いつかオトナになるきみへ
※真澄×監督
「ねぇ、アンタは本当にハロウィンの仮装しないの?」
「――えっ?」
俺、監督の仮装も見たい。談話室の机の上に突っ伏し、私の顔を覗き込むように見上げていた真澄くんは唐突にそう呟いた。私を見つめる彼の頬はいつものように赤く上気し、「きっと可愛いんだろうな」と追い打ちをかけるように、うっとりとした様子でまた真澄くんの口から言葉が紡がれる。
ああ、絶対にいま真澄くんの頭の中には仮装した私が想像されているに違いない。ちょっとそれはやめてほしい。そう思った。
「い、いやいや。私はしないってば」
「――なんで?」
「この前も言ったけど、あくまで私は裏方だから仮装はなし。主役は団員たちだよ」
「やだ。俺、アンタの仮装見たい」
「ええー……」
「全員参加だって言ってたじゃん」
「わ、私はまだ左京さんに言われてないもん」
「……あ、もしかして恥ずかしいとか? なら、二人きりの時に見せてくれれば俺はそれでも構わないけど」
「いや、しないよ?」
「照れてるアンタも可愛い」
そう言って微笑む真澄くんの顔を見て、彼の耳に私の話は入っていないのだと悟る。と言っても、彼が私の話を聞いているようで聞いていない事は日常茶飯事であり、いつものように放っておいても何ら害はない。
うんうんそうだねー、いつかねー。そう適当に流していると、同じく談話室で至さんとスマホゲームに勤しんでいた万里くんが「何、やっぱ監督ちゃんも仮装すんの?」と嬉々とした様子で会話に入り込んできた。
「俺も見てぇなー監督ちゃんの仮装。何やんの? ナースとか良いんじゃね?」
「お注射プレイキタコレ」
「至さん何考えてンすか! めっちゃスケベじゃないっすか!」
「えー、俺そんなつもりで言ったんじゃないんだけど。そんな事言う万里のほうこそスケベじゃん。何考えてんのー、やらしいなぁ」
「ちょっ、至さんそりゃねぇっすわー!」
そんな事を言いながら笑い声を上げる二人の会話に、私は少しもついて行けない。彼らの想像上の私は一体何をさせられているのだろう。至さんの言うお注射プレイ? とやらが具体的になんなのかはよく分からないけれど、きっと良くない何かに違いない。
はぁ、と密かに溜め息を吐いていると、真澄くんが彼らに向かって「やめろよ、アンタら」といつもよりも低い声で言い放つ。真澄くんの端正な顔はひそめられた眉からも分かるように、静かな怒りの色を宿している。
――真澄くん、もしかして私のために怒ってくれるの?
今までは弟のようにしか見えなかった真澄くんに、思わずキュン、と胸が高鳴る。セクハラ紛いの事をされた私のために、真澄くんが二人に注意をしてくれるだなんて! 盲目的すぎて少し一般常識に欠けた所があるかな、なんて思っていたけれど、やっぱり真澄くんは良い子だったんだ! 他人のために怒れるなんて、それは彼が心優しい証拠に他ならない。
真澄くんは彼らにどうやって常識を説くのだろう。このあとの真澄くんの言葉には何が続くのか、少しだけ期待が高まる。
「監督は俺と二人きりの時にしか仮装しないから。アンタらにそんな姿見せるわけないだろ」
「……んんん? 真澄くん?」
「監督も、あの二人には気を付けて。アンタに浮気されたら俺悲しいし……想像するだけで無理。そんな事されたら泣く」
「真澄くん!? 何言ってるの!?」
セクハラされた私のために怒ってくれたんじゃなかったの!? その言葉は、あまりにも肩の力が抜けてしまったせいで私の口から出る事はなかった。論点と怒るポイントがズレている。
一瞬感心したけれど、やはり真澄くんは真澄くんだった。相変わらずブレがないと言うのはある意味では良いのかもしれないけれど、今回は私の期待する応えとは少し違っていて、どうしても落胆が隠せない。うーん、惜しい。もっと別の理由で怒ってくれたのなら良かったのだけど。
論点が違う、そう諭して真澄くんが理解してくれるかは定かではないけれど、ここはきちんと注意彼にしておいたほうが良いだろう。
怒るポイントが違うでしょ、セクハラは悪い事なんだよ。そう言おうとした私よりも先に、真澄くんが口を開く。
「アンタの可愛い姿、俺以外には見せないで」
しゅん、と眉を下げてそう言った真澄くんの姿は、まるで捨てられた子犬のようで。その姿をちょっと可愛いかも、なんて思ってしまったのと同時に、付き合ってもいないのにそういう事を言われるのはおかしいんじゃないか、という二つの感情が同時に湧きおこる。
相反するその二つの感情のせいで、真澄くんをどう咎めるべきか分からなくなってしまった。真澄くんがきちんと一般的な常識を身に付けられるように注意しなきゃ。そう思っても、どうにも言葉が出てこない。ええと、こういう時はなんて言ったら良いのだろう。そう考えても、うまい言葉が見つからない。今もなお私を見つめる真澄くんの子犬のような目を見ていると、呼吸の仕方を忘れそうになる。
――だめだ。可愛い、それ以外の言葉が見つからない。
「ははッ。監督ちゃん相変わらず愛されてんなー」
「これはフラグが立ったと見た」
「ッ、二人はちょっとくらい反省してね!?」
確実に至さんと万里くんのせいで話がややこしくなった気がするんだけど! そう言ったけれど、元凶二人組はもうすでにこちらへの興味が失せたのか、「はいはーい」と気のない返事をしながらスマホの画面を物凄いスピードでタップし始める。恐らくゲームのレイドボスか何かが出現したのだろう。私にはよく分からない世界だけど、彼ら(特に至さんにとっては)何よりも大事なものらしい。
会話に取り残され、感情の持って行き場を失った私は、「俺以外には見せないって約束して」と迫る真澄くんに「何言ってるの」と返すだけで精いっぱいだった。
***
そして迎えたハロウィンコンテスト当日――結局、私も左京さんの鶴の一声でみんなと同じように仮装する事になった。と言っても、団員のみんなのように本格的なものではなく、あくまで雰囲気を楽しむ程度のシンプルなものにしたのだけれど。デザイン監修は幸くんがしてくれたおかげで、シンプルながら可愛い仮装をする事ができた。
可愛らしい衣装に身を包む、たったそれだけで私の気分は高揚する。みんなでハロウィンを楽しめただけでも十分満足だったが、その日はそれ以上に、コンテストの優勝を私たちMANKAIカンパニーが手に入れられた事が何よりも嬉しかった。
――ステージの上に立った太一くんのあの輝かしい笑顔。心の底から喜んでいるのが伝わるあの表情は、見ていてグッとくるものがあった。ああ、みんなでハロウィンを楽しむ事が出来て本当に、本当に良かった。
そんな素敵な一日の終わり、就寝の時間が近付いて寮内も静かになってきた頃、コンコン、と私の部屋の戸を鳴らす音が響く。誰だろう、そう思って戸を開けると、そこには「監督、俺……」と気恥ずかしそうに呟く真澄くんの姿があった。
その表情を見て、このあと彼の口から飛び出すのであろう言葉の察しが付く。十中八九、「アンタと寝たい……ダメ?」だろう。察しが付いた以上、真澄くんの口からその言葉が出るのを待つ必要はない。言われる前に先手を打ってしまおう。今日も一緒には寝ないよ。私がそう言うと、真澄くんは切れ長の瞳を丸く見開いた。
「まだ俺何も言ってないのに、監督なんで俺の言いたい事が分かったの? もしかして愛のちから……」
「はい、おやすみー」
「ま、待って! 閉めないで」
閉じられようとするドアの隙間にさっと足を滑り込ませ、真澄くんはヤクザよろしく私がドアが閉めようとするのを阻む。本職の人(そう言ったら左京さん悲しむだろうか)と比べたら凄みこそないものの、真澄くんの足さばきも中々のものなのではないだろうか。いつかお芝居で活かせる時が来るかな、そんな事を思いながら、渋々「どうかしたの?」と真澄くんに問いかける。
私が話を聞く姿勢に入ったのを察したのか、真澄くんは少しだけほっとしたような表情を浮かべ、「実は」と口を開く。
「アンタと話がしたいと思った。監督とハロウィンらしい事、今日できてないし」
「……いたずらはしないし、されないよ」
「えっ」
「はい、おやすみー」
「待って監督!」
「………………」
「……変な事はしない。だから部屋に入れて」
「………………」
「お願い。 ……ダメ?」
しゅん、と真澄くんはまた捨てられた子犬のような表情を浮かべる。この前と同じく、しおらしいその表情に思わず言葉に詰まってしまう。ダメだ、この目に見つめられると、どうしても彼を拒絶できなくなってしまう。
――こんなに食い下がるくらいなんだから、きっと相当の何かがあったのかもしれないし……少しくらいなら、部屋に上げても大丈夫かな。
大切な役者に何かあったのなら、相談に乗ってあげるのも監督の役目のひとつだ。少しくらいなら、きっと部屋に上げても大丈夫なはず。うん、きっと大丈夫だ。また真澄くんが変な事を言い出したら怒ればいいんだし。
「……ちょっとだけだからね」
私がそう言うと、わずかな変化ではあるけれど、真澄くんの表情がぱぁ、と明るくなる。
「――! ありがとう、監督」
咲也くんほど表情豊かではないけれど、私の前にいる時の真澄くんの感情は存外読み取りやすい。突然避けられたりした時はどうしてそうなったのか全然読み取れなかったけれど、こういうちょっとした会話の中での感情の変化はわかりやすい。こういう所は無邪気な子供のようで可愛いのだから、彼の興味が私以外にも向けば、きっと友人もファンも、今よりももっと増えるだろう。
――真澄くんが私以外の前でもこういう表情を浮かべる事ができるようになれば。そのほうが、絶対に真澄くんにとっても良いはずだ。何でもソツなくこなせる器用さを持っているのだから、真澄くんはもっと視野を広げたほうがいい。私以外にももっと素敵な女性はいるんだって、真澄くんは早く気付いたほうがいい。きっとそちらのほうが真澄くんは幸せになれる。
私じゃない、ほかの誰かと幸せに――……。
真澄くんが別の女の人と仲良くする姿が脳裏によぎった瞬間、チク、と胸に痛みが走った。それを掻き消すように、慌てて頭を振る。
真澄くんの興味が私から失せる事を寂しいなんて思っては駄目だ。真澄くんには無限の可能性と輝かしい未来があるんだから、私なんかが彼を縛っちゃいけない。真澄くんを自分だけのものにしたいなんて、そんな事は間違っても思ってはいけないんだ。
――真澄くんが私以外に好きになれるものを見つけられるかどうかは、監督である私にかかっている。大人として、私は彼を正しい道へ導いてあげなきゃいけないんだ。
「アンタの部屋に入れてもらうの久し振り。……嬉しい」
ぐるぐると思い悩む私とは対照的に、私の部屋に足を踏み入れた真澄くんは嬉しそうに口角を上げながらそう呟いた。その声を聞いて、真澄くんが「私と話がしたい」と言って部屋を訪ねてきた事を思いだす。
「そ、それで真澄くん。話ってなに?」
「………………」
「……?」
一向に話を始めない真澄くんを疑問に思い、思わず首をかしげる。黙り込む真澄くんをじっと見ていると、すぅ、と彼が大きく息を吸い込む音がかすかに聞こえてきた。――もしかして、真澄くんは深呼吸している? 何故このタイミングで? 頭が疑問符で埋め尽くされた瞬間、ぼそりと真澄くんが呟く。
「……この部屋、アンタの匂いがする……」
「やめて嗅がないで」
「はぁ……好き……」
「真澄くん!!」
恥ずかしいからやめて! そう言って真澄くんの腕を掴むと、彼は切れ長の瞳を一瞬丸くして「アンタから俺に触れてくれるなんて」と呟いた。その頬はわずかに赤く染められていて、どこか照れ臭そうにも見える。
どう考えても恥ずかしいのは私のほうなのに、どうして真澄くんが照れるのだろう! そんな事を考えていると、突然ぎゅう、と真澄くんは私の身体を抱き締めた。
「ちょっ、ちょっと真澄くん!?」
突拍子もないその行動に思わず心臓が跳ねる。真澄くんは私の肩口に顔をうずめながら、小さく「好き」と呟いた。
低く掠れた、囁くようなその声に思わずかぁ、と顔に熱が集まる。彼が私に好きだ何だと言うのはいつもの事ではあったけれど、こんな風に耳元で囁かれては堪らない。
抱き締められているおかげで、私の赤く染まった顔が真澄くんにバレていない事だけが、私にとって唯一の救いだった。照れてしまったのがバレさえしなければ、私はまだ彼に注意する事ができる。真澄くんの事を異性として意識していない、きちんとした「大人として」彼に注意を促す事が出来る。まだ大丈夫。私はまだ、引き返す事ができるはずだ。
「ま、真澄くん! やめなさい!」
「やだ」
「こら! 真澄くん!!」
そう声を荒げても、真澄くんは私を解放 するそぶりを見せない。それどころか、ぎゅう、と私を抱き締める腕に力を込められてしまう始末。
ダイレクトに伝わる彼の体温に、思わず心臓が早鐘を打ち始める。首筋に触れる真澄くんの柔らかな髪がくすぐったくて小さく身じろぎをすれば、まるで逃がさないとでも言うように、また私を抱く腕に力を込められる。早くなった鼓動を悟られてしまいそうなほどに密着するこの距離に耐えられず、再度「真澄くん!」と咎めるように彼の名を呼ぶ。しかし、それでも彼は私を抱くその腕の力を緩めない。
どうしたらいいのだろう、と少しだけパニックになった私とは対照的に、真澄くんはゆっくりと口を開く。
「――今日のアンタの仮装、可愛かった」
「……えっ? あ、ありがと う……?」
唐突に呟かれた真澄くんのその発言の意図が読めず、思わず語尾に疑問符が浮かぶ。
仮装の話など少しもしていなかったと言うのに、急にどうしたのだろう。そう思ったら、少しだけ冷静になる事ができた。真澄くんからの抱擁を逃れる事はいったん諦め、彼の紡ぐ言葉に意識を集中させる。
「でも俺、他の奴らもアンタの仮装姿を見たんだって思うと苦しくて……」
「真澄くん……」
「一成なんてインステにアンタの写真も上げまくってるし」
「えっ!? うそ聞いてない!」
「――他の誰にも、監督の姿を見せたくない」
俺をアンタの特別にして。俺にだけ見せて。苦しそうに、絞り出すような声で真澄くんはそう言った。
「俺、アンタのためなら何でもする。何だってできる。だから、アンタも俺の事好きになって……」
「真澄くん……。で、でも、真澄くんはまだ子供だし……」
「年下はイヤって事?」
「そ、そうじゃなくて。真澄くんは外の世界を知らないから、少し視野が狭くなっているだけだよ。私以外にも良い人は世の中にいっぱいいて――……」
「そんなの関係ない。どんな女に言い寄られたって、それがアンタじゃなかったら意味ない」
私の言葉を遮るように、真澄くんはそう否定の言葉を吐いた。そして、まるで縋りつくようにぎゅう、と抱き締める腕に力を込めながら「そんなに言うなら、アンタの事嫌いにさせてよ」と呟く。それは泣き出す寸前のような、震えたか細い声だった。
「俺にはアンタしかいない。アンタじゃなきゃ意味ない。俺はアンタが好きで、その気持ちはもう俺には止められないのに」
「………………」
ひどく苦しそうなその声を聞いて、それでも真澄くんを突っぱねる事ができるほど私の心は強くない。でもだからと言って、このまま真澄くんの思いを受け入れるのは彼のためにならない気がする。
きっと真澄くんは私に「憧れ」に似た感情を抱いていて、少し視野が狭くなっているだけだ。きっとこれは本当の「愛」じゃない。「私以外いらない」なんて感情は、きっと間違っている。
私以外のいろんな人たちと触れ合って、友人とか家族とか、たくさんの大切な人の中でもっとも「大切」だと思える人を見つけて、そこで初めて本当 の「愛」を知る事ができるのだと思う。このままじゃきっと真澄くんは成長できない。真澄くんのためにならない。高校生に手を出すわけにはいかないなんていう倫理観以前の問題だ。
だから少なくとも私は、真澄くんが「私以外見えない」なんて言っている間は、彼の事を好きになってはいけないんだ。
「俺ばっかり苦しい……。俺も、監督に好かれたい……」
「………………」
「俺は何をしたらいい? どうしたらアンタは、俺の事を好きになるの……?」
真澄くんに恋愛感情を抱いてはいけない。そう頭で分かっていても、心までは制御できない。こんな風につらそうな声を出す彼に対して「好きになる事はできない」なんて、私に言えるはずもなかった。
「…………真澄くんが 大人になったら、かな」
「ッ! 俺が成人したら、好きになってくれるって事?」
「ううん、そうじゃない。真澄くんが『大人になる』の意味をちゃんと理解できたら、かな」
「………………」
難しい、そう呟いた真澄くんの背をあやすように撫でると、そこでやっと観念したのか、真澄くんは私を抱いていた腕の力を緩めて身体を離した。抱擁が解かれた事によって真澄くんと真正面から向き合う形になり、私を見つめる彼のスミレ色の瞳と目が合う。
顔立ちだけじゃなくて瞳の色も綺麗なんだなぁ。そんな事を思っていると、ゆっくりと真澄くんの顔が近付いてきて――。
「ちょっ、真澄くん!? 何するつもり!?」
「キスしたい。――ダメ?」
「今の流れでよくそんな気になれたね!?」
慌てて真澄くんの口を右手でふさぐと、彼は少しだけ不服そうな表情を浮かべた。一回もダメ? そう呟いた真澄くんに、ダメに決まってるでしょ、と返す。すると彼は一瞬だけ目を伏せたあと、ぐい、と私の腰に自身の手を回した。
「きゃっ! ま、真澄くん!?」
真澄くんの口を手でガードする私に構わず、真澄くんはぐいぐいと距離を詰める。年下と言っても、やはり真澄くんは男の子。その力は強く、女の私では敵わない。
せめてキスされるのだけは阻止しなきゃ。そう思い、ガードした右手だけは絶対に動かさないと覚悟を決める。しかし、それでも近付いてくる真澄くんの端正な顔を見ていると、その覚悟も揺らいでしまいそうになる。ならば彼の顔を見なければいいんだ、と目をつぶった瞬間、真澄くんは私の手のひらごしにちゅう、と音を立ててキスをした。
「…………えっ?」
「――今はこれで我慢する。ちゃんと大人になって、アンタを惚れさせるから」
「ま、真澄くん……」
「だから、その時は右手で防がないで」
その時まで浮気しないで待ってて。そう言った真澄くんはするりと身体を離し、「今日はもう帰る。おやすみ、監督」と言い残して私の部屋から出て行った。
ぱたん、そう扉が音を立てて閉じた瞬間、力の抜けた私の身体がヘナヘナと床に崩れ落ちる。手のひらにはまだ真澄くんの柔らかな唇の感触が残っていて、真澄くんを防いでいた時のポーズのまま動かせない。
――鏡で見なくても分かる。きっと私の顔は今、茹で蛸のように真っ赤に染まっている事だろう。
「ま、真澄くんが大人になる前に好きになっちゃったらどうしよう……」
震える声で呟かれた言葉は、静かになった部屋の中に溶けて消えた。
私は監督として団員の成長を見守らなきゃいけないんだ。そう自分に言い聞かせても、顔に集まった熱はなかなか冷めてはくれない。ああ、本当に、真澄くんが大人になる前に、私のほうが耐えられなくなっちゃったらどうしよう。