「今日はアサシンの望む事をなんでもしてあげようと思います」

 私がそう言うと、マイルームでくつろいでいたアサシンは齧っていたせんべいをポロリと床に落とした。切れ長の目を丸く見開き、口を半開きにしたまま動かない。
 そんなきょとんとした表情を浮かべたまま固まっていたアサシンは、ハッとしたような顔をして「……どういう風の吹き回しだ?」と呟いた。

「別に変な意味なんてないよ。そのままの意味。今日はアサシンの好きなようにしてほしいの」

「えぇー意味が分からねぇ……。勤労感謝の日にはまだ早いよな?」

 そう言って頭の上に疑問符を浮かべながら、アサシンはこぼしたせんべいのカケラを手で払い、落としたせんべいを「あーあ、勿体ない事した」と言いながらゴミ箱に捨てた。
 そしてベッドに腰掛ける私に向かい合うようにアサシンもベッドに飛び乗り、胡坐をかいてうむむ、とアゴに手を当てて考え込むようなポーズを取った。

「俺、アンタに何かしたっけ?」

「ううん、そうじゃなくて。今日は特別な日だから」

「特別な日? マスターの誕生日……とは違うしなぁ、なんかあったっけか?」

「今日はね、アサシンが召喚に応じてくれた日なの」

 私がそう言うと、アサシンは一瞬だけ目を見開いたあと、すぐに「はは」と笑った。

「……よく覚えてるなぁ、マスター」

「召喚した日って、ほら、誕生日みたいなものじゃん? だからアサシンの喜ぶ事をしてあげたくて」

「はは、なんだそれ」

「ジャンヌ・オルタがさ、前に『召喚された日が誕生日みたいなものだから』って言ってて。だから、サーヴァントたちには召喚に応じてくれた日に感謝の気持ちも込めてお祝いしようと思ってるんだ」

「……なんだ、俺だけ特別ってワケじゃねえのか」

「なにそれ、妬いた?」

「まさか。ンなワケねえじゃん」

 綺麗ににっこりと微笑んでアサシンはそう言った。作り物のように美しい表情を浮かべたという事は、アサシンの言った言葉は嘘だと言う事なのだろう。この一年、アサシンのそばに居続けてやっと気付いた事だ。息を吐くように自然に、するりとアサシンが本心を隠す。そうやってアサシンが本音を隠すのは今に始まった事ではないけれど、きっとそれは彼とずっと一緒にいなければ一生気付かないままだっただろう。それくらいに彼は嘘が上手い。

 今日くらいは本心をさらけ出してくれたっていいのに。そう思いながらアサシンの両頬をつまむ。肌は白くなめらかだが、無駄な肉のない彼の頬はあまり伸びなかった。いや、むしろ私の頬がふくよかすぎるのかもしれない。ちょっとくらいはダイエットしたほうがいいだろうか。うーん、でもエミヤやタマモキャットのご飯は美味しいしなぁ。ダイエットなんてできる気がしない。

「……あにすんらよ、まふたー」

「あは、何言ってるのか分かんない」

 頬をつままれたアサシンは抗議の声を上げるも、上手く喋れていないせいで何を言っているのか分からなかった。私が笑うと、私の手首を掴んで引き剥がしたアサシンは「そりゃ頬をつままれちゃあ上手く喋れるワケねえだろ」と呆れたように言った。

「で、アサシンは何をしてほしいか決まった?」

「……その話まだ続いてんの?」

「当たり前じゃん」

「えー、そういう風に言われると余計になんも浮かばなくなるんだが……もともと俺ァ欲しいモンとかあんまないし」

「じゃあアサシンの好きなところ羅列していくね」

「はっ!? え、なんで!?」

「まずねー、顔がいいでしょ。それから筋肉ついてて格好良い。全身に彫られてる刺青もオシャレ。髪の毛も綺麗に手入れされてるし、あとなんかいい匂いがする」

「勝手にスタートするなよ!」

「軽薄なフリしてるけどちゃんと私の事考えてくれているのが分かるし、闘っているアサシンは格好良い。頼りになるし、私はアサシンの事をすごく信頼してる」

「…………ッ!」

「何より召喚に応じてくれた事が嬉しいかな。特異点は残ってたとは言え、人理修復自体は終わっているのに、それでも私の助けになってくれたって言うのがね、すごく嬉しいの」

「〜〜……ッ」

「それから――……」

「もういい! いいから! もう喋んなマスター!」

 そう言ってアサシンは両手で私の口をふさぐ。アサシンは横を向いてしまっていて彼の顔を見る事は叶わなかったけれど、長い髪の隙間から覗く耳は赤く染まっていて、アサシンがひどく照れているのだという事だけは分かった。

「ンなこっぱずかしい事言わないでくれ……」

「私は別に恥ずかしくないし」

「俺が恥ずかしいんだっつの」

 右手で自身の口元を隠しながら、アサシンは左手で私のひたいを軽く小突いた。そしてアサシンは口元を隠したまま、あー、とか、どうしてこんな事に、とか、何やらブツブツと呟いていた。

「……アサシン、もしかして嫌だった?」

 特に何の感慨もなく、ただ思った事をそう口にすると、アサシンは私が傷付いたと思ったのかハッとしたような表情を浮かべて「そういうワケじゃなくて!」と慌てたようにブンブンと頭を左右に振った。

「違うんだ、ただ生前からあまり褒められる機会がなかったから照れ臭かったと言うか……マスターの事が嫌なワケでは決してない。ないんだが、その……は、恥ずかしくて……」

 語尾になるにつれて小さくなっていく声、桃色から薔薇色へと染まっていく頬、泳ぐ金緑石のような瞳。ひどく照れた様子のアサシンがとてつもなく可愛らしい生き物のように見え、思わず胸がきゅんと締め付けられるような感覚に陥った。気を付けなければ変な声が口から漏れてしまいそうなくらい、私には今のアサシンが可愛らしく見えたのだ。

「ア、アサシン……好き……」

「はっ!? 急にどうしたんだよマスター!?」

「めちゃくちゃ愛おしい……好き……!」

「ぬおわっ!」

 感極まってアサシンに抱き付けば、彼は驚いたような叫び声を上げてベッドの上へと倒れ込んだ。どうしたってんだよマスター、と未だ混乱しているアサシンの髪を乱すように頭を撫でると、彼はより一層混乱したような表情を浮かべる。そんなアサシンを無視して頭を撫で続けると、彼は痺れを切らしたように「ちょっ、やめろってマスター!」と声を上げた。

「なんなんだよ急に!」

「いやもうアサシンが可愛くて……」

「……そこはせめて格好良いって言ってほしかったなぁ」

「私、アサシンの事一生大切にするから……!」

「うん!?」

「絶対アサシンの事を悲しませたりしないし、前の主みたいにアサシンを無碍に扱ったりしないし、絶対アサシンの事大切にする……!」

「……なんだそりゃ、プロポーズか?」

 小さく笑い、アサシンは穏やかに目を細めながらそう言った。ずいぶん熱烈な愛情だな、そう言いながらアサシンは私の髪に指を絡ませる。
 いつの間にか頬を染めて照れていた面影の消え去っていたアサシンは不敵に口角を上げて「ここまでマスターに愛されてるんじゃあ仕方ない」と呟いた。

「マスターの愛にはしっかり応えなきゃだよな。据え膳食わぬは何とやら、って言う事だし、マスターから貰った愛情の分だけきっちり返さなきゃだよなァ?」

「えっ? ア、アサシンさん……?」

「今日は何でもしてくれんだろ?」

 不穏な空気を感じ取って離れようとした私の肩を掴み、アサシンは私をベッドの上に転がした。私を見下ろすアサシンは目を三日月のように細め、紅い舌でぺろりと自身の薄い唇を舐める。

「伊達に俺ァ色男なんて呼ばれてねえから。無頼の誇りにかけて、きっちり愛し返してやるよ」

「えっ、い、いや……今日は私がアサシンの事愛してあげる日なんで……そういうのはちょっと……」

「マスターの『魔力』、欲しくなってきちゃったなァ。今日は俺の望む事なぁんでもしてくれんだろ? 当然断ったりなんてしねえよなァ?」

「ひ、ひぇ……」

 そう言って微笑むアサシンの顔は、まさしく「悪い顔」と評するにふさわしいものだった。いつも優しくしてくれるから忘れかけていたけれど、アサシンの属性は混沌・悪なんだった、といやでも思い出してしまう。
 アサシンの指先が頬に触れ、思わず身体がビクリと跳ねる。恐らく今の私の顔は茹で蛸のように真っ赤に染まっている事だろう。恐る恐る視線を上げてアサシンの顔を見ると、彼は目を細めて口を私の名前と同じ形に動かした。それは声にならない声だったけれど、確かにアサシンは私の名を呼んだのだ。

 そして、アサシンの顔がゆっくりと近付いてくる。私の頬に触れたアサシンの毛先をくすぐったいと感じるよりも、端正な彼の顔が近付いてくる恥ずかしさのほうが勝った。

 キスされる! そう思って目をつぶるも、待てど暮らせど私の唇にアサシンからの口付けが降ってくる事はない。
 不思議に思ってつぶっていた目を開くと、ニヤニヤとした顔で私を見つめるアサシンと目が合った。

「呵々。マスター、アンタ俺にキスされると思ったろ?」

「も、もしかしてからかったの!?」

「さて、何の事やら。それともアレかい? マスターは俺にキスされるのをご所望だったかね?」

「〜〜〜〜ッ!」

 からからと笑うアサシンを見て、かぁ、と顔に熱が集まっていく。恥ずかしい! 一杯食わされた!
 羞恥で言葉が出なくなった私を満足そうに見つめたアサシンは、よっこらせ、と言いながら私の上から退く。そして私の横に胡坐をかいて座り、薄く笑みを浮かべながら私を見つめた。

「まぁ冗談は置いておいて。マスターが『俺を大切にする』って言ってくれたの、正直嬉しかった」

「アサシン……」

「そう言ってもらえるだけで、マスターにはこの命を捧げて仕えるだけの価値があるなって再確認できたよ。これからも、俺は全身全霊でアンタに仕える。だからこれからもよろしくな、マスター」

 身体を起こし、そう言いながら差し出されたアサシンの右手を握る。固い握手を交わし、アサシンと顔を見合わせて微笑み合う。
 固く握った手のひらから伝わるアサシンの力強さを感じ、アサシンとならこの先にどんな困難が待ち構えていようときっと乗り越えていけるだろう、と、そう思った。

「いやぁ、でもアレだな。召喚された日を祝われるのが『俺だけの特別』だったらもっと良かったんだがねぇ」

「……欲張り」

「呵々。俺ァ無礼な無頼漢よ? そりゃあ欲も張るさね」

「それもそうか。……じゃあ今度どこか出掛けようか。みんなには内緒で。二人だけで」

「ハハッ、そりゃあいい! どっか行きたいところ考えておいてくれ!」

 そう言って、またアサシンと笑い合う。ああ、本当に、アサシンと出逢えてよかった。

 ――召喚に応じてくれてありがとう、アサシン。これからもどうかよろしくね。
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