※「新宿の」新宿のアサシン
※真名バレなし
※明るくない話です
――廃墟と見紛うほどの荒れた部屋。天高く伸びるとあるビルの一室に、その男はいた。所々布が破け、中身が剥き出しになったソファに深く沈み込む男の顔はひどく整っており、そこいらの女よりよっぽど美しく見える。しかし、その男の瞳は虚ろであり、その顔の美しさを台無しにさせていた。
「……ボス」
そう呼び掛けても、男はピクリとも動かない。ボス、もう一度声に出しても、男は視線を動かす事すらしなかった。こちらの存在に気付いているのかすら分からないけれど、このまま呼び掛け続けるのも面倒だと思い、小さく溜め息を吐いてから勝手に用件を話し出す。
「スポンサーの××様がボスにお話があるそうです。行かれなくてよろしいのですか?」
「……………………」
「ボス?」
「……なぁ、アンタ何のために生きてんの?」
今までこちらにまったく反応を見せなかったボスがやっと口を開いたかと思えば、何とも返答に困る質問を投げかけてくる。何のために生きるのか、そんな事、考えた事すらなかった。
「……さぁ、生きてるから生きてるんじゃないですかね」
「………………」
「真っ当な職に就けるほどの善人じゃないからこうして雀蜂なんてやってるんですし。死ぬその瞬間まで、ただ何となく生きてるんじゃないですかね」
「アンタの生に意味はねぇのかよ」
「そう言うボスにはあるんですか?」
ピクリとボスの眉が顰められ、端正なその顔の眉間に深いしわが刻まれる。あ、怒らせてしまったかな。これは死ぬかもしれない。そんな事をぼんやりと考えながら、ボスの姿をじっと見る。しかし、ボスの手はソファの上に無造作に転がっている銃には伸ばされなかった。いつもならボスを怒らせた同僚たちはコンマゼロ秒でその頭を吹き飛ばされていたと言うのに。どうやら自分は運が良かったらしい。
「……俺は、栄華を手に入れるんだ」
「はぁ、金ならもう沢山あるじゃないですか」
「それでは足りない。俺は、彼の代わりに栄華を手に入れなきゃなんねぇんだ」
「彼、とは? 教授の事ですか?」
「……ンなわけねぇだろ。俺を信じなかった、どうしようもなく無能で莫迦な男の事だよ」
栄華を手に入れるのはな、自分の命より大事な事なんだってよ。ボスはそう小さく呟いた。
「はぁ……そうなんですか。ところでボス、スポンサーがお呼びですが……」
「………………」
「ボス?」
「……もっとさ、他になんか言う事ねぇの?」
「えっ?」
「俺の過去についてとか、命より大事な栄華って何だよとか、気にならねぇのかよ?」
「えっ……それ聞いてもいいんですか?」
「いや、ンな事聞かれたら殺すけど」
だから聞かなかったんだよ。その言葉は口に出さず、ぐっと喉の奥に飲み込んだ。何だってボスはこんなメンヘラの女みたいな事を言い出すんだか。出会った時のボスはもっと明朗快活な男だったと思ったのだが、ここ最近は情緒不安定に磨きがかかっている。
「……ボス、他者に依存しすぎなんじゃないですか。もっと自分らしく生きたらどうですか」
「それができたら苦労しねぇよバーカ」
「……………………」
「……いや、俺は俺のために生きている。生きているはずなんだ。栄華のために、欲望のために生きている。そのために他者を使うし、お前らは俺の欲望のために死ぬんだ」
「…………。さっき『彼のために栄華を極める』って言ってませんでした?」
「あ? 俺がンな事言うわけねぇだろ殺すぞ」
「……………………」
あぁ、駄目だ。またボスの記憶に混濁が見られる。言った事を忘れたり、ありもしない記憶をあると騒いだり。ボスのそういうところは正直な話、可哀想だと思っている。そのせいでいつもイライラしていて、せっかくの美丈夫が台無しだ。
そうは言っても、私はメンヘラの相手をしてあげられるほどの忍耐力も優しさも持ち合わせてはいないので、結局はボスを可哀想と思うだけで見殺しにしてしまうのだが。
「……アンタ、何のために生きてんの?」
「それ、さっきも聞かれました」
「……………………」
「ボスはボスの生きたいように生きればいいと思いますよ」
「なんでお前に俺の生を肯定されなきゃなんねぇんだよ」
「……そういう答えをお望みかと思って」
「ハァ? お前にそんな事言われても嬉しくねぇよ」
「そうですか。……まぁ、少なくとも誰にも化けてない素のボスが一番顔がいいと思います」
「…………ンな事知ってるよ」
「じゃあなるべくその姿のままいてください」
「俺に命令すんなよ」
「すみません」
私がそう謝ると、ボスは大きな溜め息をひとつ吐いてから「……萎えた」と呟いた。そしてボスは自身の身体を倒し、座っていたソファの上に横たわる。
「俺は不在だってスポンサーに言っておいて」
「…………了解しました」
これだけ待たせておいた挙句に居留守を使うのかよ。これだから気分屋は困る。そんな事を考えながら部屋を後にしようとした私の背中へ、おい、とボスのお声がかかる。
「どうかしましたか?」
「……教授が世界を滅亡させるその瞬間まで生きていたら、アンタにだけなら俺の真名を教えてやってもいいよ」
「いま教えてはくれないんですか?」
「ハッ、自惚れんなバーカ」
とっとと出て行け、とでも言いたそうな様子で、ボスはしっしと私に向かって手を振り払う。それを受けて、失礼します、と形ばかりの挨拶をしてからドアを開けてボスの部屋から出て行く。
世界が滅亡するその瞬間、ボスの名前を教えてもらうためだけに彼の隣にいなければならないなんて、それは一体どんな罰ゲームなのだろう。
そう思ったけれど、私には大切な友人も家族も恋人も、何ひとついない事を思い出し、まぁ独りきりで死なないだけマシか、と思う事にした。