可愛いおまえが泣いてもやめない

2018/09/13 22:00


 ギィィ、と重い扉が鈍い音を立てる。誰かいないかな、そう思いながら中を伺おうとした瞬間、ホホホ、という女性の高笑いする甲高い声が鼓膜を揺らした。

「こんな所で何をしているのかしら? もしかして、私に会いに来たのかしら。とんだ被虐趣味ね!」

「カ、カーミラ看守……!?」

 ぶわ、と全身から汗が噴き出す。味方のサーヴァントがいない今、私がカーミラに勝てるはずがない。
 マスターとサーヴァントという関係でない以上、私の令呪は彼女に通用しない。そのうえ、彼女は看守で私は脱獄囚だ。脱獄した囚人が彼女に見つかって無事で済む保証など何処にもありはしなかった。

 ああ、看守は倒したと思い込んで、油断していた。

「み、みんなが倒したはずじゃ……」

 動揺し、思わず漏れた私のその言葉を聞いたカーミラは、「倒した……? ああ、なるほど……」と一人納得するような言葉を吐いた。

「ど、どうしてここにいるの……!?」

「あら、そんなの決まっているじゃない」

 コツコツとヒールの音を鳴らしながらカーミラは私に一歩、また一歩と近付いてくる。

「──ッ!!」

 後ずさりする私の腕を掴んだカーミラは、私の両手首を頭上にまとめ上げ、壁に押し付けるようにして私を縛り付けた。
 カーミラと私は同じ女であるはずなのに、彼女に掴まれた両腕はビクともしない。圧倒的な力の差を目の前にして怯える私の表情を見たカーミラは、形の良い唇の端をニイ、と釣り上げる。

「どうして私がここにいるのか。──それは、ここが怪人∞面相の独房だからだよ」

「──え?」

 目の前のカーミラだと思っていたものが、一瞬で姿かたちを変える。彼女の病的なくらいに白く美しい肌は健康的な色に変わり、肌を彩る絢爛な刺青が顔を出す。目線の位置も高くなり、私を拘束する人物の顔を見上げると、そこにあったのはカーミラの仮面で覆われた美しい顔ではなく、端正な美丈夫の顔だった。

 夜空を溶かしたような黒髪に、健康的な白い肌。血色の良い薄い唇に、ライムグリーンの宝石のような瞳。
 それはカルデアにいるはずのサーヴァントである新宿のアサシン──燕青と同じものだった。

「え、燕青……!? どうしてここに!?」

「ん? なんだ、俺の事を知っていたのか?」

 きょとんとした表情を浮かべながら、彼は首をわずかにかしげる。

「いやー、やっぱり俺ほどの男になっちまうと嫌でも名が知れ渡っちまうのかなァ。これでも真名は隠してきたつもりだったんだが……」

 微妙に困ったような表情を浮かべながらそう言った彼のその言葉を聞いて、目の前にいる彼とカルデアにいる「燕青」は別人であるという事を瞬時に悟った。

「あ……違うの。サーヴァントとしてあなたと同じ『燕青』を召喚していて、それで知っていただけで……」

 自分でそう言って、少しだけ悲しくなる。様々な特異点でも『カルデアに召喚されたサーヴァントとは別人であるサーヴァント』を見てきたはずなのだが、やはり何度あっても慣れる事はなかった。私が彼の真名を知っている事を後ろめたく感じる必要などどこにもないのに、何故か気まずいような気にもなった。

 彼はカルデアにいる燕青ではないから、私の存在を知らなくて当然。そう頭で理解できても、胸にはもやもやとした言葉にはしがたい感情が渦巻く。
 ドラマによくある知人が記憶を失って……なんていうシチュエーションになったら、その時は今の私のような感情を抱くのだろうか。

 黙り込んだ私を見た怪人∞面相は何かを察したのか、「はぁん、なるほどね」と呟いた。

「──じゃあ、アンタは『俺』ではない『燕青』のマスターって事なのかい?」

「そう、だね。私は彼の事を……こちらに召喚された燕青の事を良い仲間だと思っているから……きっと、良い関係を築けていると思うよ」

「ふぅん……」

 本人だけど別人。そんな矛盾した存在を目の当たりにするのはやはり複雑で。
 しかし、今はそんな事で落ち込んでなどいられない。敵の本拠地であるこの場所で、これ以上一人で行動するわけにもいかないのだ。私はこの目の前にいる燕青──いや、怪人∞面相を仲間にして、脱獄の協力を仰がなければならないのだ。
 そうと決まればやる事はひとつ。彼に協力してくれるよう打診するしかない。

 気の良い『燕青』の事だ、きちんと説明すればきっと協力してくれるに違いない。彼の力が必要なのだと訴えかければ、きっと目の前の怪人∞面相だって協力してくれるはず。ごくりと唾を飲み込み、意を決して口を開く。

「あ、あの! 私たちここから脱獄したくて……! あなたの協力が欲しいんだけど、もし良かったら手伝ってほし──……」

「お、いいぜ」

 えっ、軽。そんなにもアッサリと承諾していいのか? そんな風に思うくらい、目の前にいる怪人∞面相(長いので今後はカルデアの燕青と区別するためにもアサシンと呼ぶ)の返事は軽いものだった。
 口には出さないものの驚いて彼の顔を見ていると、彼はその端正な顔ににっこりと美しい笑顔を浮かべた。

「脱獄しようとしていたアンタたちの噂は耳に届いていたからな! どうせ俺もヒマだし、俺にできる事ならなんでもしてやるぜ!」

「ほ、本当に? ありがとう!」

「ああ、本当だ」

 男に二言はねぇよ。アサシンがそう言ってくれて、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。彼が協力してくれるのならとても心強い。燕青という男の強さも、義理堅さも、私はよく知っている。
 私たちの脱獄計画に変装の達人であるというアサシンの力が必要である事を差し引いても、『燕青』の協力があるのなら、きっと脱獄は今よりずっと容易になるだろう。

「協力してくれて嬉しいよ。本当にありがとう!」

「いやいや、礼には及ばねぇよ」

「それで、あの……そろそろこの手を放してほしいんだけど……いつまでこのままなの?」

「ん?」

 私の両腕は、未だ頭上で彼によって捕らわれたまま。
 指先が痺れてきたし、そろそろ放してほしい。そう思いながらアサシンに声を掛けると、彼は「確かに協力するとは言ったが、タダで手伝うと言った覚えはないぜ」とあっけらかんとした様子で言った。

「アンタの所に召喚された『燕青』は俺であって俺じゃない。そこを勘違いしてもらっちゃあ困るぜ? ここにいる『俺』はアンタに忠誠なんか誓っちゃいないし、本当なら協力してやる義理も何もない。見返りがなきゃこんな事引き受けたりしないさ」

 アサシンのその言葉に、ざわ、と胸がざわついた。協力と引き換えに彼は何を要求するつもりなのだろう。
 アサシンも私たちと同じ投獄された身だと考えると、やはり自身の解放だろうか。

「も、もちろん私たちが脱獄するときに一緒について来てくれていいよ」

「それは言うまでもない当然の権利だろ? 交換条件とは言わねぇな。俺が欲しいのはもっと別のモンだ」

 彼の欲しがるもの、それが上手く思い浮かばず、自身に焦りがにじむ。要求が自分の身の解放でないとすると、金品とか、なにかそう言った形あるものが欲しいとか、そういう事になるのだろうか。ああ、そういえばいつかの特異点で彼は栄華を極めようとしていた。

 私の持っている財産などたかが知れているから、アサシンが満足いくものを与えられるとは思えない。しかし、彼の協力は必要不可欠。──サマーレースの優勝賞金を誰かから借りれば良いだろうか。

「お金ならレースの後にしか渡せないけど……」

「んー、まぁ確かに金も欲しいところだが……だが、いま俺が欲しいのはソレじゃない」

「…………。じゃあ、何が……」

 アサシンは一体何を要求するつもりなのだろう。直感的に感じ取った嫌な予感で、背筋に冷や汗が伝う。
 目の前のアサシンはライムグリーンの瞳をにんまりと細め、形のいい薄い唇の端を持ち上げた。

「俺もさぁ、一人で寂しかったんだよ。こんな牢獄で一人きりなんて、そりゃあ誰だって人肌恋しくなるもんさね。だからさ、パーッとやろうぜ! 肉体会話!」

 アサシンのその言葉に思わず目を見開く。肉体会話? 不穏すぎるその言葉に不安の念しか湧かない。
 これは絶対にロクな事じゃない。私の中で危機の訪れを知らせるサイレンが鳴り響く。

「に、肉体会話ってなに!? 何をさせる気!?」

 感じた不安から、思わず声音が荒くなる。叫ぶようにそう言った私とは対照的に、ケロッとした様子のアサシンは「まーまー」と私をなだめすかせるような声を出す。

「俺の能力、あれは誰にでも成り代われて便利なんだが、どうしても記憶が曖昧になりがちでな。だから、意識的にこの『俺の身体』を動かさないと自分自身ってやつを忘れちまいそうになるんだよ」

「………………」

「本当は身体も鈍ってきているし、アンタらカルデア御一行様と闘ってみたかったんだが……生憎と此処にいるのは非戦闘員のアンタ一人だ」

 だが、アンタと出来る事だってあるよな? そう言って、アサシンはぺろりと舌舐めずりをする。私を見下ろすライムグリーンの瞳は飢えた獣のような怪しい光を宿していて、ゾクリとした何かが私の背筋を這い上がった。

「──ッ!」

 アサシンは私の両足の間に自身の右足を割り込ませ、太ももを私の股の間に押し付ける。突然のその行動に、びく、と身体が跳ねた。

「ちょっと、なにして……!」

「こんな所に長い間拘束されていた憂さ晴らしさ。それに付き合ってくれないって言うんなら、俺はアンタらには協力できねぇなァ」

「…………ッ!!」

「ああ、嫌なら嫌って言ってくれていいんだぜ? 俺だって無理強いするほど飢えてるワケじゃねぇし」

 ほら、どうする? そう言いながら、アサシンは押し付けた太ももをぐいぐいと動かす。

「……ッ! ぅ、あ……」

 びくりと身体が震え、声が漏れる。こんな事で易々と身体を開いて良いものなのだろうか。簡単に誰かとこういう事ができるほど私の貞操観念は緩くない。そう思っても、ぐりぐりと刺激を加えられ続けた下半身はわずかに熱を宿し、私の判断力を鈍らせる。
「ほら、どうする?」
 耳元でそう囁かれ、かっと顔に熱が集まった。低くかすれたその囁き声は非常に蠱惑的で、私の理性を根本から揺るがす。
 ──だが、ここで負けるほど私は弱くない。

「し、したいのなら好きにすれば?」

 その答えに、アサシンはわずかに目を見開く。

「私はこんな誘惑に乗せられるほど弱い女じゃないから。したいなら勝手にすれば良いじゃない……!」

 目の前の彼は、籠絡した私自らが『男』を欲する事を望んでいるに違いない。だから、私はその手には乗らない。
 たとえ身体を許したとしても、心までは許したりなんてしない。そう決意しながら目の前のアサシンを見つめると、彼は一瞬目を丸く見開いたあと、すぐに「呵々!」と声を上げて笑った。

「いやぁ、面白いなアンタ! なに、『勝手にしろ』? ンな事言われたら逆にやる気が湧くってモンだ! いやいや、その虚勢がいつまで続くか見ものだなァ!!」

 そう言ってひとしきり笑ったあと、アサシンは私の耳元に唇を寄せ、囁くような声を出す。

「じゃあ、アンタ自らが俺を欲しいって思うまでの我慢比べと洒落込もうか。さぁて、俺様に勝てるかな?」

 そう耳元で囁き、アサシンは私の耳の軟骨部分へと舌を這わす。耳に感じる温かい舌の感触に、ぞわ、と肌が粟立った。

「ひっ、あ……ッ!?」

 窪みの隅々まで舐め尽くし、耳たぶを食み、耳の穴に舌を差し込む。耳に感じる湿った舌の感触と、耳元で響く水音に、びくりと身体が跳ねる。

「う、あ……」

「なんだ、耳が弱いのかい?」

 少しだけ嘲笑するようにそう言ったアサシンは耳殻に軽く口付け、そのまま唇をするすると私の首筋へと持っていく。首筋に顔を埋め、スンと匂いを嗅ぐ音が聞こえた。その行為に、羞恥でかっと顔に熱が集まる。

「ッ! や、やだ……ッ、ひゃあッ!?」

 彼は突然私の首筋に舌を這わし、思わず声が漏れる。彼が首筋に吸い付くと、ピリ、とわずかな痛みを感じた。彼は首筋から胸元にかけて皮膚の薄い所に次々と吸い付き、肌に紅い所有痕を残していく。
 首筋を舐め、私の鎖骨のくぼみに舌を這わせ、胸元にキスを落とし、紅い痕を残す。それを繰り返しながら、アサシンは私の両手首を拘束する手とは反対の手で私の脇腹を撫でた。

「ひ、あ……ッ」

 わずかに感じたくすぐったさに身をよじらせると、彼はにんまりと目を細め、それから這わせた指をつ、つ、つ、と私の背中へと回し、背筋をなぞる。そうして私の背筋を這い上がった指は、首で結ばれた水着と同じ形をした礼装のリボンを引っ張った。
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