※微妙なストーリーネタバレ



「うっわー、何だよこのちんちくりんはァ?」

 心底バカにしたような楽しそうな声が頭上から降ってくる。私の頭をまるで肘かけかのようにして腕を置き、アサシンは上から私の手元を覗き込む。

「アサシン、首痛いんだけど」

「細かい事気にすんなって。それよりこれアンタだろ?」

 彼が覗き込んだもの、それはマシュが現像して持ってきた私の男装写真だった。アサシンを欺くためにさせられた変装。あの時のアルトリアとジャンヌ、それからアーチャーの楽しみっぷりと言ったらない。くそ、思い出すだけで腹が立ってきたぞ? 特にアーチャー、許すまじ。

 アサシンはいまだ私の頭上でからからと笑っている。人って変わるモンだなぁ、と彼は言ったけれど、あの新宿でのアサシンに比べたら私のそれはほんのお遊び程度のものでしかない。ドッペルゲンガーとして、完璧に他人に化け続けていた、いや、他人になっていた彼はひどくつらそうだった。

 ――こうしてカルデアに召喚された彼は、あの新宿での出来事を覚えてはいない。

 それはきっと幸せな事なのだろう。無駄につらい記憶を憶えている必要はない。彼が彼として、こうして楽しそうに笑ってくれるのならそれでいい。
 彼が最期に吐き出した苦悩も後悔も、私だけが憶えていて、私が彼を少しでも癒してあげる事ができればそれでいいんだ。

「なぁ、この写真もらってもいいか?」

「……やだよ」

「ケチくさい事言うなよぉ!」

 だってアサシン笑うじゃん。そう言えば、彼は笑わないって、と笑いながら言った。説得力がまるでない。現在進行形で笑いながら私の写真を見る男の言葉をどう信用すればいいと言うのか。

「アサシンも女装した写真撮るって言うならあげてもいいけど。アサシン女装する?」

「ん? いいよぉ」

「ほら、いやでしょ……って、え?」

「そんな事でいいならいくらでもやってやるぜ?」

 アサシンのその言葉は私の予想していないものだった。てっきり「女装なんてしない」「じゃあ写真あげない」、そんなやり取りをするものだとばかり思っていた。

 アサシンは何でもない事のように目を丸くさせ、やったら写真くれるんだろ、と念を押すように言った。

「さぁて、マスターもびっくりな俺の変装技術を見せてやるとするかね?」

 ニィ、と唇の端を上げたアサシンの表情は、いたずらを思いついた子供のような無垢なものだった。



 ***



 濡れたように艶やかな黒髪。絹のような白い肌に、涼しげな翡翠の目。ゆったりとしたケープで逞しい身体を隠した彼は、モデルや女優のような美しさと圧倒的な存在感を放っている。
 身長や体格を見れば少々ゴツく感じるけれど、顔だけならどこからどう見ても美しい女の人にしか見えなかった。
 正直なところ、普段の私よりも綺麗な顔立ちをしている。

「く、悔しい……ッ!」

「似合ってるだろ?」

「めちゃくちゃに可愛いよ!!」

 アサシンの女装姿があまりにも可愛くて、いや、似合っているのが悔しくて、机に頭突きする勢いでそう叫べば、アサシンは少し引きながら「ありがとな」とお礼の言葉を口にした。

「ほら、写真撮りたいならさっさとやんな」

「ちょ、ちょっとポーズ取ってもらってもいいですか」

「ったく、しょうがねぇマスターだなァ! 特別だからな?」

 口ではそう言うものの、彼は傍目にも分かるくらいにノリノリだった。こうしたらセクシーに見えるかね? と、ベッドに腰掛けて足を組んだり、身体をくねらしたりしている。びっくりするくらいにノリノリ。そして、びっくりするくらいに可愛かった。

「アサシン、めちゃくちゃ可愛いよぉ!」

「ははッ! あったり前だろぉ」

 私が褒めた事で気を良くしたアサシンは、もっと近くで見てもいーんだぜ、と私に向かって手招きするような仕草をした。彼の腰掛けるベッドの端に座り、至近距離でアサシンを見つめる。服装に合わせて香水を付けたのか、いつもと違った香りが私の鼻腔をくすぐった。

 じっと無言でアサシンを見つめ続けていると、彼はその顔に少しずつ不安の色を混ぜていった。何か変だったかな、とでも言いたそうな表情を浮かべている。

「な、何で黙ってんの? まさか近くで見たら変だとか言わないよな……?」

「そんなわけないじゃん」

 腕を伸ばしてアサシンの長い黒髪に触れる。彼の耳元のあたりから梳くように指を絡ませると、彼は一度小さく身体をびくつかせた。しかし、それは私の行動に驚いただけであって、アサシンは私の行動を咎めるような事も、嫌がる事もしなかった。

「綺麗だなって見惚れてただけ」

「そっ……、そっかぁ……」

 先ほどまでの自信満々な笑顔はどこへ行ったのか。アサシンは見る見るうちに顔を赤く染め、視線を彷徨わせ始めた。
 薄くチークの乗せられていたアサシンの桃色の頬が薔薇色に染まった、どころの話ではない。それはもう茹でダコのように、耳まで真っ赤に染まっていた。

「……何で急に照れたの?」

「ア、アンタが真面目な顔で言うから……」

 視線を落とし、先ほどよりもずっと小さな声でアサシンはそう呟いた。あんなに自信満々な姿を晒しておいて、いざ褒められたら照れるだなんて。褒められ慣れていないのか、はたまたあの自信満々な態度は虚像だったのか。
 分からないけれど、急にしおらしくなったアサシンを心の底から可愛いと思った。

「もっとよく見せて」

「えっ、え!?」

「そこは『いいよぉ』って言うところじゃないの?」

「ま、真似するなよ!」

 両手でアサシンの頬を包み込むようにして視線を合わせると、彼はさらにその顔を赤く染めた。

 そんなアサシンを無視して、彼の被っているケープに手をかける。それを剥ぐと、チャイナドレスの生地をパツパツに伸ばすたくましい筋肉が現れ、思わず笑いが零れた。
 美女だと思って服を脱がしたら筋骨粒々の男だった。普通なら萎えるシチュエーションなのだろうが、今の私にはそんな事は関係なかった。むしろ、萎えるどころか逆に興奮する気さえする。
 もしかしたら私はとっくの昔に「普通」ではなくなってしまっていたのかもしれない。

「や、やめろってマスター!」

「……いや?」

「そういうワケじゃなくて……」

「じゃあいいよね?」

 そう言ってアサシンへのいたずらを再開させようとした瞬間、ぐい、と彼に両手首を掴まれてしまった。
 私に気を使ってくれているのかあまり強く握られてはいないものの、掴まれた腕はびくりとも動かない。男女の力の差というものをまざまざと見せ付けられた気分だった。

「……ア、アサシン?」

「…………そーやって男に軽々しく触るのは感心しねぇなぁ」

 って、俺いま女の格好してるんだっけか。そう自嘲気味に言った後、アサシンはまた真面目な顔に戻り、私をまっすぐ見つめる。

「信用してくれるのは嬉しいけど、ちょっとばかり危機管理能力が低くないかねぇ? なぁ、マスター」

 それはどういう意味だ、と問おうとした瞬間、視界が反転して私の身体はばふ、と布団に沈んだ。目の前に広がるのは部屋の天井と私を見下ろすアサシンの顔。

「ア、アサシン……何のつもり?」

「んー、分からないかぁ? ……好いた女に触られて、その気にならない男はいないのさ」

「……それってまさか」

「そのまさか、だ」

 アサシンは紅の引かれた唇をニィ、と上げた。

 清姫とか玉藻の前とか、あと清姫とか清姫とか清姫とか、可愛らしい女の子に迫られる事はあっても、こうして女の格好をした男に迫られたのは初めてだ。

 形勢逆転。その一言が頭に浮かぶ。先ほどまで私が持っていたはずの主導権は完全に彼のものとなってしまっていた。

「さぁて、男をその気にさせたツケってやつを払ってもらうとするかね!」

「ちょっ、アサシン! 待って!!」

「いーや、ダメだね」

 ぐ、とアサシンの顔が迫る。もうダメだ、逃げられない! これから行われるであろう行為に耐えるべく、ぎゅう、と目をつぶる。

 しかし、いくら待てども口付けが降ってくる事も身体を触られる事もなかった。
 不思議に思って目を開けると、アサシンは横を向いて笑いを堪えるように小さく震えていた。

「ア、アサシン……?」

「いや、本気でアンタの嫌がる事はしないさ」

「騙したの!?」

「ははっ、どーしようもないマスターに灸を据えてやっただけだろぉ?」

「………………」

「これに懲りたら不用意な行動は慎めよ?」

 じゃあ約束通り写真はもらっていくぜ、とアサシンは私の上からするりと退き、机の上にあった私の写真を人差し指と中指の間に挟んでヒラヒラとかざして見せた。

「ま、待ってアサシン!」

 部屋を出て行こうとしたアサシンを呼び止める。すると彼は、まだ何かあんのかぁ、と苦笑しながらこちらを振り向いた。

「……いつかまた、その格好してくれる?」

 私の言葉が予想外だったのか、彼は切れ長の目を真ん丸く見開く。信じられない、とでも言いたげな瞳だった。

「……俺、忠告したよな? 不用意な事すんなって」

「だって、すごい可愛かったからもう一度見たいし……」

「……っとにしょうがねぇマスターだなぁアンタは!」

 そう言って溜め息を吐きながら戻ってきた彼は、左手で私の頭をがしっ、と掴んだ。痛い。

「してやってもいいけど、それ相応の覚悟はしておいてくれよな?」

 私の耳元で彼はそう囁いた。いつもの甘い声ではなく、低く落ち着いた声で。
 じゃあこのへんで俺は失礼させてもらうな、とアサシンは今度こそ私の部屋から出て行った。

 私はというと、彼の突然発した「男の声」に思わず腰が抜け、その場に座り込んでしまっていた。これでは彼を追いかける事はできない。というか、心臓が、ひどくうるさい。まるで耳の真横で鳴っているかのようだ。顔もひどく熱い。きっと、いまの私はとても人に会える顔ではないだろう。

「…………あっ、写真撮るの忘れてた!」

 羞恥心を紛らわすべく発した言葉は、自分の想像よりも大きな音量になってしまった。それがかえって恥ずかしい。
 私ばかりが恥ずかしい思いをして、写真も持って行かれて、そのくせ私の収穫はゼロだ! 不公平だ、割に合わない! いますぐにでも戻ってきてもらって写真を撮ってやりたいくらいだが、こんな状態で彼と顔を合わせられるわけがない。

 ――彼にまたあの格好をしてもらうのは、きっとそう遠くない未来かもしれない。

 私の口から、うぅー、と呻き声が漏れる。それは誰もいないこの部屋に響いて消えるだけで、私の顔に集まった熱を冷ましてはくれなかった。

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