「ア、アルジュナ!」
「はい、何ですか?」
「上着を貸して!」
「はい?」
何を言っているんだコイツは、とでも言いたそうな表情を浮かべたアルジュナが私を見下ろす。私の言動が本気で理解できないのか、彼は首を少しかしげながら口を開いた。
「何故、私に?」
「寒いから何か羽織れるものを貸してほしいなぁって思って」
「ここから数十歩先の所に貴女の部屋があったはずですが」
「さ、寒くて……そこまで我慢、できない……」
「………………」
怪訝そうな表情で私を見るアルジュナの視線が痛くて、語尾がどんどんと弱まっていく。実際の所、「寒いから上着を貸してほしい」というのはただの口実であり、現実問題そんなに困ってない。カルデアは空調が効いていて、寒くも熱くもない、快適な温度が保たれている。
ただ単純に、私は「寒いから上着を貸してほしいな」「仕方ないな」というようなカップルごっこがしたかっただけなのだ。いや、アルジュナと私は付き合っていないから正しくはカップルではないのだが。
私の一方的な片思いの最中だが、そういうイベントを望むのは悪い事ではないはずだ。レイシフト中はそんなのんきな事をしている場合ではないし、何よりマシュ達の目が気になる。ならば私が無理やりにでもイベントを発生させるしかない。
わざと薄着をしてアルジュナの前に出る作戦はとても良いものだと思ったのだが、彼に私の部屋の位置を把握されていたせいでそれも不自然なものになってしまった。まさか、彼が私の部屋を憶えているだなんて思ってもみなかった。
「そんなはしたな……いえ、薄着なんてするからですよ」
「今『はしたない格好』って言おうとした?」
「まさか」
「………………」
「………………」
「……い、いいから貸して!!!」
「ッ! は、離しなさい! 盗人猛々しいとはこの事ですね!?」
「マスターが寒がってるの見ても可哀想だと思わないの!?」
「貴女の辞書に『自業自得』の文字はないのですか!?」
「ない!!!」
いっそ強行突破だ、そう思ってアルジュナに掴みかかろうとすれば、彼に私の両手首を掴まれ、あえなく阻止されてしまった。手首を掴まれたまま、それでも彼の上着を掴もうと格闘したが、私の両腕はそこから1センチメートルも彼に近付く事はない。
金時やフェルグスと比べて、アルジュナはかなり細いから「もしかしたら私でも腕相撲したら勝てるんじゃないか」なんて思った事が一度もないと言えば嘘になるが、やはりアルジュナは英雄、いや、男だった。私程度の力ではビクともしない。
圧倒的な力の差に、不覚にもキュンとしてしまった。
「ア、アルジュナしか頼れる人いないの!」
「…………!」
「アルジュナ様ぁ! お願い! ねっ!?」
「…………仕方がないですね」
「貸してくれるの!?」
はぁ、と溜め息を吐き、アルジュナは私の両手首を掴んでいた手の力を緩める。そして私の手首を解放し、彼は自身の白衣に手を掛けた。
きっちりと留められていたボタンがひとつずつ丁寧に外され、その隙間からアルジュナの桃色のインナーが顔を出す。身体のラインに沿ったぴったりとしたそのインナーは、彼の細いながらも鍛えられた薄い胸筋の線をさまざまと見せつける。
「どうぞお使いください」
「………………」
「……マスター?」
「ッ! あっ、ありがとうアルジュナ!」
「……? いえ、構いませんが」
――彼のよく鍛えられた身体に見惚れて反応が遅れただなんて、そんな事知られたら変態だと思われるかもしれない。
慌ててアルジュナから上着を受け取り、羽織る。その瞬間、先ほどまでアルジュナが着ていたおかげで残っていた温もりと匂いが感じられて、わっ、と顔に熱が集まった。
たかが上着、されど上着。軽く「カップルごっこがしたい」なんて考えていたけれど、いざ貸してもらったら、尋常じゃないくらいに恥ずかしい。心臓の音が彼にも聞こえてるのではないかと不安になるほどうるさく鳴っている。せっかく貸してもらった上着を着ていられなくなるくらい、顔が熱い。私はなんて事をしてしまったんだ、と後悔にも似た念に襲われた。
「……もしかして私の上着は臭いますか?」
「うぇッ!? そ、そそそそんな事ないよ!」
「では体調が優れないので? 顔色が……」
「だ、だだ大丈夫! へ、部屋! 部屋で休めば良くなるから!! じゃあ、わ、私はこれで……!」
「……待ちなさい」
アルジュナの横を通りぬけて部屋へと戻ろうとした私の腕を掴み、アルジュナは静かにそう言った。不意打ちで腕を掴まれたため、心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うくらいに大きく跳ねた。
「な、何ですか……!?」
「裾、引き摺っていますよ。そのまま歩かれては私の服が汚れる」
「あっ、ご、ごめん……気付かなかった……」
他の事に気を取られてまったく気付けなかった。身長が177センチメートルもあるアルジュナのロングコートを私が着て、丈が合うはずがない。裾を引き摺って歩く事になってしまう事くらい、考えなくても分かるはずだ。
彼の白い服はきっと小さな汚れでも目立ってしまうのだろう。裾を汚してしまった事で、アルジュナに嫌われてしまったらどうしよう。不安で彼の顔が見られない。
「大人しくしていなさい」
「――え? ぅ、わあッ!? アルジュナ!?」
一瞬のうちに私の足は地を離れ、目線が高くなった。簡単に言えば、アルジュナに抱きかかえられた。それも、姫抱きで。
「な、ななな何して――……!?」
「体調が優れないようなので部屋までお連れしようかと」
「重くない!? 大丈夫ひとりで歩けるから……ッ!」
「私を見くびってもらっては困ります」
私の言葉を無視してアルジュナは歩き出す。落とされないよう彼の身体にしがみ付けば、想像以上に顔が近くなって、また私の顔が熱くなる。これでは確実に心臓の音が彼に聞こえてしまう。
「彼の上着を借りる」「お姫様抱っこ」という少女マンガの王道パターンのコンボを喰らい、頭がどうにかなりそうだった。ダメだ、恥ずかしい。死ぬ。
「ア、アルジュナ降ろして……!」
「ええ。着きましたよ」
「えっ」
「だから『あと数十歩の所に貴女の部屋がある』と言ったじゃないですか」
ドアの前にそっと降ろされ、その場に呆然と立ち尽くす。え、こんなに私の部屋近くだったっけ? なるほど、確かにこれだけ近かったら「上着貸して」なんて言われて不思議に思うわけだ。
――恥ずかしい。アルジュナには私の思惑がバレてしまっているかもしれない。先ほどとは違った意味での恥ずかしさで、今なら死ねる気がする。恥ずか死できる。
「それを返すのは後でで構いませんから。今は身体を冷やさぬよう気を付けなさい」
では失礼します、そう言ってアルジュナはカルデアの長い廊下に消えて行った。私の浅はかな思惑に気付いているのかいないのか、アルジュナはいたって普通の仕草で別れを告げ、そしてどこかへ行った。
とりあえず、思いがけず手に入ったアルジュナの上着を抱いて、ベッドの上を転げ回るくらいの事はした。恋愛経験の乏しい私では、それくらいしかできる事がない。
ただひとつある問題。私は一体、この後どんな顔をしてアルジュナに会えばいいんだ。
今後待ち受ける問題から目を背けるように、抱いた上着の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、私はまた転げ回った。