さよならさんかくまたきてしかく

2019/02/24 16:00


――彷徨海 カルデアベースにて――

 そうして現地で召喚されたサーヴァント、異聞帯で繁栄した異なる文化で暮らす人々、霊基トランクから駆り出されるシャドウサーヴァントの協力を得て、私たちカルデアは二つの異聞帯を滅ぼした。そして北欧の異聞帯で空想樹を切除してすぐに辿り着いた彷徨海が、私たちの新しい拠点となった。

 シャドウ・ボーダーという狭い車体から、彷徨海にできたカルデアベースに拠点が移ったのは非常に嬉しい事だ。人数はかなり減ってしまったけれど、過ごし慣れたカルデアに似た場所に帰れるという事実は気持ちの面でかなり大きい。そして何よりも嬉しいのは、霊基グラフとトリスメギストスUとの接続が成功し、サーヴァントの再召喚が可能となった事だ。それもこれも、魔術教会からの退去命令を「契約破棄」ではなく「一時凍結」として処理してくれたダ・ヴィンチちゃんのおかげだ。

「安・珍・様〜〜!! またお会いできて嬉し、ゲフッ!!」

「召喚されて早々にマスターに抱き付くのは止めなさいよ! 見苦しいったらありゃしないわ!!」

「だからってドロップキックはおやめくださいまし!」

 再召喚した清姫が私に抱き付こうとした瞬間、間髪入れずにエリザベートのドロップキックが炸裂する。あまりの展開の速さに、それを見ていたマシュは口を開けて呆然としていた。私もかなり驚いたけれど、私以上に驚いた表情をしているマシュを見ていたらなんだか面白くなってしまった。

「さ、さすが……清姫さんとエリザベートさんはお変わりなく……その、とても……お元気ですね……」

「マシュ、びっくりしちゃった?」

「はい、少し……。すみません、先輩」

「こういうノリって久し振りだもんね。仕方ないよ」

 キャーキャーと言い争う清姫とエリザベートを見ていると、やっといつものカルデアが戻って来たと実感できた。彼女らと会うのはいつぶりだろう。とても長かったような気もするし、短かったような気もする。

「霊基数値も問題なさそうだね〜! ウンウン、さすが私! 天才だ!」

「ダ・ヴィンチちゃん、本当にありがとう!」

「ふふん、もっと褒めてくれたまえ!」

 得意げに鼻を鳴らすダ・ヴィンチちゃんに賞賛の拍手を送っていると、新所長から「サーヴァントの契約凍結だなんて勝手な真似をするな」とヤジが飛んでくる。それに対してダ・ヴィンチちゃんはぺろりと舌を出す。
 あ、あの顔はまったく反省していない顔だ。

「ねぇ、ダ・ヴィンチちゃん」

「ん? どうかしたかい?」

「えっと……、燕青の事も、召喚できないかな?」

「燕青? うーん、彼は英霊じゃなくて幻霊なぶん、他のサーヴァントと比べて霊基が不安定だからなぁ……」

「……難しいかな」

「触媒でもあれば話は違うかもだけど。でも、架空の存在である彼に遺物なんてあるわけないし……」

「ッ! それなら持ってる!!」

「え?」

 バレンタインのお返しでもらった隕鉄扇。護身用にすればいい、と燕青に使い方を教えてもらい、ずっと携帯していた。バレンタインにはサーヴァント達からかぞえきれないほどの贈り物やお返しをもらったけれど、そのほとんどはあのカルデア襲撃事件にて失ってしまった。たまたま持ち歩いていた燕青の隕鉄扇だけは無事だったのは、ある意味では奇跡だった。

「これがあれば、なんとかなるかな」

「そうだね。試す価値はありそうだ」

「じゃあやってみる! マシュ、召喚いいかな?」

「はい! 了解です、先輩!」

 いつものようにマシュの盾を使って召喚サークルを設置する。そしてそこに、燕青からもらった隕鉄扇を置く。

「――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 目を閉じ、今まで何度も口にしてきた詠唱を始める。呪文はもう完璧に頭に入っていた。

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 マシュの盾がパチパチと光を放ち始める。光とともにわずかな風も巻き起こり、私の髪を揺らした。肩幅に開いた両足に力を込め、まっすぐに立ったまま詠唱を続ける。

 ――もうすぐ、もうすぐ燕青と再会できる。

 その一念で、私の心は浮足立っていた。もう二度と会えないと思っていた彼にもう一度会えるのだ。その嬉しさは並ではなく、正直、もう涙が溢れそうだった。

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!」

 閃光。そう呼ぶにふさわしい強烈な光が辺りを包んだ。バチバチという電気が走ったような音とともに、白い煙のようなものが立ち上る。そしてその煙の中には、見慣れた人影がひとつ。

「――燕青!!」

 煙がすべて晴れぬうちから、感極まって思わず彼の名を口にする。
 鴉の濡れ羽のような黒い髪、白い肌を彩るあざやかな刺青、鍛え抜かれた美しい肉体。彼は間違いなく燕青で、私が焦がれてやまなかった彼そのものだった。燕青はにっこりと微笑みながら片手をあげて「いよー!!」と調子の軽い挨拶をする。声も、雰囲気も、退去する前と何ひとつ変わっていない燕青の姿を見て、じわりと視界が涙でにじんだ。
 二度と会えないと思っていた燕青が、狂いそうになるほど焦がれた燕青が、いま私の目の前にいる!

「え、えんせ――……」

「というワケでクラスアサシン、燕青だ! ところで『黙っていれば色男』って、誉め言葉なのかね? アレ」

 燕青のその言葉で生じた違和感に、思わず私の身体が固まる。あれ、その言葉って初めて燕青を召喚したときにも言われなかったっけ?

「え、燕青……?」

「おお、アンタが俺のマスターかい? よろしく頼むぜ、マスター!!」

「ま、待って。私の事……お、憶えてないの?」

「ん? 憶えているも何も、マスターと俺は初対面のはずだが」

「………………」

 ――燕青が、私を憶えていない?

 いま私は悲しむべきなのか怒るべきなのか、それすら分からず、ただ茫然と立ちすくむ。燕青が私を憶えていないという事実が衝撃的で、頭が真っ白になっていた。
 どうしていいのか分からず、チラリとダ・ヴィンチちゃんの顔を見る。ダ・ヴィンチちゃんは眉をひそめ、首をかしげながら「あれ?」と呟いていた。

「……燕青、キミはカルデアの事を憶えていないのかい?」

「なんなんだァ、さっきから? 記憶にねぇって。いや本当に」

「……うぅーん、霊基グラフの数値的には退去前と同じなんだけど……。どうやらカルデアでの記憶だけがすっぽりと抜けているようだ」

「え、なに、俺は前にも召喚された事あんの?」

「ああ。キミはカルデアに……、いや、そこにいる彼女に召喚されたんだ。憶えていないかい?」

「うーん……悪いがサッパリだ」

「………………」

 すぅ、と全身が冷えていくような感覚をおぼえた。まるで自分が氷にでもなったかのようだ。心なしか、キィンと耳鳴りのようなものも聞こえる。

「せ、先輩……大丈夫ですか?」

 おそるおそる、と言った様子で声を掛けてきたマシュのその言葉にハッとする。
 ――みんなが、心配そうに私を見ていた。

「だ、大丈夫! 一回は退去したんだもん、そういう事もあるよね。私は燕青にもう一度会えただけでも嬉しいよ!」

 みんなに心配を掛けさせまいと、努めて明るい声を出す。もう一度会えた事が嬉しい、その言葉は紛れもない本心だ。そこに間違いはない。だから、大丈夫だ。

「ほかのサーヴァントたちも呼び出さなくっちゃ! また前みたいな活気が戻るといいなぁ!」

「せ、先輩……あまり無理はされないほうが……」

「無理なんてしてないよ! 心配してくれてありがと、マシュ」

「………………」

 十回連続召喚くらいならできそうだ、そう思って準備に取り掛かろうとした所を、ダ・ヴィンチちゃんに止められる。ダ・ヴィンチちゃんは私の腕をつかみ、ふるふると頭を横に振った。

「無理は禁物だよ、マスターくん。キミは気付いていないかもしれないが、顔が真っ青だ」

「………………」

「急ぐ理由もないしね、召喚は明日にしよう。今日は部屋に帰ってゆっくり休むといい」

「でも……せめて料理ができるサーヴァントくらいはいたほうが……」

 タマモキャットとかブーティカとか、と言った私の言葉にかぶせるように、「ええい!」と新所長が声を上げる。

「料理くらい私にも心得はあるわ! キミはそんな辛気臭い顔をしたマスターに呼ばれて喜ぶサーヴァントがいると思うのかね!?」

「……。すみません」

 じゃあお先に失礼します。一礼をしてからそう言い、駆け足で自室へと戻る。
 新しいこの部屋はカルデアにあったマイルームと似た造りをしているが、細部をよく見ると少しだけ違う。マイルームと同じように、再度召喚した燕青も、あの頃とは違うのだ。そう思うと途轍もない違和感をおぼえ、頭が痛くなった。

「………………」

 ぎゅ、と胸の前で両手を握ると、自分の手は冷え切っていて、その冷たさに愕然とする。その両手は真冬の屋外から帰ってきたばかりのような冷たさだった。
 もしやと思って部屋の中にあった鏡に自分の顔を映すと、そこには血の気の失せた蝋人形のような顔をした自分が映っていた。唇にも頬にも色がなく、色白を通り越してもはや死人のような顔をしていた。

(……やっぱり私、本当はショックだったんだ)

 そう自覚した瞬間、じわりと目頭が熱くなった。目の端からこぼれた涙は、色のなくなった頬を濡らす。

「う、うぅ……えんせい……」

 泣くつもりなんてなかった。泣いたら目が腫れるし、みんなに余計な心配をさせてしまう。
 早く泣き止まなくっちゃ。そう思っても、目からこぼれ続ける涙は止まってはくれなかった。


 ◇◇◇


 そして翌日、気を取り直して再召喚を試みる。中国の異聞帯で会ったばかりの、荊軻やモードレット、スパルタクスに加え、懐かしい顔ぶれがそろい始める。再召喚されたサーヴァントは、再臨姿もカルデアにいた頃とまったく同じで、懐かしさがこみ上げる。

「みんな、また私の召喚に応じてくれて本当にありがとう。カルデアはもうなくなってしまったけれど、また私たちの未来を取り戻すために協力してほしい」

 もちろん。また頑張ろう。マスターのためならいつでも協力する。サーヴァントたちはみんなそう言ってくれた。それが嬉しくて、胸がじんわりと熱くなる。
 みんな、カルデアにいた頃と変わらない。――なのにどうして、燕青だけは違うのだろう。

 英霊が座へと還ると、召喚された先で体験した「記憶」は「記録」に変わり、座へと蓄積される。その記録は実体験や思い出というよりは、自分を題材にした小説を読むような感覚と同じらしい。だから、例えば自分の人生を変えるような、よっぽど強烈な体験をしない限りは、召喚されたときの記憶はほとんどないのだと言う。
 だが、それはあくまで冬木の召喚システムの話だ。
 カルデアの召喚システムは少しだけ勝手が違う。冬木の召喚システムは狙った英霊を呼び出すには遺物などの触媒が必要だが、カルデアでは一度でも出会った事のある英霊はその霊基データが記録され、私との「縁」を触媒に召喚が可能になっている。かなりお手軽なシステムになっていると言ってもいいだろう。
 違いはそれだけではない。通常であれば召喚されたサーヴァントが消滅すれば座に還るが、カルデアの場合は、霊基の退去先は「英霊の座」ではなくここ「カルデア」に設定されている。だからレイシフト中に消滅したサーヴァントも、契約破棄をしない限りはカルデアに蓄積されたデータから「レイシフト前の状態」そっくりそのままの姿での再召喚が可能となっている。
 今回ダ・ヴィンチちゃんとホームズが用意してくれた霊基トランクはその応用。もちろん、契約が解除されてはそのデータも意味がないため、凍結扱いにしたダ・ヴィンチちゃんの機転は称賛ものだ。それにプラスしてカルデアに蓄積されたデータをこのトランクに移し替えているため、新所長によって退去させられたサーヴァントたちをこうして以前と同じ状態で再召喚する事ができた。
 ――そう、燕青を除いて。

「………………」

 ダ・ヴィンチちゃんやホームズの発明品に何かしらのバグや不備があるとは思えない。けれど、どこかで計算を間違っていたんじゃないか、なんて彼らに責任転嫁してしまう自分が嫌になる。でも、そうとでも思わなければ耐えられない。
 だって、そうでなければ、私は燕青の記憶に留められるに足る人物じゃなかったという事になってしまう。
 私が召喚した中でも、何人かのサーヴァントは前のマスターを憶えていたりした。アーサー王なんかはハッキリと「守りたい人がいる」なんて言っていたし、玉藻にも昔一度だけ「心に決めた人が他にいる」と言われた事があった。
 座に還って新しい場所で召喚されたとしても、憶えていられるような人物に私はなれなかったという事なのだろうか。思いが通じ合ったと思っていたのは私だけだったなんて、そんなのあまりにも悲しすぎる。
 燕青は生前でもさぞモテていた事だろう。彼に関連するお話の中では、燕青が女の子たちと夜通し遊んで朝帰りするシーンが描写されている事もあった。
 私は、燕青にとって「数いる恋人のうちの一人」でしかなかったのだろうか。彼に一種の運命のようなものを感じていたのは私だけだったのだろうか。もしかしたら、彼女面してくるウザい女だと思われていたかもしれない。

「……ダメだ。ネガティブになっちゃう……」

 こうやって一人で考えていても良い事なんてない。いくら考えても落ち込むだけだ。もう考え込むのはやめて、少し身体を動かして気分転換でもしよう。


 ◇◇◇


 あ。思わずそう声が出る。ふらふらと宛てもなく廊下を歩いている最中、反対側から来た燕青と目が合った。燕青は私と目が合うなり切れ長の目を細め、ゆっくりと距離を詰めて私の肩に自身の腕を回す。この光景を、私はどこかで見た事があるような気がした。

「よおマスター。気分はもう良くなったのかい?」

「……燕青。うん、もう大丈夫」

「そうかい? なら良いんだが」

 そう言って燕青は笑った。燕青はいまだ私の肩に腕を回したまま離れようとせず、肩に感じる燕青の腕の重みとか、鼻腔をくすぐる彼から薄く漂う良い匂いだとか、そういうものを感じてしまい、変に緊張してしまった。

(あれ、この流れって確か……)

 まだカルデアがあった頃、燕青と出逢ってすぐの頃、これと同じようなやり取りをした気がする。そんな事を思いながら燕青の顔をじっと見つめていると、私の視線に気付いた燕青はニヤリという効果音が付きそうなくらいに口角を釣り上げた。

「そんなに熱ぅい視線で見つめられちゃあ照れるなぁ。俺が色男だからって見惚れるなよ、マスター」

「み、見惚れてなんかいないし!」

「ははッ! 照れるな照れるな」

「照れてない!」

「あ痛ッ」

 燕青の背をバシ、と叩く。すると燕青は、わざとらしく背をさすりながら「乱暴すんなよぉ」と言い私から離れた。このやり取りも、あの頃とまったく一緒だ。

(あ、ヤバい……泣きそうだ)

 私の事を忘れていても燕青は燕青だった。カルデアにいた頃と、彼という存在は何ひとつ変わっていない。むしろ、出会った当初に戻ったかのようだ。

「……どうしたマスター。やっぱりまだ体調が戻ってなかったんじゃ――……」

「ううん、違うの。本当に、何でもないから……」

 退去前とそっくりそのままの彼と再会できると思ったからこうしてショックを受けてしまっただけで、本当は永遠の別れになる事は覚悟の上だったはずだ。燕青が退去する寸前、私はたとえ燕青が私を忘れていたとしても、燕青ともう一度会えたなら、私はまた彼と新しく信頼を積み重ねていけるはずだと信じていた。
 そうだ。なにも難しい事などなく、私は燕青ともう一度やり直せば良い。また一から、信頼を積み重ねる事から始めれば良いだけなのだ。
 ――新たに関係を一から始める事を厭いはしない。私の燕青への気持ちは、やり直す事を面倒だと思うほど弱くなんてない。たとえ今度の燕青が私を好きになってはくれなかったとしても、それでいい。
 そのはずなんだ。
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