彼には性欲、というか他人に触れたいという感情が欠如しているのかもしれない。そんな風に思い始めたのはつい最近の事だった。
「天草は私の事好き?」
「おや? どうしたんですか、突然」
「スキンシップが足りないんじゃないかと思って。付き合ってるのに私たちまだ一回もえっちな事してないじゃん」
「性的接触がなくても伝わる愛はありますよ」
「言い方。性的接触て」
天草は小さく「はは」と笑った。こうして私が彼に迫るのは何回目なのだろう。そのたびに彼はかわしたり、誤魔化したりして、最終的にうやむやにしてしまう。
身体だけの関係を求めたり、たくさんの女を抱いている男の人は軽くてイヤだし、愛されていると感じられない。けれど、こうして手を出してこない人にも、本当に愛されているのかと不安を感じてしまう。それは私のワガママである事は分かっているつもりでも、不安なものは不安だった。
「キスしたいとか、天草はそういうの思った事はないの?」
「うーん、そうですね……。ああ、至近距離にいられるとたまにそう思いますね」
「本当?」
そう言って、ズイ、と天草に顔を近付ける。鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで近付き、「キスしたくなった?」と訊ねると、彼は困ったようにはにかんでみせた。
「意地悪しないでください」
「自分で言ったんじゃん。キスしたい?」
「そうですね」
「じゃあ、してもいいよ」
私がそう言うと、天草は一瞬、軽く触れるだけのキスをして私から顔を遠ざけた。キスと呼んでいいのかも分からないくらいの、本当に一瞬触れるだけのキス。
今時、幼稚園児でももうちょっと濃厚なキスをしてるんじゃないだろうか。そう思うくらいの軽いキスに驚いて天草の顔を見ると、彼は小麦色の頬をほんのりと赤く染めていた。
―え、うそ、まさか照れているの?
そう思ったら、なんだか私まで恥ずかしくなってきて、ぶわ、と一瞬で顔に熱が集まる。これが漫画だったら「ぼんっ」なんていう効果音とともに爆発するように赤面する描写をされていただろう。そう思ってしまうくらい、一瞬で顔が熱くなった。
「………………」
「………………」
あまりの照れくささに、お互い無言になる。どちらも黙っているせいで、この空間には甘酸っぱいような甘ったるいような、よく分からない空気が流れて余計に恥ずかしくなる。
「なんっ、か……え? えっと……ちょっと、び、びっくりしちゃった……」
「……すみません」
「い、いや! あ、天草が謝るような事じゃ、な、ないんだけど……! わ、私こそ、ごめん……?」
私は一体なにを言っているのだろう。混乱しすぎてワケが分からなくなってきた。
「好意的に思っている女性にキスをされるだけなら大丈夫なんですけどね。自分からする、というのは……あまり、経験がないもので」
そう言って、天草は恥ずかしそうに笑った。天草は外見はともかく年齢は私より年上なはずなのに、どうしてこんなにピュアでいられるのだろう。聖人こわい。けど、そういう所も含めてすごく好きだ。
「あ、天草好き……」
「嬉しいですね。私もです」
天草は笑って、私の頭をぽんぽんと撫でた。
◇
天草は「自分からするのは慣れていない」と言っていたけど、迫ったらキスはしてくれた。という事は、もう少し強引に迫ったら天草は私の事を抱くのではないだろうか。そう思い、夜中、そっと天草の部屋を訪れる。
「こんな夜更けにどうかしたんですか?」
「ちょっと怖い夢見ちゃって。一緒に寝てもいい?」
「……いいですけど」
けど。けどってなんだ。一緒に寝てもいいけど襲ってしまうかもしれない、とか? そうだったらいいな、なんて思いながら、天草の部屋へと足を踏み入れる。
彼の部屋は壁に十字架がかけられている以外は他と変わらない普通の部屋だったが、ほんの少しだけ天草の匂いがするような気がしてドキドキした。
「もう寝ましょうか」
「はーい。お邪魔しまーす」
そう言って、いそいそと彼の布団に潜り込む。布団には天草の匂いが染みついていて、彼に包まれているような錯覚に陥った。高鳴る胸の鼓動をおさえて天草の顔をちらりと見上げると、彼は目をつぶって眠る態勢に入っていた。
「………………」
まさか彼女が隣にいるのに本気で眠るつもりなのか? そんな事ってある? こっちは万が一に備えてすごく可愛い下着をつけてきたのに?
不満に思いながら、布団の中をもぞもぞと動いて天草に抱きついてみる。すると、彼は「どうかしましたか?」と囁くような小声で言った。
「……言ったじゃん。怖い夢見たって」
「ああ、そうでしたね。大丈夫ですよ。主(しゅ)のご加護がありますから、怖い事は何も起こりません」
「………………」
「では、おやすみなさい」
「……ちょっと待ってよ。本当に寝るだけなの? 今、私すっごい可愛い下着つけてるよ?」
「おやおや」
天草はそう言うと、私の背に腕を回した。抱き締められた、そう思うと胸が高鳴る。ついに私は天草に抱かれるんだ。そう思ってドキドキとうるさく鳴る自分の心臓の音を聞いているも、天草はそれ以上なにも動かなかった。
「…………?」
私の背に回した腕で私の身体をまさぐる事もなく、ただ彼は私の背中を「とんとん」と、まるで子供をあやすように叩く。
「あ、天草……?」
「眠りに就くまで見守ってあげましょう。安心して眠りなさい」
「……え」
「ああ、子守歌でも歌いましょうか?」
「………………」
いや、私が求めたのはそういう事じゃないんだけど。そう思いながら天草の顔を見ると、彼はにっこりと微笑んでいて、私はそれ以上なにも言えなくなる。
「………………」
今日は仕方なく負けてあげるけど、いつか絶対オトしてみせるから。そう思いながら、私はゆっくりとまぶたを閉じた―。
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無い草=性欲のない天草