※真名バレなし
※ハロウィンネタ
ふわ、と香った花の匂いが私の鼻腔をくすぐる。しかしこのカルデアに花畑などは当然なく、この香りの発生源は、私を廊下の隅に追い詰めるようにして立つ花の魔術師によるのものだった。
いわゆる壁ドン、世の女性たちが色めき立つような行動をごく自然な態度でおこなって見せた彼は、その無駄に整った顔に不敵な笑みを浮かべながら私を見下ろしていた。
「……何してるのマーリン」
「ん? ふふ、今日はハロウィンだからね。君にいらずらでもしようかと思って」
「………………」
「手始めにキスでもしてあげようか?」
「……はい、お菓子。ハッピーハロウィーン」
「ずいぶん棒読みだなぁ! というか、お菓子を持っていたのかい、君は!」
「当たり前でしょー。今日だけでもこのやりとり何回したと思ってるの」
ポケットから取り出したチョコレートをひとつ、マーリンの手に握らせる。うーん、からかい甲斐がないなぁ君は。そんな風に苦笑を浮かべながら文句を言ったマーリンは、「いたずらがしたかっただけで別にお菓子に興味はないんだ」と私が握らせたチョコレートを私に返す。
「ちょっとくらい赤面してくれたっていいのになぁ。うーん……職員にもちょっかいかけて来ようかな」
「ちょっとマーリン、職員さんたちに迷惑はかけないでね?」
「あはは、そんな事するわけないじゃないか」
「私の目を見て言ってくれる!?」
はは、努力はするよ。そう言って、マーリンはふわりと舞うようにカルデアの廊下に消えて行った。
努力はする、そう言ったマーリンの言葉が全然信用できない。これは確実に被害を受ける職員さんが出てくるだろう。いたずらと女の子が好きだと公言する夢魔の事だ、ハロウィンに託けてろくでもない事をしでかすに違いない。
――あとで職員さんたちに謝りに行かなきゃだなぁ。
はぁ、と小さく溜め息を吐いていると、遠くから「おかあさーん」と言う声とともに、こちらへ走り寄ってくる小さな足音が聞こえてくる。
あっ、いたいた! 廊下の影から顔を出したジャックとナーサリーは、私の顔を見るなり満面の笑みを浮かべてこちらに走り寄り、私の目の前まで来ると、その小さな両手を私に向かって掲げて見せた。
「おかあさん、おかあさん! トリックオアトリート!」
「お菓子くれなきゃいたずらするのだわ!」
「はいはい、ハッピーハロウィーン!」
駆け寄ってきた二人にチョコレートを手渡せば、彼女らは「わーい! ありがとう!」と無邪気な笑顔を浮かべてまた廊下を駆けて行く。
廊下は走らないでねー。そう言った私の声が聞こえているのかいないのか、「はーい!」と元気よく返事をしたものの、ジャックとナーサリーはその足を緩めはしなかった。彼女たち二人はその幼い見た目相応に、お菓子がもらえるこのハロウィンのイベントが楽しくて仕方がないのだろう。きっと、私以外にも他のサーヴァントや職員さんたちにもお菓子をねだって回っているに違いない。
はしゃぐ二人を微笑ましく見守り、そろそろ部屋に戻ろうかな、なんて思って後ろを向いた瞬間、ぶつかりそうなほどすぐ目の前に広がった人影に思わず「ぎゃああ!!!」と言う悲鳴が私の口から漏れる。
ドッドッド、と大きな音を立てる心臓をおさえ、突然目の前に現れた人物の姿をこの目に捉える。そこには、私と同じく驚いたような顔を浮かべたアサシンが立っていた。
「さすがに『ぎゃああ』は女としてどうなんだマスター?」
「気配もなく近付くアサシンが悪くない!?」
「ハァ!? 『暗殺者』のスキルなんだから仕方ねェだろ!?」
「カルデアで気配遮断するの禁止!!」
理不尽! そう言って口を尖らせたアサシンは「いや、実はアンタに用があったんだよ」と言って咳払いをひとつした。
――朝から何度も繰り返されたやりとり、アサシンの言う「用」とやらには、一瞬で察しがついた。
「もしかしてハロウィン?」
「おっ、察しが良いねぇ! さすが、さっきから菓子をねだられまくってるだけの事はあるなァ」
「……見てたの?」
「ハッ、まぁな」
アサシンの言う通り、今日は朝からジャックやナーサリーのように純粋にお菓子を求めてくるサーヴァントや、マーリンのようにちょっかいを出しに来るサーヴァント、様々なサーヴァントが引っ切り無しに私の元へ訪れていた。近付いてくるサーヴァントすべてにお菓子をねだられている勢いだ。
まあ、清姫なんかは先ほどのマーリンよりも、もっと不純な動機で何度も何度も私のもとに来ているけれど。しかし、それは「先輩に何かあってからでは遅いですから!」とマシュに持たされた大量のお菓子でなんとか防げている。さすが、できる後輩は違う。
「そろそろアンタの手持ちもなくなってきた頃かと思ってね。そら、Trick and Treat!」
「残念! まだお菓子はありますよーだ!」
差し出されたアサシンの手のひらの上にチョコレートをひとつ置く。
はは、私に簡単にいたずらできると思うなよ! 私にはマシュから貰った大量のお菓子があるのだ。今なら怖い物など何もない。何度来ようとも無駄だ。
私にいたずらを仕掛けるのに失敗したアサシンは、さぞ悔しそうな表情を浮かべているに違いない。そう思ってアサシンの顔をちらりと覗き見ると、その顔は私の想像とは違う、悪巧みに成功したようなあくどい表情を浮かべていた。
「えっ、何その顔……?」
私がそう呟くと、アサシンは笑いを堪えるような声で「マスター、俺がさっきなんて言ったか思い出してみ?」と言った。
「――え? ……トリック、アンド……えっ、アンド!?」
「そう! Trick and Treat! 『お菓子くれたらいたずらする』だ!」
「は、はぁ!? なにそれ!」
アサシンの口から飛び出る言葉に驚き、思わず大きな声が出てしまった。目を見開いて驚愕の表情を浮かべる私とは対照的に、アサシンは切れ長の目を三日月のように細め、ニィ、と口角を上げる。
「呵々、言葉の意味はちゃあんと考えないと駄目だぜマスター? さて、アンタからお菓子を貰っちゃったからには仕方がない、これはいたずらするしかねぇな?」
「い、いやいやいや! おかしいでしょ!?」
「お菓子だけにおかしいってか!」
「全然面白くないんですけど!?」
まるで逃がさない、とでも言うようにアサシンは私の肩を抱き、「んじゃ、これからは『大人の』ハロウィンを楽しもうじゃないか」と舌なめずりをしながら言った。
アサシンの艶やかな唇から覗くその舌は、私のポケットに仕舞われた飴玉よりも紅く、その艶めかしさに反射的にごくりと喉が鳴った。
「さぁて、マスターはどんないたずらをされたいのかねぇ?」
そう言ってアサシンは私に口付けを落とす。その口付けは、ほんのりとチョコレートの味がした。