※現パロ
※真名バレなし



 入り口付近に備え付けられたノブをつまみ、少しだけ上にスライドする。そうすると、真っ暗だった部屋にほのかな明かりがともった。

『こんにちはーッ! 私たち終末ヒロイン、××でーす!!』

 初めから電源の入っているテレビ画面から流れているアイドルグループの自己紹介映像を尻目に、壁に沿うように設置されたソファの上に座る。思いのほか柔らかかったソファは、まるで包み込むかのように私の下肢をその綿の中に沈めた。

 時間が決められている以上、あまり興味のないグループの映像を見続けているのはもったいないので、何を歌おうか、とテーブルの上に置かれた四角いタッチパネル型のリモコンに手を伸ばす。履歴、何年代のヒットチャート、オススメ、とずらりと並ぶリストから好きな曲がないかぼんやりと探していると、コンコン、と部屋の戸を叩く音がした。

「失礼しまーす。ドリンクお持ちしましたー」

「ありがとうございます。そこに置いておいてくだ、さ――……」

 タッチパネルに向けていた視線を上げ、静かにドアを開けて部屋の中へと入って来た店員を見た瞬間、一瞬だけ呼吸が止まったかのような感覚に陥った。
 声で男性だと言う事は分かっていたのだが、それがまさかこんなにも顔の整った男だとは思っていなかった。
 彼は長い髪を後ろでひとつにくくっている。長髪という事で少しだけ軽薄そうな印象を受けるが、細く柔らかそうな鴉の濡れ羽のごとき艶やかな黒髪であるおかげで、ただのチャラ男ではなく、一種の芸術品のようにさえ見えた。軽く着崩されたシャツの胸元から覗く首筋は筋肉質で、よく鍛えられているのだろうと思えた。逞しい胸元に付けられたネームプレートには、「新シン」と明らかに本名ではない、パンダか何かのような名前が書かれていた。
 そして何より私の目を奪ったのは、彼の端正な顔だった。私と同じアジア圏の人間とは思えないくらいに鼻筋が通っていて、彼の切れ長の瞳は金緑石のように透き通っている。肌もまるで女の人と見紛うほどに白く、毛穴などはひとつも見付からない。
 ――そんな美しい彼と、ぱちりと目が合った。

「ン? なに、俺の顔がどうかしたかい?」

 血色の良い唇の端をニィと上げ、わずかに首をかしげながら彼はそう言った。首がかしげられたその拍子に、彼の長い黒髪がさらりと揺れる。

「ッ! な、なんでもないです!」

「呵々、俺ァお姉さんに見惚れられちゃったのかと思っちゃったぁ」

 カラカラと笑う彼とは対照的に、図星をつかれた私の顔はかぁぁ、と赤く染まった。急激に顔に熱が集まったおかげで、体感温度が一度上がったような気がする。そんな私に気付いているのかいないのか、彼はテーブルの上に手際よくコースターとジュースの入ったグラスを置いていく。そして、「ごゆっくりどうぞー」と言って部屋から出て行こうとした。

 待って、と、とっさにその後ろ姿に声をかけてしまった自分に、自分で自分に驚く。彼を呼び止めて私は一体どうするつもりだったのだろう。動きを止めた彼はゆっくりと振り返り、「他にも何かあったかい?」と言った。

「あ、えっと……! お、お名前聞いてもいいですか!?」

「んー。それはナイショ、って事でな! 仲良くなったら教えてやるよ」

 目を細め、しー、と唇に人差し指を当てながら彼はそう言った。そうして去り際にひらりと手を小さく振り、静かにドアを閉めて部屋から出て行った。





 曲のアウトロが鳴り終わる頃、テレビの画面には私の歌声に対する得点と消費カロリーが表示される。うーん、思ったより点数低かったなぁ。そんな事を考えていると、すぐさま画面表示が変わり、また新しい曲のイントロが流れ始める。
 一人カラオケは人の目を気にせず、自分の歌いたいものだけを入れられるから気が楽なのだけれども、連続で歌い続けなければならないため少しだけ疲れが溜まる。この曲は歌わないで少し休憩しよう。そう思い、流れる曲を聞きながらジュースの入ったグラスに口を付ける。歌い続けてカラカラに渇いた喉にジュースが染み込んでいくその感覚に、ふう、と溜め息をひとつ吐く。

「新シンさん、格好良かったなぁ……」

 ぼそりと呟かれた言葉は、ドリンクを持ってきてくれた店員さんに関する事だった。こういうのを世間では一目惚れ、なんて言ったりするのだろうか。歌っている間も、あの人の姿が脳裏にチラついて曲に集中しきれない。選曲も、うっかり恋の歌に偏りがちになってしまっていた。

 なにかフードを頼んだらもう一度あの人
が持ってきてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱き、テーブルの端に立てられていたメニュー表を手に取る。そんなにお腹は空いていないし、サイドメニューのような簡単なものでいいだろう。そんな事を考えながらメニューを眺めていると、ふいにガチャリと音を立てて部屋のドアが開かれた。突然の事に身体が跳ね、勢いよく扉のほうへ顔を向ける。そこに立っていたのは、待ち焦がれた新シンさんではなく、ヤンキー風の若い男三人だった。

 ニヤニヤとした下卑た表情を浮かべるその三人はどう見ても店員には思えず、頭に不安がよぎった。しかし、彼らは部屋を間違えただけなのかもしれない、と頭の中で自分に言い聞かせる。そしてそんな可能性にすがるように、震える唇を開く。

「へ、部屋……間違っていませんか?」

「オネーサン一人でカラオケ来てるの? 寂しくない?」

「えっ? あ、あの……」

「オレら男ばっかで花がないしさー、オネーサン遊んでくれない? ねっ! 人助けだと思ってさ!」

「そーそー、会計はオレらが持つし!」

 私の言葉を無視して、男たちはズカズカと部屋の中へと入ってくる。男たちが近付いてきた瞬間に漂った強いアルコールのにおいで、彼らが相当酔っているのだと悟った。

「ほ、他をあたってください!」

 酔っ払い相手ではいつ激昂されるか分からない。なるべく言葉を選んで拒否の意を示すも、男たちは「つれない事言うなよー」とまるで聞く耳を持たなかった。

「ッ! や、やだ! 離して……ッ!」

 男の一人が私の腕を掴み、ソファの上に押し倒す。振りほどこうと力を込めても腕はビクとも動かず、男は易々と私の上に覆い被さってきた。楽しくしようぜ、そう言って開かれた男の口から吐き出される獣のような呼気と、強いアルコール臭がひどく不愉快で、とっさに顔をそむける。

「オネーサンつれないなぁ! こっち向いてよー、キスしよーぜー?」

「いや! 放してください! やめてッ!!」

「カラオケ店なんだから叫んだって聞こえねぇっしょ」

 男たちはゲラゲラと下品な笑い声を上げた。私に覆い被さっていた男が他二人に顎で合図をし、それを受けて一人の男が私の頭側へまわり、上から私の腕を抑えつける。

「いやぁああッ!!」

「んじゃ、いただきまーす!」

 そう言って男が私の服の裾から手を入れようとした瞬間、ガチャリと部屋の扉が開く。誰だ、と男たちが大声を上げながらドアのほうへと振り返ると、そこには後ろ手で扉を閉める新シンさんの姿があった。

「お楽しみの所すいませんねぇ、お客様。ちょーっといいかい?」

「ッ、店員は呼んでねぇよ! オレたちは遊んでるだけなんだから放っておけ!」

「いやいやァ、そういうワケにはいかないんだって。俺には『楽しく遊んでいる』ようには見えないけど?」

「お前の目が悪ィんだろ!? とっとと出てけや!」

 男がそう声を荒げると、新シンさんは「はぁー」と大きな溜め息を吐き、面倒臭そうに自身の頭を掻くような仕草をしてみせた。

「……だからさァ、俺が優しく言っているうちにその子放してどっかに行ってくれない? って言ってンの。言葉分かる? それとも、ところ構わず盛っちゃう猿に人間様の言葉は分かんねぇかな?」

「ンだテメェふざけやがって!」

 怒声を上げ、男のうちの一人が新シンさん拳を振り上げる。このままでは彼が殴られてしまう、そう思ったけれど、新シンさんは片手でその男の拳を受け止め、ぐい、と男の腕を捻り上げた。

「イデデデデデ!! なっ、何すんだテメェ!」

「狭い店内で暴力沙汰とか困るんだよねぇ。あ、お巡りさんこっちこっちー」

「ハッ、ハァ!? 警察!?」

 男が新シンさんに関節技にかけられたと同時に、私が普段目にする警察とは似ても似つかない、黒服の屈強な男たちがゾロゾロとやって来て、私に絡んできた三人組の男を易々と抑えつけ始める。
 男たちが「放せ、お前ら絶対警察じゃねぇだろ!」と口々に叫んで抵抗するも、黒服たちにはそんな抵抗などあってないようなものだった。大人しくしてねー、なんて言いながら、黒服たちは男を部屋から引きずり出す。
 そうして一瞬のうちに男たちはいなくなり、部屋には私と新シンさんだけが取り残される。先ほどまでの騒々しさから一転、部屋はしん、とした静寂に包まれた。

「…………で、アンタ大丈夫かい?」

 状況がうまく飲み込めず、ぽかんとしていた私に新シンさんはそう問いかける。ビクリと身体を震わせた私の口からは反射的に「は、はい、大丈夫です」という言葉が飛び出した。

「怪我がないんなら何よりだ。いやー、ああいう男には本当困っちまうよなァ」

「あ、あの! た、助けてくれてありがとう……えっと、し、新シンさん?」

「ん? あー、そういや名前教えてねぇんだっけ」

 じゃあコレ、名刺あげる。そう言って彼は胸元のポケットから厚手の紙を取り出し、それを私に差し出す。そこには彼の名前と思しき人名と、携帯電話の番号とアドレスが記載されていた。
 名刺に落としていた視線を上げて彼の顔を見ると、彼はにっこりと、人好きのする笑みを浮かべた。

「俺で良かったら家まで送ってやるけどアンタはどう? あんな事あったあとだし、一人じゃ怖いだろ?」

「え……い、いいんですか?」

「ん、いいよぉ。着替えてくるからちょっと待ってな」

 そう言って彼は自然な手つきで軽く私の頭を撫で、「レジの前で待っててくれ」と言い残して部屋を出て行った。

 先ほどの男たちと違って、彼に触れられるのは不思議といやではなかった。
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