就」だった気がする。
「お、お久し振りですね、元就さん……」
「我はそこで何をしているのかと問うたのだが」
「あ、挨拶くらいはしてくれたって良くないですか!?」
「ふん、知らぬわ」
相変わらずの傍若無人ぶりに少しだけムカついた。元就さんには最初殺されかけたし、居候の身のくせにやたらと態度がでかいしであまり彼に対していい思い出はない。毎朝、日の出前に叩き起こされて日輪崇拝を強要された事もいまだに根に持っている。現代人の少ない睡眠時間を削る事がどれだけ罪深い事か。
元就さんはできれば二度と会いたくない人物ナンバーワンだったのだが、まさかこんな所でふたたび出会う事になってしまうとは。思わずこの運命のいたずらを呪ってしまいそうだ。
「……私も元就さんと同じように気付いたら乱世に放り出されていたんですよ。そこをこの小早川軍に拾っていただいたんです」
「ほう? 我と貴様を『同じ』と称するか。思い上がりも甚だしいわ阿呆め」
「わ、私の事アホって言うのやめてくれません!?」
「事実であろう」
「ムキーッ!」
いくら私が怒って見せても、元就さんは涼しい顔でフン、と鼻を鳴らすだけ。人の神経を逆なでするクセはこの乱世においてもご健在のようだ。
私を拾ってくれたのが小早川軍で良かった。元就さんに拾われていたら、今頃ストレスで私の胃には穴が開いていた事だろう。小早川軍で本当に良かった。
「も、毛利さまとナマエちゃんって……し、知り合いだったの……?」
私の後ろで震えていた金吾さんが恐る恐る、といった様子でそう尋ねてくる。金吾さんのその発言を受けて元就さんが金吾さんに視線を寄越すと、金吾さんは「ひぃっ!」と悲鳴を上げてまた身体を震わせた。
だが、元就さんは金吾さんに一瞥をくれただけで、彼に対して何か言葉を発する事はなかった。元就さんはまた私に向き直り、口を開く。
「……貴様、こちらに来る事があれば我の世話になりたいと申していたではないか」
「えぇ? そんな事を言った覚えはないんですけど」
「ナマエの分際で我を謀ったと?」
いや、全然まったく記憶にないんですけど。
そう言えば確かに「私が乱世に行ったら居候させてくださいね」って会話のネタとして言ったはする。けど、そのとき元就さん「我が理由もなく女を匿うと思うてか」って鼻で笑ってただけじゃないか。面倒を見てくれる気がしないから一人で生きていこうって誓ったわ。思い出したらイライラしてきた。
「いや、元就さん『嫌だ』って言いましたよね?」
「……そこまでは言っておらぬ。だから貴様は阿呆なのだ」
はぁ、と元就さんは大きく溜め息を吐いた。彼はまるで私が聞き分けのない事を言っているかのような空気を醸し出している。何故だ。解せない。
「過ぎた事はもう良いわ。ナマエ、貴様に挽回の機会を与えてやろう」
「はい?」
「阿呆な貴様にはきちんと言ってやらねば分からぬか。今、貴様が頭を下げるのなら我が安芸の地に貴様を置いてやっても良いと言っておるのだ」
「え、元就さん何を言ってるんですか……? ていうか、金吾さんに居候させてもらってるんで今さら必要ないんですけど……」
私がそう言うと、元就さんは金吾さんをジロリと見下ろした。私の背に隠れている金吾さんが、怯えて身体を跳ねさせたのが私の服越しに伝わった。
「金吾、貴様の軍にこの女は必要か?」
「まっ、まさかぁ!! ナマエちゃんの事は好きに連れて帰ってください!! だからぶたないでぇっ!」
「えぇっ、金吾さん嘘でしょ!? 私の事嫌いだったんですか!?」
「ごめんねナマエちゃん! でも、背に腹は代えられないんだ……!」
金吾さんの突然の裏切りにショックを受けている私とは対照的に、後ろでことの顛末を見ていた天海さまは楽しそうにクックッと笑っている。
「てっ、天海さま! 私、金吾さんに裏切られたんですけど!! 助けてくださいよ!」
「助けて差し上げたいのは山々ですが……私はしがない僧ですから、国主である金吾さんの意向には逆らえません。ああッ、お可哀想に……!」
「絶対に可哀想とか思ってない!!」
そんなやり取りをしていると、痺れを切らした元就さんは私の頭をガシリと掴んだ。脳天に走った衝撃で、思わす「ぐぇ」と可愛げのない声が出てしまった。
「ちょっ、元就さん! 放してくださいよ!」
「金吾にすら見放され根無し草となった貴様が次に媚びるべきは誰か、愚かなナマエでも分かるであろう?」
「くっ……!」
「ほれ、犬のように媚びてみせよ」
首がもげそうなほどにグイグイと頭を押さえつけられ、私の首の骨が悲鳴を上げる。一時の屈辱を耐えるか首を落とすか、私に選べる選択肢はその二つしかない。
激しいストレスを感じながら、重い口を開く。
「も、元就さん……」
「………………」
「私を、元就さんの所に置いてください……」
やっとの思いでそう言うと、元就さんは「フン」と鼻を鳴らして私の頭を押さえつけていた手を放した。
「ナマエ、我が金吾と話をしている間に支度を終わらせよ。遅れは許さぬ」
「……えっ」
「何ぞ。二度は言わぬ」
え、反応それだけ? 私こんなに屈辱に耐えたのにまさかの「フン」の一言で終わらせちゃうの? あり得ないんですけど。
呆然とする私の横をするりと抜けて元就さんは私の背に隠れていた金吾さんの角を掴み、ズルズルと引き摺って行った。
助けて天海さまぁぁ! そう叫ぶ金吾さんの声が少しずつ遠ざかって行く。金吾さんに助けを求められている天海さまはその場から動こうともせず、笑いながら私を見ていた。
「貴女もずいぶんと厄介な人に好かれてしまいましたねぇ」
「……どう考えても嫌われてるとしか思えないんですけど」
「いずれ分かる日が来ますよ」
天海さまはそう言ったけれど、本当にそんな日が来るのだろうか。きっと、私はそんな日が来るその前に死んでしまう気がする。主にストレスが原因で。
これから何を楽しみに生きればいいんだろう。