※男主
――ヒュッ、と風を切る音がした。
ただならぬ殺気を感じて振り向けば、こちらに照準を定めた人物が空中に飛び、大きく振りかぶっている姿が目に映る。その人物の持っている武器だろうか、何かがキラリと光を反射した。
死ぬ、と直感的に思った。
「殺菌!」
うわああ、と叫び声を上げながら間一髪で避けると、ドォン、と爆音を立てながら床に大きな穴が開く。ワックスの塗られた綺麗な床は跡形もなく、ボロボロに砕けた瓦礫の山と化していた。その衝撃で上がった煙の中に、攻撃を仕掛けてきた人物がゆらりと立ち上がる影が浮かんだ。
「動かないでください。治療の妨げになります」
「な、何するんですか!?」
「去勢します」
「何で!?」
「それが病原体だからです。看護婦として見逃すわけにはいきません」
「人を病気持ちみたいに言うのやめてくれます!?」
口ごたえしない! そう叫んで件の看護婦――ナイチンゲールはふたたびこちらに向かって武器を投げる。これは俺を去勢しようとする人物の取る動きじゃない。このままでは玉どころか、魂(タマ)まで取られてしまう。それは困る。いや、困るどころの話じゃない。平和なはずのカルデアで、何故こんな命を賭したやり取りをしなければならないんだ!
「や、やめろ!!」
「黙りなさい! 私にはすべての病原菌を根絶すると言う使命があるのです!」
「だから俺は病気じゃない!」
「なってからでは遅いのです! そうなる前に、病気の元は絶たなければなりません!」
ヒュンヒュンと空を切りながら、彼女の武器が俺をめがけていくつも飛んでくる。そのひとつが頬を掠めた。痛い、と言うよりは熱い、と感じた。だらりと血が流れ、ぞっとする。だめだ、このままでは本当に死んでしまう。
「大人しくしてください」
「大人しくしたら殺される!」
「ええ、そうですね。私はあなたを殺してでも治療します!」
「だからそれ意味ない……うわッ!?」
目の前の壁に彼女のメスが刺さる。医療用のそれも、彼女の手にかかれば立派な凶器だ。
「追い詰めましたよ。さあ、大人しく治療を受けてください」
「べ、別に俺は迷惑かけてないじゃん! 何でこんな事になってんの!?」
「いいえ、あなたは数々の女性を魅了しました」
「えっ」
「あなたが他の女性に囲まれている様を見ると動悸がします。看護婦である私が病気になるなんて思ってもみませんでした……。即刻、治療します」
「……え?」
今、彼女は何と言ったのだろうか。俺を見ていると動悸がする? それは、つまり、彼女も少なからず俺を好意的に見ていてくれている、という事なのだろうか?
ぶわ、と顔に熱が集まる。突然顔を赤く染めた俺を見たナイチンゲールは少しだけ眉をひそめ、やはり病気ですね、と呟いた。
「ナイチンゲール……それは病気じゃなくて……その、『恋の病』ってやつなんじゃ……」
「病に変わりはありません。治療します」
「いや、それは治療しなくてもいいやつだから!」
「…………?」
「そ、その、俺も実は……ナイチンゲールの事……」
「マスター……」
俺の手を、ナイチンゲールの柔らかい両手が包んだ。ぎゅう、と力強く握り込む。
「いいえ、滅菌します!」
「うわっ、うわぁあああああああああああ、あ、…………あ、あれ?」
がば、と起き上った俺の視界に飛び込んできたのはいつも通りの、何の変哲もない自室だった。床にできたクレーターもない、頬に刻まれたはずの傷もない。あるのは全身をびっしょりと濡らす大量の汗だけ。
「…………ゆ、夢?」
ふーっ、と大きく息を吐く。――あれが夢で良かった。去勢されるだなんてとんでもない。
ちらりとズボンを捲って見れば、自分の息子は今日も元気な姿でそこにいた。