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 ふと目を覚まして最初に目に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。

「…………?」

 数度まばたきしてよく見てみると、それは部屋の天井ではなく天井付きベッドの裏側である事が分かった。部屋の天井はもっと高い位置にある。確実に自分の手は届かないだろう。一目でここが自分の部屋ではない事を悟った。

 天井付きベッドの四方には刺繍の施されたカーテンのようなものが付いており、ベッドに敷かれたシーツはシルクのような手触り。部屋に置かれたベッド以外のタンスや鏡台のような家具も―物の価値は私には分からないけれど―どれも高級そうな造りに見える。ここはいつか夢見たお貴族様の住んでいる部屋、その理想そのものだった。煌びやかな部屋は思わずうっとりしてしまいそうではあるが、それよりも。

「……ここ、何処」

 今はシーツの手触りや調度品の美しさに心を奪われている場合ではない。ここが他人の家であるのなら今すぐにでもお暇しなければ。本音を言うと、見知らぬ場所にいる不安は並ではなく、早く自分の家に帰りたかった。

 ベッドから降り、部屋の入口まで歩く。調度品と同じく凝った模様の彫られたノブをひねり、ドアを開けて外へ出る。赤いカーペットの敷かれた長い廊下もまた、部屋と同じく豪華な造りをしているようだった。壁には金色の額縁に入った写真が所狭しと飾られている。飾られた写真のほとんどは風景写真で、人間は一人も写っていない。けれど、繊細に写されたその風景写真は、有名な絵画と見紛うほどに美しかった。

「―君は写真に興味があるのかい?」

「ッ!!」

 飾られた写真を眺めていると、ふいにそう声を掛けられ、ビクリと身体が跳ねる。反射的に声のした方向へと顔を向けると、そこには白い髪をゆるく束ねた美男子が立っていた。絢爛な屋敷に引けを取らない上品そうな雰囲気をまとったその姿を見て、彼がこの屋敷の住人である事は疑いようもない事実であると思えた。

 どうして自分がこの屋敷にいるのか思い出せない以上、自分が招かれた客であるとは思えない。彼に私が泥棒であるとか、不審人物だと思われていないだろうか、と、慌てて口を開く。

「あっ、あの! わ、わたし泥棒とかではなく……! えっと、その……!!」

「ああ、そんな事はどうでもいいよ。それより、君はその写真を眺めていたようだが」

「あ、は、はい! すごく、綺麗な写真だと思って……」

「そうだろう? それは私が撮ったものなんだ」

「そうなんですか? すごい……」

「ふふ。他にもあるから見せてあげようか」

 ついておいで。そう言って男はくるりと背中を向けて歩き出す。写真を褒められた事がよほど嬉しかったのか、男の足取りは上機嫌そうだ。
 変わった人だな。そう思いながらも、私はとりあえずその男の後を追う。身長が高いせいか男の足は速く、ついて行くのにも一苦労だった。
 何とか置いて行かれないようについて行くと、男はとある部屋の前で止まる。

「ここだ。入ってごらん」

 男はドアを開け、私が入室するのをドアの前で待った。レディーファーストが徹底された彼のその仕草を見て、やはり彼は育ちの良いお貴族様なのだろう、なんてぼんやりと考えながら、彼の言葉に甘えて部屋の中へと足を踏み入れる。

「わあ! すごい!!」

 部屋の中に飾られた写真の数は、先ほどの廊下で見たものに引けを取らない。大小様々な額縁に入れられた写真が沢山飾られている。

「すごい、本当に写真を撮るのが上手なんですね!」

「お褒めにあずかり光栄だな」

「もっと近くで見てもいいですか?」

「ああ、構わないよ」

 廊下に飾られていた写真と同じように、この部屋にある写真もやはり風景や物ばかりで、人間は誰一人として写っていなかった。風景写真だってあんなにも綺麗なのだから、彼の手に掛かればどんな人物でも有名な名画のように撮る事ができるのではないだろうか。きっと、とても美しいのだろう。そんな風に思い、口を開く。

「人が写った写真はないんですか?」

「……どうして?」

「あ、深い意味はないですよ!? きっと綺麗に撮れるんだろうな、って思っただけで―……」

 私がそう言うと、彼は長い指をした綺麗な手をこれまた綺麗な顔に添え、「ふむ」と考え込むような仕草をしてみせた。

「―君が写真になったら、さぞ美しいのだろうね」

「えっ!? い、いやぁ……そんな事はないと思いますけど……私は美人じゃないですし……」

「いいや、そんな事はないさ。写真に写る君はさぞ綺麗だろうよ」

「ええ、そんな……」

「撮ってあげようか。こちらにおいで」

 そう言って彼は奥の部屋へと進んでいく。とても美しい顔をした彼にそう言われ、私としてもまんざらでもなかった。やや恥ずかしく思いながらも、彼の後ろをついていく。
 彼の向かった部屋の奥はどうやら撮影スペースになっているようで、そこには一台のカメラが設置されていた。部屋の隅に置いてあった椅子をカメラの前に設置した彼は、私に「ここに座れ」と指示をするように、その長い指で椅子を指差した。それに従って私は椅子に座り、手櫛で申し訳程度に髪を整える。

「え、えへへ……なんか緊張しますね……」

「ああ、私も人を撮るのは久々だ」

 さぁ、笑って。そう言って、彼はカメラのシャッターを切った。まばゆいフラッシュで目の前が真っ白になったその瞬間、私は意識を失った―。



 ◇◇◇



 ふと目を覚まして最初に目に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。

「…………?」

 物凄いデジャヴを感じる。先ほどもこうして目を覚ましたはずなのだが、見えている景色が先ほどとまったくと言っていいほどに違う。先ほどまでいた屋敷は色鮮やかで、とても美しかったはずだ。今私が見ている景色はモノクロで、鮮やかさのカケラもない。まるで世界から色がなくなってしまったかのようだ。

「何、ここ? どういう事……?」

 シルクのような手触りのするシーツの敷かれたベッドから降り、部屋を出る。廊下のデザインや飾られた写真の位置も先ほどとまったく同じだけれど、やはり、色だけがすっかり抜け落ちてしまったかのように見える。私の目が悪くなってしまったのだろうか。それとも、先ほどとは別の部屋にいる? 訳が分からない。理解ができない。突然の事に理解が追い付かず、思考がまとまらない。こんな事になるくらいなら、写真なんて撮ってもらわないでさっさと帰ってしまえば良かった。

「―ああ、やはり君は写真の中にいるほうが美しいよ」

 後悔と恐怖で泣きそうになっている私の後ろから、男の声が掛けられる。突然の事にビクリと身体が跳ねた。
 けれど、怯えてばかりもいられない。勢いよく声のした方向へと顔を向けると、やはりとでも言うべきか、先ほどの美男子がうっとりとしたような眼差しでこちらを見ていた。大股で彼に近付き、その腕を掴む。

「ここ、何処なんですか!? 世界から色がなくなったみたいな……! ど、どういう事なんですか……!?」

 彼にそう詰め寄ると、彼はその優雅な雰囲気を崩さぬまま「ふふ」と笑ってみせた。その余裕ぶった態度がまた、私の焦った心を逆なでする。

「何なんですか!? わ、笑い事じゃない……!」

「ここは写真の中、私の世界だよ」

「写真の中……?」

 男の言い放った言葉の意味がよく分からず、思わず聞き返す。思い切り眉をひそめる私とは対照的に、笑顔を浮かべたままの男は「その通り」とやや芝居掛かった仰々しい仕草でそう言った。

「写真だけが私のすべて。ここに閉じ込めてしまえば、私はもう何も失わない」

「な、なにを言って……」

「君の魂はもう私の物だ。君の事は一生、私が愛でてあげるからね」

 そう言って彼はにっこりと微笑んで私の頬を撫でると、パラパラと写真をめくるような音を立ててその場から姿を消した。


 ◇

 そして私はこのモノクロの写真世界の中で彼―ジョゼフと名乗った男の訪れを待つだけの身となってしまった。この世界はまるで時が止まっているかのようで、お腹も空かなければ死ぬ事もない。

「写真だけは私を裏切らない。愛おしい君を写真の中に収める事ができて私は幸せだよ。ここならば何も失う心配がないから、きっといつか君もここ……写真の中だけが、楽園だと気付くだろう」

 彼は愛おしそうに、何度も何度もそう言った。ここは地獄だ。

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