最悪
※夢主がオタク
同人誌即売会、開幕です! 会場に流れるアナウンスを拍手で迎える。私の目の前にある机の上には、自作の薄い本が数冊並べられていた。私の本の題材は人気ストリーマー、レイメイくん。私は人生で初めて、いわゆるナマモノ同人と呼ばれるものを発刊した。
実在の人物に対して邪まな妄想をすることへの罪悪感は当然ある。だが、レイメイくんに対する“好きの気持ち”はどうしても抑えられなかった。妄想を形にしたいし、同好の士には私の本を見てもらいたい。レイメイくんへの気持ちを誰かと共有したい。できれば同じ趣味の友達も欲しい。そんな気持ちで、ワクワクしながら迎えた即売会。私の心は浮足立っていた。
私の他にもレイメイくん関係のサークルさんがいたらローラー買いしちゃおうかな、そう思いながら私はスマホを開く。即売会の参加者一覧を眺めながら、ジャンルを問わず気になるスペース番号をメモアプリに書き写していく。そうしているうちにメモアプリは宝の地図となった。人様の作った本を手に入れるのが楽しみだ。
そんなことをしていると、ふと目の前に影が落ちる。どうやら私のスペースの前に誰かがやってきたらしい。
「新刊一冊ください」
頭上からそう声が降ってくる。男性の声だった。女性向けなのに珍しいなぁとは思ったものの、私はすぐに「私と同じレイメイくん好きの人に悪い人はいないはず」と思い直す。いくら私の本が女性向けとは言え、女性向けだから男性には頒布しない、なんて差別的なことはできない。むしろ、女性向け男性向けの垣根を越えて、すべての人を魅了するレイメイくんの素晴らしさを誇るべきだ、とすら思った。
私は立ち上がって頒布価格を伝えながら、ポーチから一本のペンを取り出して目の前の人に差し出す。そのペンは、本にサインを入れてもらうための物だ。
本にサインを入れるなんて、普通の二次元同人誌だったらやらない。だがナマモノ系同人誌となると話は別だ。ナマモノは色々と制限が厳しい。題材が“今を生きている人間”である以上、他のジャンルよりも慎重に扱わなければならないのだ。転売なんてもってのほか。同好の士のみが閲覧できるようにしなければならない。転売や代理購入など、それらへの対策のためにも、購入者のサインはほぼ必須となっていた。
「すみません。転売対策でお名前を記載してほしくて……」
「ああ、なるほどね」
男性は軽く返事をする。そして本の代金と交換するように、彼は私の手のひらからペンを受け取った。指の長い男性の手はどこかレイメイくんに似ている。
指が長くて羨ましいなぁ、なんて思いながら、私は男性が本にサインを入れる様子をぼんやりと見つめる。サラサラと慣れた手つきで書かれたのは『叶黎明』の三文字。それはレイメイくんの本名だった。
「す、すみません。レイメイくんの名前じゃなくて購入者ご自身のお名前を書いてほしく……って、え?」
男性に指摘しようと発した私の言葉は途中で切れる。見上げた男性の顔は、スマホの画面越しに何度も見た顔――レイメイくんの顔とまったく同じだった。ポカンとして男性を見つめていると、大きすぎるカラコンの入った彼とパチリと視線が絡んだ。
「お前さぁ、オレのこと好きならちゃんとオレのこと見なきゃ駄目だろ。いつまでヨソ見してんだってずっと思ってたんだけど」
その声も、スマホ越しに何度も聞いたレイメイくんの声とまったく同じだった。
――思考が停止する。クオリティの高すぎるコスプレイヤーかとも思ったが、顔も声もレイメイくんとまったく同じで、目の前の男性はどこからどうみても本物のレイメイくんにしか見えなかった。まるで画面からレイメイくんが飛び出してきたかのようだ。
「『本物にしか見えない』って言うか、本物の叶黎明はオレだけだろ」
目の前の男性はそう言葉を続ける。なるほど、本物のレイメイくんが目の前に? 言われてみれば確かに彼は本物の叶黎明だ。もはやそうとしか思えない。コスプレイヤーでもそっくりさんでもなく、本物の叶黎明。つまり、本物のレイメイくんが私の本を手に、取って――……。
「ッギャアーーーッ!! 本物!?」
「だからそう言ってんだろ」
思わず絶叫する。周辺サークルの視線が一気に私へと集まった。ザワザワ、ヒソヒソ、私を見ながら小声で何かを話されている気配を感じる。しかし、私が絶叫するに至った元凶であるレイメイくんは、そんな周囲のざわつきなどまったく意に介していない様子だった。あっけらかんとした態度のまま、レイメイくんは私を見下ろしている。
「サイン入れたし帰っていい? オレ、早くこの本見たいからさ」
いやいやいや、ご本尊相手に同人誌なんて渡せるわけがない。ハッとして、私は本を取り返すべく手を伸ばす。しかしレイメイくんがサッと本を持つ手を頭上に上げたため、私の伸ばした手はむなしく空を切った。もう一度手を伸ばす。届かない。
「い、いやっ! ご本人には頒布できないです! す、すみませんが返してください!」
「おいおい、遠慮すんなってー。オレを見てるやつがオレのために作った本なら、オレはそれをちゃんと見るよ」
「遠慮じゃないです! すみませんやめてください!」
「ハァ? オレが観測しなきゃ価値ない物のくせに。オレの世界にオマエの本の存在を許してやるって言ってんだから素直に喜べよ」
「……!?」
レイメイくんのその言葉は、ファンサ以外の何物でもなかった。画面の向こうの“リスナー”ではなく、“私個人”に向けて放たれた入国許可の言葉。そのせいで私の体は一瞬だけすべての機能を停止した。
レイメイくんは私のそんな一瞬の隙を見逃さない。すぐさま彼は肩にかけたバッグに本を入れ、サッとその場を離れようする。
「あっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
慌ててレイメイくんの後を追う。背の高いレイメイくんは周囲の人よりも頭一つ、いや、二つ分ほど抜けている。そのため群衆に紛れて見失うなんてことはなかったが、いかんせんレイメイくんの歩幅が広すぎて追い付けない。足が長すぎる。私の短い足では、どんなに頑張っても追いつけない。どんどんと遠ざかっていくレイメイくんの背中を、私はただ見送ることしかできなかった。そんな無力感から、私はその場に膝をつく。
「ご本尊に見られるとか、そんなの死じゃん……!」
脳内が高速で回転する。肖像権の侵害、名誉棄損、誹謗中傷、訴訟、裁判、慰謝料。様々な問題が脳を駆け巡った。仮にレイメイくんが私を訴えなかったとしても、ファンに“ご本尊にナマモノ同人を見られた”なんてことが知れたら炎上は不可避である。
――こうなったらもうアカウントも何もかも消すしかない。
レイメイくんから本を取り返すことは諦め、私はとぼとぼと自スペースに戻ってスマホを開く。即売会の最中にアカウントを削除するのははばかられるが、本人に見られた以上はそんなことも言っていられない。
アカウントを開くと、そこにはDMが届いた旨を知らせる通知が付いていた。消す前にメッセージだけ確認しておこう。そう思い、アイコンをタップしてDMを開く。
『オレのホクロの数が足りてないんだけど』
『配信で一度晒したことあるだろ』
『ヨソ見してたのか?』
『ふざけんなよ』
『好きならオレのこともっとよく見ろ』
細切れの短いメッセージがいくつも届いていた。送信者はレイメイくんに他ならない。この短時間でもう本を読んだの? ていうか、私のアカウントもレイメイくんには完全にバレてるんだ? 完全に終わった。
ゾッとしてDMを閉じようとした瞬間、新たなメッセージが届く。
『見てんなら返事しろ』
リアルタイムで届いたそのメッセージがあまりにも怖くて、私は叫びながら衝動的にスマホをぶん投げた。ガシャアン、とスマホが床に叩き付けられる音が会場に響く。
絶叫からのスマホぶん投げにより、もちろん私は即売会を出禁になった。出禁になってもならなくても、この日のことがトラウマすぎて私はもう二度と即売会には出られない。どちらにせよ同じことだ。
ただ、レイメイくんから本の内容を訴えられることはなかったことだけが救いだった。