堂々巡り



 ――誰かが私を「可哀想」だと言った。
 侵略、反乱、様々な戦いが繰り広げられ、たくさんの人が苦しんで、数多の人が命を落とすこの時代。私だけが「可哀想」であるなんて事は当然なく、私の不幸はよくある話に過ぎない。
 世の中、「下」を見れば底なしの不幸が転がっているのだから、「世界で自分が一番可哀想」なんて言うのは自惚れ以外の何物でもないのだ。

 城が攻められて一族郎党皆殺しになるなどありふれた話だ。戦火に呑まれて全身に火傷を負った事など、きっと誰しもが経験する話に違いない。城を攻め落とした張本人に妾として囲われるなんていうのも、よくある普遍的な話に違いない。
 だから私は「平凡な普通の人間」でしかなく、決して「可哀想で不幸な人」などではないのだ。

 そんな私を嘲るように、不幸の烙印を押そうとする人物がひとり。

「ぬしは誠に不幸よなァ」

「……。そんな事はありません」

「何を根拠に言っておるのか我にはとんと検討が付かぬなァ。ほれ、理由を申してみよ」

「………………」

 世の中には拷問を受け、苦しみぬいて命を落とす人もいるのだから、こうして生きている私はそういう人たちよりよっぽどマシだ。
 そう思ったけれど、きっとそれを口に出すと目の前の男は嬉々として私を拷問にかけて「不幸になったな」なんて言うのだろう。だから、私は不幸にならないためにも口を噤む。

「答えられぬのか? ならばぬしは不幸よ」

「いいえ、そんな事はありません」

「ぬしも強情よなァ。認めれば楽になるぞ?」

「……私は普通の人間ですから、認める不幸なぞありません」

 私がそう言うと、目の前の男は「ヒヒッ」と引き笑いを漏らした。

「日中に出歩けないほどの火傷を負ってもか? 親族に大事に扱われ、名のある武将に嫁ぐ夢が潰えてもか? 女の幸せも知らず、ここで鼠のように息絶える未来を幸せと申すのか?」

「………………」

「我はなァ、ぬしが哀れでならぬのよ」

 男は憐れむようにそう言いながら、包帯で覆われた指で私の頬をなぞる。ゴワゴワとした硬い包帯の感触は痛いくらいだった。

「我のような病魔に侵された男に目を付けられたのが運の尽きよ。本来ならばぬしは幸せな人生を歩めたものを……」

「………………」

「まこと、人生とは非情よなぁ、ヒジョウ」

 ヒッヒ、と男はまた引き攣れたような笑いをこぼす。
 数多の人間の不幸を望むというこの男は、間違いなく「可哀想な人物」なのだろう。だが、そんな男に囲われた自分を不幸だと認めたくはない。

「この世の中、意中の人と結ばれるとは限りません。初めて会う方に嫁ぐのが一般的です。だから私は将来自分の夫となる方が誰であろうと、その方を好きになる努力をしようと思っていました」

「……ほぅ?」

「私はあなたを愛する努力をします。だから不幸ではありません」

「……膿に塗れた我を愛すと? 笑えぬ冗談よな。我に囲われた時点でぬしは不幸よ」

「後ろ盾となる家もなく、全身に火傷を負った『嫁の貰い手もないような女』が生きている事がすでに幸運だと思いますが」

「……。ぬしは『生き地獄』というものを知らなんだ。世の中にはな、死ぬよりも酷な事で溢れておるのよ」

「………………」

「我が見たいのは『それ』よ、ソレ。流星の如く降り注ぐ不幸が見たい。幸は不平等だが、不幸は平等ゆえにな」

 それは自分が不幸だから、周りも平等に不幸にしたいという事なのだろうか。どうして「不幸の中にある幸福」を探そうとしないのか、私には分からなかった。

「私は平凡な人間らしく、幸せになりたいと思います」

「我と共にある時点で無理であろうなァ」

「なら、私はあなたと共に幸せになろうと思います。あなたが幸せになれば私も自ずと幸せになれるでしょう」

「……ぬしはここまで冗談が下手か。誠に可哀想な女よ」

「いいえ、冗談ではありません」

「では気でも違ったか?」

「いいえ、正気です」

「………………」

 はぁ、と男はわざとらしく大きな溜め息を吐くと、「面倒な女を囲ってしまったものよ」と呟きながら乗っていた御輿をふわりと浮かせた。

「ぬしを堕とすにはどんな不幸を用意すれば良いのであろ」

「あなたが幸せになるにはどうすれば良いのでしょうね」

「……。鼠同士で慰め合うのも一興か」

「きっと楽しいと思いますよ」

 それっきり男は何も言わず、静かに部屋を出て行った。男のいなくなった部屋はふたたび静寂に包まれる。

 不幸にしたい男と、幸せになりたい女。

 きっと堂々巡りで、お互いの主張が交わる事などないのだろう。けれどこの堂々巡りにも意味はあるのだ。きっと、無駄ではないはず。


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