※倫理観の欠如
※新宿の新宿のアサシンと雀蜂夢主



 チッチッチ、と秒針が進む音がいやに響く。それを掻き消すように、時折外から悲鳴や罵声が聞こえてくるけれど、依然として部屋の中は静寂に包まれたままだった。

 冷たい床の上に何故か正座させられているため、余計にこの沈黙に耐えられない。心なしか胃が痛くなってきたような気がする。この状況をどうにかできないものか。そんな期待を込め、ソファの上でふんぞり返るように座るボスへ、ちらりと視線を投げかける。

「………………」

 ボスが何を考えているのか分からないのはいつもの事だったけれど、今日のボスはいつにも増して何を考えているのか分からない。何故か今日のボスは、私と同じ姿かたちをしていた。自分とまったく同じ顔、同じ身体をした人物を目の当たりにするのは、なかなか精神的にクるものがある。
 ――ドッペルゲンガーを見たら死ぬんだっけか。
 そんな事を考えながら、恐る恐る「……あの、ボス」と口を開く。するとボスは、緩慢な動きで私に視線をよこす。そして、私は私の顔をしたボスと、目が合った。

「……なに?」

「ウワッ、声まで私だ。気持ち悪ッ」

「お前、いま自分で自分の事『気持ち悪い』って言った事に気付いてる? すっげぇ自虐だな」

「いえ、決して自分が気持ち悪いって言ったわけではないんですけど……」

「え、じゃあ自分の事可愛いとか思ってんの? いやーキッツいわー」

「そんな事ひとことも言ってませんが……」

 そう言うと、ボスは私の顔のまま「冗談だよ」といたずらっぽい笑顔を浮かべた。その顔を見て、「うわ、私もあんな顔できるんだ」と思ったが、それを口に出す事はしなかった。やはり私と、よく表情の変わる、良く言えば天真爛漫なボスとでは表情筋の使い方が違うのだろう。私も鍛えたらあんな表情を浮かべる事ができるようになるのだろうか。まぁ、あんな顔ができなくても別に死にはしないし、どうでもいいけれど。

「いやあの、それよりもボス。何故私の格好をしていらっしゃるので……? ていうかボスの前でこのヘルメット脱いだ記憶がないんですけど。なんで顔知っているんですか」

「え、そんなんお前と仲良かった雀蜂の頭かち割って覗いて見たからだけど……」

「あれやっぱり戦死じゃなくてボスの仕業だったんですね!? やめてください!」

「いやぁスマン! やっちまいました!」

「可愛く言っても許されませんけど!?」

 そう叫んだ瞬間、ストレスで痛んでいた胃から、胃液が逆流するような感覚をおぼえた。うぇ、そう小さく呟いて口元を抑えようとするも、手のひらに触れるのはヘルメットの無機質な質感だけだった。

「気持ち悪いならソレ、脱げば?」

「いえ、大丈夫です……」

「いいから脱げって」

「………………」

「ほら、はやく」

 ボスに急かされ、しぶしぶとヘルメットを外す。ヘルメットという防壁がなくなった事で頬に冷たい外気が触れ、ほんの少しだけ身体が震えた。
 私が大人しく命令に従った事に気を良くしたのか、ボスはにっこりと微笑んで「よくできました」と言った。その顔と声が私のものでなければもっと良かったのだが。そんな事を考えながら瞬きをした次の瞬間、ボスの姿は私のものからボス本来のものへと戻っていた。

「……ずいぶん謎のタイミングで変装を解きましたね」

「あのさ。ドッペルゲンガーの記憶は残るって、お前知ってる?」

「……はい?」

「お前の記憶もさ、見えちゃったんだよね」

「は、はぁあああ!?」

 ボスの衝撃発言に開いた口がふさがらない。思わず、仮にも上司にあたるボスに対して失礼な口をきいてしまったけれど、ボスは特にそれを気にするような様子は見せなかった。

「いやー、まさかお前がさー、俺の事あんなに美丈夫だの美しいだの芸術品のようだだの思っているなんて思わなかったなー!」

「ぎゃああ!!! そんな事! 全然! 思ってなんか! いませんけど!!!!!!」

「いやいやァ、俺に嘘は通用しねぇよぉ」

「勝手に人の頭ン中覗くのは悪趣味じゃないですか!?」

 私の貧困なボキャブラリーで発される罵詈雑言などどこ吹く風、といった風なボスは、どこか得意げな笑顔を浮かべながら「事実を認めろよぉ」と言った。

「これでも俺ァ昔は『浪子』なんて呼ばれてたんだぜ? あ、イケメンとか美丈夫って意味な!」

「聞いてません!」

「お前があんなに俺の事好き好き思ってくれてるおかげで思い出せたよ。忘れかけていた『自分が何者なのか』についてさ」

「だから! 好きとか言ってませんってば!!」

 私がそう言うとともにボスはソファから腰を上げ、私の眼前まで軽快に歩いてくる。そして、硬い床の上に正座する私のすぐ目の前にしゃがみ込み、ボスは私と視線を合わせる。しゃがみ込んだ拍子にふわりと風に揺れたボスの夜空を溶かしたような黒髪から、ほのかに良い香りがして不覚にも心臓がドキリと音を立てた。

「そんなに俺が好きなら一発くらい抱いてやってもいいぜ!」

「……黙ってれば良い男なんですけどね、ボスって」

「あ? 俺のなにが不満だってンだよ」

「セクハラおよびパワハラだって自覚がない所です」

「えっ、これセクハラなの? これ言って喜ばなかった女はいなかったんだけどなー」

 おかしいなぁ、そう言ってボスは小首をかしげる仕草をしてみせる。そういう「あざとい」と言われてしまうような仕草も似合ってしまう所がまた腹立たしい。
 ボスの顔がこの世の誰よりも良く、鍛え上げられた肉体と、白絹のような肌に彫られた刺青が芸術品のように美しい事は誰にも変えられない事実だ。だからこそ、余計に気に障る。

「ま、いいや。お前が俺の事好きなのだけは分かったし」

「……私以外にもボスの事好きな雀蜂はいるでしょうよ」

「ええ? お前らって金で雇われてるだけじゃないの? そん中でお前だけは俺の事が好きで付き従ってくれてるんだと思ったんだけど」

「………………」

「沈黙は肯定と受け取っていいのかね?」

「……好きにしてください」

 じゃあそう思う事にするな。そう言って、ボスはにっこりと微笑んだ。

「他の連中は自分が栄華を手に入れるために死ぬけれど、お前だけは、俺のために死んでくれ」

「…………分かりましたよ」

「ん、サンキュー」

 ボスのこういう笑顔を守ってあげられたら、そう思うのは私のエゴなのだろう。狂いゆく彼を止められないように、私たち雀蜂も少しずつ狂っていく。いや、この「新宿」という街全体が、狂っていくのだ。

 これを止める人が現れるのか分からないけれど、きっとそんな人が現れた暁には、私もボスも、みんな死ぬのだろう。狂った街全体と一緒に、狂ってしまった私たちも消えるのが世のためだ。
 その瞬間が訪れる最期の時まで、私は彼のそばにいられたら良いのだけれど。名前も知らない、この美しい男のそばに。
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