ロマンティック・アイロニー

2017/08/06 22:00


「――パイ、先輩! 起きてください!」


 マシュに揺すられ、沈んでいた意識が浮上する。しかし、私の身体は起床する事を拒んでいた。重いまぶたを上げられる気がしない。あと五分。そう呟くと、マシュは「先ほどもそう言って十分ほど多く睡眠を取られましたよ」と困ったように言った。


「これ以上のお寝坊は見過ごせません!」


 そう言って私の身体を揺する手を止めようとしないマシュに、もう一度眠りに就く事はできないのだと悟り、うぅ、と小さく唸ってから渋々身体を起こす。起き上った私にマシュは「おはようございます、先輩」と少し嬉しそうに言った。


「昨夜は着替えずに寝てしまわれたのですね」


「あー……うん、何か疲れちゃって」


「シワになってしまいますね。貸していただければアイロンをかけておきます」


「ありがとう、マシュ」


 笑顔でそう返せば、マシュは「当然の務めです!」と誇らしそうに言った。ああ、今日もマシュは可愛い。将来は絶対に良いお嫁さんになるだろう。そう思いながら大きく身体を伸ばす。そんな私を見ながら、マシュは「今日は何をするご予定ですか?」と、今日の予定について尋ねた。


「えっと……。そうだ、今日は宝物庫に行こうかな」


「了解しました。QPが底を尽きそうですものね」


「うん。朝ご飯食べたら行こう。着替えたら行くからマシュは先に行ってて」


「はい! 先に食堂で待っていますね」


 そう言って部屋から出ていくマシュを、手を振りながら見送る。ウィン、と音を立てて扉が閉まったのを見届けてから、はぁ、と大きく息を吐いた。

 目を閉じ、今日見た夢の内容を思い出す。夢に出てきた人物――あれは、間違いなく燕青だった。旦那と呼ばれた二メートルはあろうかという大柄な人物を、燕青が必死で引き留めるもその人は燕青を信じず、有無を言わせず行ってしまった。あれが、燕青の言っていた「前の主にされた裏切り」のひとつなのだろうか。そうなのだとしたら、あまりにも酷い。あれは、端から燕青の話を聞こうとしてなどいなかった。

 ――サーヴァントと契約したマスターはサーヴァントの生前の記憶を夢に見ると言う。実際に、私も何度かサーヴァントの記憶を見た事があった。


 燕青とは昨日のクエスト中に直接魔力供給を行ってパスが繋がったから、だからこんなにも鮮明な記憶を見たのだろうか。あの夢は見ただけで、大切な人に信じてもらえない悔しさとか、地獄のような道に進もうとする人を止められない歯痒さだとか、そういう苦しい感情が雪崩のように押し寄せてきた。

 私は今日、どんな顔をして燕青に会えばいいのだろう。過去の記憶を見てしまった、なんて言われても燕青は良くは思わないだろう。なるべく普通に、なるべく冷静に、いつも通り接しよう。そう自分に言い聞かせながら、寝乱れてシワだらけになった服のボタンを外した。




 あ。思わずそう声が出る。食堂へと向かう廊下を歩いている最中、反対側から来た燕青と目が合った。燕青は私と目が合うなり切れ長の目を細め、ゆっくりと距離を詰めて私の肩に自身の腕を回した。急に近くなった顔に思わず心臓が跳ねる。


「よぉマスター。今日はどこのクエストに行くんだい?」


「おはよう燕青。今日は燕青はお留守番だよ」


「へ? 何で? 俺ァ疲れてねぇよ?」


「宝物庫に行くから相性悪いんだよ」


「……昨日、相性悪い所に俺を連れて行ったのはどこの誰だったっけなァ」


「……それは本当にごめんって」


 まぁ別に気にしてないけど。そう言って燕青はカラカラと笑った。燕青はいまだ私の肩に腕を回したまま離れようとしない。肩に感じる腕の重みとか、燕青から漂う良い匂いだとか、そういうものを感じてしまい、変に緊張してしまう。離れてくれないのかなぁ、そんな事を思っていると、私の顔をじっと見つめる燕青の視線に気付く。なに? と問いかけると、燕青はニヤリ、という効果音が付きそうなくらいに口角を釣り上げた。


「顔が赤いけどどうした? もしかして……昨日の事思い出しちゃったのかい?」


「ッ! ば、ばか!! うるさい!!」


「ははッ! 照れるな照れるな」


「照れてないってば!」


「あ痛ッ」


 燕青の背をバシ、と叩く。すると燕青は背をさすりながら「乱暴すんなよぉ」と軽く非難するような調子で言いながら私から離れた。

 溜め息を吐きながら両手で頬を抑え、赤くなった顔を隠す。整った顔をむやみやたらに近付けてくるのはやめてほしい。会話の最中に顔が近付くのなら特に気にはならないけれど、燕青の場合はわざと顔を近付けてきている。そんな事をされて、意識しないほうがおかしいだろう。本当に、心臓に悪い。気を付けないと燕青のペースに飲み込まれてしまう。

 食堂へ向かってふたたび歩き出した私の隣を、燕青は楽しそうに歩く。時折視線を感じて燕青のほうへ顔を向ければ、彼は目が合うなりニコ、と笑顔を浮かべた。


「……なに?」


「いや? なんでもないさ」


 そう言われたものの、燕青は私の顔を見つめる事を止めない。また私が燕青のほうを向けば、燕青は笑顔を浮かべる。しかし、その行動に何か意味があるわけではない。それを数回繰り返すうち、いつしか私たちは食堂に辿り着いた。


「先輩! ――あ、燕青さんも一緒だったんですね」


 食堂へ入ると、座席に座っていたマシュが立ち上がって私を呼んだ。マシュの座っていた席にはご飯の乗った手付かずのプレートが置いてあり、その隣の空いた席にも同様のプレートが置いてあった。恐らく、それはマシュが私のために用意してくれていたものなのだろう。


「す、すみません。燕青さんがいると思っていなかったので、先輩の分しか用意していませんでした」


「ん? いいって、大丈夫。俺らサーヴァントは食べなくても問題ないし」


 じゃあまたなー、そう言って燕青はひらひらと手を振りながら、適当に固まっていたサーヴァントたちの輪の中に入っていった。

「……燕青さんに悪い事してしまったでしょうか」


「んー、燕青も『大丈夫』って言ってたし、気にしなくてもいいと思うよ。ほら、私たちもご飯食べよ」


「……そうですね」


 マシュと並んで座り、いただきます、と声をそろえる。それから、私たちはプレートに乗せられた食物に箸を付けた。
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