飼育小屋の女



※眞鍋に監禁される話(無糖)
※夢主の癖は強め



「どこを探しても『立派な大人』が見つからない。だから不本意ではあるけれど、大人のことも子供達と同じように優しく、根気良く、教育してみようと思ったんだ。ナマエはその第一号。僕と一緒にナマエも成長しよう」

 目の前にいるのは昔付き合っていた男――眞鍋瑚太郎。彼は笑顔を浮かべてはいるものの、付き合っていた頃のハツラツとした印象から一転、陰鬱とした印象を受けるような顔になっていた。表情を隠すように伸ばされた前髪から覗く目にはクマができていて、先程の発言も相まってとても正気であるとは思えなかった。

 ――いや、瑚太郎くんの様子などどうだっていい。

 元恋人との再会を喜ぶような余裕も、瑚太郎くんを心配するだけの余裕も、どちらも今の私にはなかった。現在、私は手足を縛られ知らない部屋に転がされている。目の前にいるのは瑚太郎くんただ一人。彼が私を拉致し、縛り上げた犯人であることは一目瞭然だった。
 瑚太郎くんは床に転がった私を見下ろしながら言葉を続ける。

「落第者に『追試』を行ってもみな怒り狂うだけ。誰一人として行動を改めようとしないなんて、そんなの間違っているとナマエも思うだろう? ナマエはそうならないって、僕は信じているから」

 瑚太郎くんが何を言っているのか分からない。信じているなんて言われたところでちっとも嬉しくなんてない。だったら早く家に帰してくれたほうが百倍嬉しいのに。

 瑚太郎くんの言葉を脳内で反芻する。――落第者。追試。確か彼は小学校の教員だったはず。瑚太郎くんが教員試験に合格したことをお祝いした記憶はある。配属先が決まったことを一緒に喜んだことも覚えている。「授業参観の日が来たら保護者に紛れて、私も瑚太郎くんの様子を見に行っちゃおうかな」なんて言う私の冗談に、恥ずかしそうに笑いながら「やめてくれよ」と言った瑚太郎くんの表情は、別れて数年経った今でも鮮明に思い出せる。

 瑚太郎くんの仕事絡みの言葉なのかとも思ったが、今の彼の言葉はとてもじゃないが小学校の話をしているようには思えなかった。高校や大学ならまだしも、小学校に落第や追試なんてあるとは思えない。第一、小学校での話だったら、瑚太郎くんが私に対して生徒か何かのように語りかけることに説明がつかない。

「ああ、ナマエの想像通り僕が『追試』を行っているのは小学生が相手じゃない。大人が対象だ。ナマエは立派な大人とは何か、と問われて答えられるか? 答えられないだろう。他の大人たちもそうなんだ、残念なことにね」

 どうして瑚太郎くんは私の疑問に答えられるのだろう。私は頭の中で考えていたことを無意識に口に出していたのか? そう思ったが、すぐに私の口には轡を噛まされていたことを思い出す。そんな状態で言葉を発せられるわけがない。私の心を読んだとしか思えない瑚太郎くんのその言葉を聞き、背筋にツゥと汗がつたう。怯える私には目もくれず、瑚太郎くんはなおも言葉を続ける。

「だから僕が抜き打ちテストをしているんだ。正しく生きられているか、間違いを犯していないか、僕が責任を持って確認している。もっとも、そのテストに合格した者は未だ僕以外いないんだけど」

 はは、と瑚太郎くんは眉を下げて苦笑しながらそう言った。それはまるで、テストの点数が学年一位だった学生が「運が良かっただけだよ」なんて謙遜するときのような、そんな笑顔だった。

 ――怖い。瑚太郎くんが何を考えているのか分からないし、どうして私の考えていることが分かったのかも分からない。それだけではない。別れてから数年もの時間が経っているにも関わらず、こうして私を誘拐した理由だって全く分からない。分からないことだらけだ。理解不能のバーゲンセール。意味不明な大サービスをされても、まったく嬉しくないどころかむしろ恐怖でしかない。しかし恐怖に震える私のことなど意に介さず、瑚太郎くんはニコリと微笑んで見せる。

「ナマエが本当は良い奴だって僕は知っている。今の生き様は君には似合わない。だから僕が教育するんだ。別れたとしても一度は好きになった相手なんだから、僕は今でもナマエには正しく生きてほしいと思っているよ」

 どうして瑚太郎くんはそんな風に笑えるのだろう。本当に意味が分からない。今すぐ家に帰りたい。私はそんな気持ちでいっぱいだった。

「心配するなナマエ。僕が必ずナマエを正してやるからな!」

 瑚太郎くんの言う立派な大人とは一体なんなのか。私を正してやるって、それは一体どういう意味なのか。

 ――もしかして、瑚太郎くんは私があまりよろしくない仕事をしていることを知っているのだろうか? だからそれを止めに来たとか? 私がアプリを使って出会った男性から食事代やタクシー代をもらって生活費を浮かせたり、いかがわしいチャットのサクラをして巻き上げたお金からお給料を得ていることを知っていて、それを止めに来たとでも言うのだろうか。

 もちろん私だって、それが褒められた行為でないことは百も承知だ。だが私は相手を騙しているわけではない。相手の男性が私との有りもしない未来や、性的なサービスが行われることを勝手に期待して勝手にお金を払っているだけ。私は詐欺をしているわけではないし、きちんとお金をいただく対価として相手を褒めたり相手のつまらない話を聞いてあげたりしている。これは大人同士の遊びで人間関係の話なのだから、望む結果が得られなかったとしてもそれは自己責任でしかないのだ。だから私のしている行為は正しくはないけれど、だからと言って悪いこととも言えないはず。犯罪をしているならいざ知らず、私のこれは瑚太郎くんに怒られるようなことではないはずだ。

(あ、もしかして……)

 ふと、今まで出会ってきた他責思考の男性たちを思い出す。自分の魅力のなさを棚に上げて「世の中の女は見る目がない」だの、「優しい男よりも暴力的な男のほうがモテるのはおかしい」だの、不平不満を口にする人が何人かいた。もしかして、瑚太郎くんもその類の男だったのだろうか。

 ああ、そういえば女を監禁して奴隷にしようとした事件がいつだったかあったはず。もしかしてだが、瑚太郎くんが私を誘拐したのも、ソウイウコトなのではないだろうか? 彼の言う『教育』と言う言葉も、バカな男が信じている『調教』とか『分からせ』とか、そういう意味の言葉なのではないだろうか? 
 チラリと瑚太郎くんの左手薬指に視線を向ける。そこに指輪の跡はない。恐らく瑚太郎くんはまだ独身。ならば、私の推理は合っている可能性がある。

(ああもう最悪……)

 私は瑚太郎くんのことをそんな男じゃないと思っていた。瑚太郎くんは同年代の人たちがするような遊びには慣れていないけれど、その代わりに思慮深くて誠実で、とっても真面目な良い人だと思っていた。それなのに、別れていた数年の間に瑚太郎くんは変わってしまったのかもしれない。バカな男と同じところまで堕ちてしまったのかもしれない。ああもう、本当に最悪だ。

「…… ナマエ、何か言いたいことがあるなら聞くよ」

 やや不快そうな表情で私を見下ろす瑚太郎くんは、冷たくそう言い放ってから私の口に噛ませていた轡を解いた。「ここは防音だから叫ぶのはオススメしないけど」と、まるで子供に言い聞かせるような言葉を添えながら。そんなこと言われなくても私は誘拐犯の前で錯乱して叫び出すほど愚かではない。

 瑚太郎くんが私の行いを悪と断ずるようなバカな男と同じだとしたら。そんな男が私を誘拐する意味とは、何を目的としているのか。少しでも早く帰るための方法を必死で考え、努めて冷静に口を開く。

「瑚太郎くんの目的はなに? エッチがしたいならいいよ。抵抗しない」
「…………」
「したいならナマでしたっていいよ。でも、アフピル貰いに行きたいから終わったら早めに解放してね」

 一度の情事で解放されるのなら安いものだ。諦めの境地に達した私は無感情にそう言葉を紡ぐ。私はもう貞操を気にするような年ではないし、監禁され続けるよりは媚を売って少しでも早く解放してもらうほうが遥かにマシだと思っている。だからこれが最善の選択だと思って発言したのだが、どうやらそれは瑚太郎くんの望むものではなかったらしい。彼は眉間にしわを寄せて憤怒の表情を浮かべていた。瑚太郎くんの体はブルブルと震えている。そして怒りに任せるよう、彼は声を荒げた。

「もっと自分を大事にしろナマエッ! 簡単に体を明け渡すな! そもそもナマエはその行為に対するリスクを理解しているのか!? 分かっていればそんなこと簡単には言えないはずだろッ!」

 瑚太郎くんの発した言葉は、私を誘拐した人物の口から出る言葉とは到底思えないものだった。彼は肩で息をし、全力で怒っているように見える。ますます意味が分からない。私の頭には疑問符が浮かぶ。

「え、エッチが目的じゃないなら何がしたいの? 瑚太郎くんが何をしたいのか、私には全然……分からないんだけど……」

 私が震える声でそう言うと、瑚太郎くんはハァと溜め息を一つ吐いた。そして彼は心底呆れたような、軽蔑するような目で私を見る。

「…… ナマエに質問だ。君は『ナマで行為をしてもいい』と言ったが、ナマでした際の想定しうるリスクを答えてみろ」
「え……?」
「僕らは大人だ。まさかリスクを知らないわけじゃないだろう?」
「……。妊娠、とか……。でも、アフピル飲むし……」
「減点。残念だよナマエ」
「…………」
「確かに正しく飲むことができればアフターピルの避妊率は高い。だが妊娠に関するリスクをクリアしたとして、ナマエは性感染症についてはどう考えている? クラミジアに梅毒、HIVなんかもそうだ。――ああ、言っておくけど僕が病気だという意味ではないよ。でも、『自分だけは大丈夫』なんて思うほどナマエは馬鹿じゃなかったはずだ」
「……それは……」
「まさか何も考えていなかったのか?」
「…………」
「…… ナマエには保健体育の教科書も必要みたいだな。用意しておくよ。学校には予備の教科書があるから」
「…………」

 私は瑚太郎くんのその言葉を「煽りだ」と感じた。きっと彼は私のことを心底見下している。バカにしないでよ、と怒鳴りつけたい気持ちになったが、依然として私は手足を縛られており、状況としては圧倒的に不利だった。下手に瑚太郎くんを刺激して身に危険が及んでは困る。グッと言葉を飲み込み、「結局、瑚太郎くんは何がしたいの?」と、それだけの言葉を口に出す。

「僕の目的は最初に言ったはずだよ。『人の話はちゃんと聞きましょう』。子供でもできることだが、ナマエには難しかったかな?」
「…………」
「必要ならもう一度説明しようか」
「……。『私を正して立派な大人にする』……」
「正解! 偉いぞナマエ!」

 瑚太郎くんはその整った顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。子供に対して使うような瑚太郎くんの口調が屈辱的だった。私が屈辱を感じていることに瑚太郎くんは絶対に気付いているはずなのに、彼はそれを一向に止めようとはしない。

 三日月型に細められた瑚太郎くんの目が私を見下ろす。その目は私の全てを見透かし、私の一挙手一投足に逐一評価をつけるような、そんな居心地の悪さを感じる目だった。それを見て私は逃げられないことを悟る。

「君が僕のテストに合格できるような『立派な大人』になることを期待しているよ、ナマエ」

 僕には君への愛が残っているからこうして教育するんだ、なんて言葉を囁かれたところで、そんな愛ならいらない、としか思えなかった。私がそんなことを思う限り、彼の教育は続くのだろう。きっと私が死ぬまで。





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