黙して語らず

2024/01/22 23:30


―― 冒頭省略 あらすじ ――

友人に誘われたクラブでしつこいナンパに遭う夢主。助けてくれたのは小学生の頃に交流のあった灰谷兄弟だった。
その日の出会いから蘭と何度も遊ぶ仲になる。終電を逃したときは迎えに来てくれるなど、蘭は夢主に優しくしてくれていた。
うっかり体の関係を持ってしまい、セフレになってしまったと悩む。私以外にも遊んでる女の子はたくさんいるはず。そう嫉妬する自分も、そんな関係(セフレ)も嫌だからしばらく離れたい。そう蘭に懇願するも、蘭は「オレたち付き合ってるんじゃなかったの?」と一言。どうやら両思いだったらしい。そう喜んだのも束の間…。

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 竜胆くんがDJをするという日。ダンスミュージックの流れるフロアに足を踏み入れると、じろじろとした視線が私に突き刺さった。ある人は私の頭の先から爪先までを舐めるように、ある人は私の顔を凝視するように。そんな人々の視線などまるで意に介さず、蘭くんはいつもの通りの表情で私の腰を抱いていた。

「蘭クーン、久し振りだね」

 遠巻きに眺める人たちの中から一人、ドレッドヘアーの陽気そうな人が蘭くんに声をかける。彼はビッグシルエットの服装からしても、ヒップホップが好きそうな見た目をしていた。見た目の雰囲気はスッキリとしたシルエットの蘭くんとは真逆で、一見すると接点などなさそうに見える。だが仲はそれなりに良さそうで、なんとなく竜胆くんを介して知り合ったのだろうな、と思った。

「その子は新しいお友達?」
「ううん、オレの彼女。だから手ぇ出すなよ」
「出さないよー、まだボク死にたくないし。あ、彼女さんヨロシクー」

 ドレッドヘアーの彼は私に向かって拳を突き出す。私もそれに合わせて握り拳を前に出せば、彼はウェーイなんて言いながら私の拳と彼の拳を軽くぶつけた。いわゆるグータッチ。あまり馴染みのない挨拶の仕方ではあったが、戸惑うことなく対応できて良かった。
 ドレッドヘアーの彼が声をかけてきたのを皮切りに、他の人たちも周りに集まってくる。蘭くんの彼女、という肩書は客寄せパンダの効果もあるらしい。みんな次々に「彼女さん初めましてー」なんて言いながら私を見た。たくさんの人に囲まれることも、大量の視線に射抜かれることも、これまでの人生ではほとんど経験のなかった私はその状況に少々面食らう。助けを求めるようにチラリと蘭くんへ視線を送るも、彼は相変わらず平然としていて、「何、酒でも持って来る?」なんて言って不思議そうな顔をしていた。

「蘭クンに彼女ができた記念にシャンパンでも入れちゃおっかなー」

 ドレッドヘアーの彼が笑顔でそう言う。蘭くんが「いいね」と同調するようなことを言えば、ドレッドヘアーの彼は「じゃあ持って来るから待っててヨ」とその場を離れていった。そうして運ばれてきたシャンパンをその場にいるみんなで分け合って飲み干した後、蘭くんは話があると言う男性に連れられ、私を置いて何処かへ行ってしまった。バーカウンターから貰ってきたカクテルを片手に一人、壁際で待つ。フロアでは爆音の音楽に合わせて踊る人たちが見えるが、先ほどのシャンパンのアルコールが思ったよりも強く、私はそこに混ざって踊る気にはなれなかった。

「ねぇ、アナタ蘭の彼女なんだってー?」

 声をかけてきた人物に目を向ける。そこには派手な美人がいた。緩やかなウェーブのかかったブロンドの髪。赤い唇は林檎のように艶やかで、肌は陶器のようになめらかだった。芸能人だと言われても不思議ではないくらいの美人だ。目が合うと、彼女はニコリと微笑んだ。

「蘭と付き合うの、大変じゃない?」

 彼女は長いまつ毛でふち取られた目を細めて言った。

「アイツ超遊んでるよね」
「え」
「彼女とか作るんだぁ、って私ビックリしちゃった」
「そう、なんですね」
「やだぁ、敬語とか使わなくっていいよ」
「……。うん、わかった」
「蘭ってさ、メールの返信遅いよね」
「え。まぁ、確かに……」
「だよね。デートも全然してくれないし」
「…………」
「ヤってすぐ解散。たまにご飯は付き合ってくれるけど」
「…………」
「あ、その顔は思い当たる節ある感じ? アイツ恋人にもそんな扱いしてるんだぁ」

 彼女はクスクスと笑った。眉尻を下げて「ホント困っちゃうよねぇ」なんて私に同意を求めるような言葉を吐く。彼女は表面的にはとてもフレンドリーで、私に寄り添うような言い方をしている。だが、その言葉の裏に隠された棘を感じてしまい、私は不愉快な気持ちになった。何故、彼女は私にこんなことを言ってくるのだろう。自分の彼氏が他の女の子と遊んでいることを匂わせる発言をされて、不快に思わない人はいないだろう。いたとしてもきっと少数派だ。少なくとも、私はそんな話は聞かされたくない。知りたくない。

「私たち、仲良くなれると思わない?」
「え?」
「アドレス交換しよ。蘭に泣かされたら連絡してよ、私が慰めてあげるからさ」
「え、いや……」
「蘭に振り回されてる同盟けっせーい」

 そう言って彼女はストーンで綺麗にデコレーションされたケータイを開く。正直、アドレス交換なんてしたくなかった。自分の彼氏を馴れ馴れしく呼び捨てにしているような女の子と、しかも蘭くんとの過去の関係を匂わせてくるような、そんな子と仲良くできるほど私の心は広くない。嫌だと突っぱねたかった。だが、あくまで彼女がしているのは匂わせだけで、直接的に喧嘩を売られたわけではない。ここで下手に断ったら「過剰反応しないでよ」なんて言われてしまいそうだった。
 渋々ではあるが自分のケータイを取り出し、赤外線を繋いで彼女とアドレスを交換する。アドレス帳に登録された彼女の名前には見覚えがあるような気がした。決して彼女の名前はありふれた名前ではない。他人の空似や思い過ごしではないだろう。どこで見た名前だっただろうか。記憶を必死で掘り起こす。

 ――先日、蘭くんに電話をかけてきていた子の名前だ。

 ざわ、と心がささくれ立つのを感じた。先ほど飲んだシャンパンによる酔いも相まって感情の制御ができない。彼女が蘭くんに電話をかけていたことも、過去の関係を匂わせてくることも、全てが不快で仕方がなかった。
 彼女は綺麗な顔をしている。蘭くんの隣に立っても見劣りしないくらいの美人だ。服装やメイクからも彼女の並々ならぬ努力が伺える。これだけ美人であれば男なんて選び放題だろう。もしかしたら蘭くんも心が動いてしまうかも。そう思うと不快な気持ちになった。蘭くんに近寄らないでほしい。引っ掻き回さないでほしい。口には出さないものの、そう思ってしまった。

「――オマエら何してンの?」
「あ、蘭だぁ。見て、彼女さんとアドレス交換したのー」
「へぇ」
「彼女さん大人しいねぇ。蘭が仲良くしてる女の子の中じゃ珍しいタイプな気がする」
「はぁ? オマエに関係なくね?」
「冷たーい。蘭にふさわしい子か見てあげただけじゃん」
「何それ。頼んでねぇし」
「ひっどーい! 蘭てほんとそういうトコあるよね」

 そう言って彼女は蘭くんの腹の辺りを軽く小突いた。友人同士であれば特に違和感のないスキンシップだ。だが、目の前で自分の彼氏が他の女の子に触られているところは見たくない。心がざわざわとする。私の気にしすぎであることは薄々分かっていた。それでも、嫌なものは嫌だ。しかし、だからと言って彼女に対して「蘭くんに触らないで」なんて牽制することもできない。蘭くんの交友関係に口を出すような重い女にはなりたくない。一時の嫉妬心に駆られて暴走して、蘭くんに振られでもしたらきっと私は立ち直れないだろう。

「じゃあ私そろそろ行くね。じゃあね、彼女さん。蘭にひどいことされたら私にいつでも相談してよ」
「ンなことしねーよ」
「蘭には言ってませーん。じゃあ、またねぇ」

 そう言って手を振り、去っていく彼女は後ろ姿も美しかった。三百六十度、どこからどう見ても非の打ちどころのない美人。蘭くんの友達にはこういう美人が何人もいるのだろう。ざっとクラブの店内を見回すだけでも、可愛らしい人からモデルと見紛うような綺麗な人まで、たくさんの女の子がいた。私はこんな子たちと戦わないといけないのだろうか。
 私は蘭くんの彼女だ。蘭くんは他の女の子ではなく私を選んでくれた。だから不安に思うことなんてない、はず。そのはずなのに、どうしようもない不安が私を襲う。

「竜胆この後ステージ上がるって。行こーよ」

 蘭くんは私の肩を抱き寄せながらそう言った。フロアにはアップテンポの音楽が流れている。イヤーハッハァー。竜胆くんのかけ声に合わせて人々はさらに熱狂する。フロアで踊る人たち、リズムに合わせてテキーラを飲み干していく人たち、みんな思い思いにその空間を楽しんでいた。フロアの興奮は最高潮だ。
 私もその興奮の渦に飲まれたかった。しかし、先ほどの美人の言葉が気になって、私は心の底から楽しむことはできなかった。
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