目の前のかなしい指輪 // ライクリ


(数年後のライナーとクリスタ)

「クリスタって指輪とかつける奴だったか?」
「え?どうしたの、急に」
「いや、その指輪。やけに安っぽいのつけてるなと思ってさ」

 ユミルが右手の薬指を指差して不思議そうに首を傾げる姿にクリスタは悲しげに笑う。
 白銀に光っていた指輪は今となっては貰った直後のような明るい光を放つ事はなく、少し黒ずんでしまい、高い宝石のような上品な輝きを持った石が埋め込まれているわけでもない。指輪の黒ずみが、あの日から流れてしまった時間の長さを物語っていた。
 その指輪には言葉だけでは語り尽くしたくないほどの想いが詰まった、彼女にとって命を引換にしても守りたいものである。そんな安っぽい指輪如きで命を張るなんて馬鹿馬鹿しい、と理由を知らない輩には失笑を買ってしまうかもしれないが、だからといって大切なものに変わりない。
 そう、たった一日の甘い夢のような物語だった。いつも傍にいるユミルにだって打ち明けていない、自分と彼だけの秘密。あの日を思い返すと、愛しさと切なさが同時に込み上げ、身体が震えてくる。
 今でも鮮明に思い出せるほど、クリスタの頭に焼き付いて離れなかった。今までに自分が「救われた」とたった一度だけ思えたのがあの瞬間でもあったから、余計にそう思えてしまうのだろう。彼は、たった一言で独りの自分を掬いあげたのだ。そんな相手を忘れられるはずもない。
 どうして何も言わずに消えてしまったの。まだ右手に指輪は嵌ったままなのに。あの日の冗談にも近い約束は嘘だったの?問いかける相手もいないその問は、言葉にされる事もなくクリスタの胸の中でくすぶったまま。
 何度願っても叶わない。彼は全てが解決し、まだ復興に追われ、真実の吟味すら出来かねているのにも関わらず、同郷の彼と彼女と共に忽然と姿を消してしまったのだから。
 ライナー・ブラウン。クリスタはその名前を片時も忘れたことは無かった。


* * *


 出来事はクリスタがまだ訓練兵として、日々の修練に励んでいた頃の話だった。確か穏やかな陽気でたまたま訓練のない日でもあったので、買い物にでも出かけようとしていたとき。
 付き添いを頼もうと思っていたユミルが兵舎を探しても見つからなかった。探す最中に出会った同期の何人かに彼女の行き先を尋ねてみたものの、皆一様に首を振る。恐らくここまで尋ね歩いたのだから兵舎にいる事はないだろう。もしかするといつも練習などをサボったりする際に利用するあの秘密基地で一人で日向ぼっこでもしているのかもしれない。クリスタは一人の時間を楽しんでいるユミルを妨害してまで買い物に誘おうとは思えなかった。

「一人で行くしかないなあ」

 はあ、と息をつき兵舎の出口に向かおうとしたら一人の男とぶつかった。体格差のせいかクリスタは体制を崩し、尻餅をついてしまう。

「きゃっ、」
「悪いっ!クリスタ、怪我はないか?」
「う、うん。大丈夫だよ」

 ライナーに手を差し伸べられ、その手を取って立ち上がる。服についてしまった埃を叩き、礼の言葉を一つ告げて去ろうとした直後に名前を呼ばれた。クリスタが後ろを向いて彼の顔を見上げる。

「どうしたの?」
「あっ、いや。その、く、クリスタは今から何処か出かけるのか?」
「うん。折角の休日だから、街に買い物にでも行こうかなって。それがどうかしたの?」

 ライナーは顔を真っ赤にしたまま、何か言いたげに唇を上下に震わせていた。やがて何かを決したようにその唇から言葉が紡がれた。

「──俺も一緒に行ってもいいか?」
「……え?」
「あ、いや!嫌だったらいいんだ!たまたま俺も買いたい物があって、その……」

 吃った口調で、視線をさまよわせているライナーにクリスタは面食らった。普段からそんなにも仲がいいわけでもないのに、誘いを貰ったことに驚きだった。
 断る理由を無いので、笑顔で「もちろんいいよ」と答えると、安堵した笑みを浮かべるライナーが少し可愛いな、と思いつつ。
 結局この後二人で買い物に行くことになった。



 街は予想外に活気に満ちていた。野菜やフルーツ、小物や服に至るまで品揃えが豊富で、クリスタは一つ一つ店を見て回る度に胸を踊らせる。久々の買い物で、どれを買おうか一応決めてきたものの、いざ品物と対面をするとあれも欲しい、これも欲しいとついつい欲張りになってしまう。
 目移りしていると、ライナーが今日の目的らしいの店の前で立ち止まり、「すぐに買って戻ってくるから、ここで待っていてくれ」と告げられクリスタが店の前で大人しくしていると、目に留まったのは向かいで売られていた銀細工の店。その店に近づくとどれも手製の物だよ、と自慢げに語る店主。話に耳を傾けつつ、首飾りや髪留め、ピアスや指輪といったアクセサリーを見ていると、一つの指輪から目を離せなくなった。

「(──あ、これ。凄く可愛い)」

 黄色の石が埋め込まれた、スマートなデザインの指輪。アクセントに小さな花が彫られているのが印象的で、思わず手にとってしまった。気分で左手の薬指に嵌めてみると店主が「よく似合ってる」の一言。社交辞令と分かっていても、嬉しかった。

「クリスタ?」

 指輪に見惚れていたときに突然肩に手を置かれてクリスタは身体を震わせる。

「ひ、あ……なんだ、ライナーかあ。突然声をかけられてびっくりしちゃったよ」
「す、すまない。指輪を見てたのか?」

 覗き込まれた視線の先には自分の左手の薬指。クリスタは思いきり女としての願望を丸出しにしながら選んでいたのが途端に恥ずかしくなり、慌てて指から指輪を外して元あった位置に戻して、店から離れる。ライナーがぽかんとした顔で彼女の視線を追いかける。
 私たちは兵士だ。恋愛に現を抜かしている場合じゃない。しかし、好きな人からああいったものを貰えたら──という願望くらい持っている。
 少し、ロマンティックな恋に憧れてしまった。たったそれだけだった。



「疲れたー、沢山買いすぎちゃったかな」
「お疲れ」
「ありがとう」

 差し出された飲み物を口に含み、賑わいの中心から少し外れた平原に二人が並ぶように座る。穏やかで柔らかい風がクリスタの金色の髪を優しく撫でていく。

「ごめんね、ライナーに私の荷物をもたせちゃって」
「気にするな。こういう時に活躍できなかったら男として情けないだろ?」

 頼るときは遠慮なく頼ってくれ。自分の手より一回りも二回りも大きいその手が肩に置かれる。とりあえず頷くと、ライナーが優しく笑う。その笑みがとても印象的で、心臓が軽く跳ねた。
 ライナーの心は立派な大人の男だ。体格もそうだが、自分に対しての扱いもそつがない。はぐれないように、と手を繋いで人混みから庇ってくれたのに加え、レディファーストは欠かせない。
 よくよく考えるとユミル以外の人と二人きりで出かけることも初めてで。彼の見返りのいらない優しさに触れてしまったことに戸惑いを覚えつつあった。

「ねえ、ライナー」
「ん?」
「どうして、そんなに優しいの?」

 脈絡のない質問を投げかけてしまった事に後になって後悔するクリスタ。だが前々から気になっていたのだ、彼の、見返りのいらない優しさが。計算の入っていない優しさ、周りに頼られるだけの気前の良さが。
 クリスタはそのたった一つの質問で答えて欲しかった。自分とは違う彼の言葉が、何かを変えてくれる。そんな気がしたから。

「優しいのはクリスタも一緒だろう」
「ううん。私は優しくないよ。ライナーの言ってる『優しさ』とは違う」

 優しくしたい、優しくされたい。

 クリスタの発言の裏には、そんな狡い感情が潜んでいる。誰かに必要とされたい、自分にも必要としている相手が居るのだという優越感に浸りたい、そうすれば少なからず自身は救われるはずだから。彼女の中身は実に空っぽだ。
 彼と私は正反対。クリスタはフレアスカートの裾を力強く握り締めた。そんなクリスタをじっと見つめ、視線を逸らしたライナーは空を見つめながら呟いた。

「──俺が優しくしたいと思ったから、だろうな」
「え、」
「クリスタは俺が分け隔てなく優しさを提供できる奴だと思ったのか?そんな神様のようなやついるわけないだろ。あ、神様も時には残酷だから違うか。とにかく。俺はクリスタの思うようなやつじゃないぞ」

 その発言が、今でも忘れられない。まるでずっと否定し続けていた今までの自分を肯定し、その上で救った。

「お、おいっ。クリスタ、泣いてるのか?!」
「あ、あれ……私、泣いてる?」
「俺が何かクリスタの気に障るような事言っちまったか?だとしたら悪かった、今のは忘れてく──」
「忘れてくれ、なんて言わないで」

 涙を見せないように、クリスタはライナーの胸の中に顔を埋めた。
 忘れたくない、忘れられるはずがない。だって、私の優しさと彼の優しさが一緒である事を教えてくれたじゃないか。女神、女神だと言われ続けていて、自分の優しさに裏がある事に罪悪感を感じつつあったのを彼の一言で一蹴されたのが、その証拠だ。
 行き場を失っていたようにぶらんとさせていたライナー両腕がクリスタの背中に恐る恐る回される。どくん、どくんと忙しなく鼓動を刻む音と同じくらい、自分の心臓もうるさい気がする。
 暫く二人は抱き合ったまま、言葉を発しなかった。言葉がなくとも、気まずくも息苦しくもなかった。


 帰り道。クリスタはさっきの涙は何処へとばかりにケロリした顔でふふ、と心底嬉しそうに笑っていた。右手の薬指には先程買うのを渋ってしまった銀細工の指輪。クリスタの見えない場所でライナーがこっそり店で購入してきたらしい。素敵な彼氏に恵まれて彼女は幸せ者だ、なんてひやかされ、恥ずかしい思いをした。と頬を掻きながら彼が嘆いていた。

「嬉しい。ありがとう、大切にするね」
「い、いやっ。クリスタがそれを嬉しそうに眺めてたから、ついな。指輪なんて、結婚するわけでもあるまいし、そう易々と──」

 結婚、の一言を発してしまったライナーが慌てて口を閉じる。付き合ってすらいない自分たちが何を言ってるんだろうな、と苦笑していた。

「私、ライナーとなら結婚してもいいかな」

 何も考えずに、直感で告げた一言にライナーが立ち止まった。目を瞬かせ、はっと我に返った途端にみるみる顔が茹でたこように朱に染まる。

「──な、なな……っ!おま、嫁入り前の娘が易々とそんな台詞言っちゃ駄目だろう!!大体俺みたいなでかい男と結婚しても何もいい事なんてないだろうし、そりゃクリスタは優しいし可愛いし結婚しよとは思うけどな、って何突っ走ってるんだ俺は!」

 半分が本気、半分が冗談であったその発言にあたふたしているライナーが面白くて、クリスタはぷっと吹き出した。

「ふふっ、ライナーったら。冗談だよ、冗談」
「あ、そうだよな!悪い。気づいたら暴走しちまってたな」

 彼が照れた笑みを見せ、両手に持っている袋を揺らす。二人で肩を並べ歩いていると、傍から見れば恋人や夫婦に見えたりもするのだろうか。
 夕陽がちぐはぐな身長の自分たちの影を作る。その影は仲睦まじく寄り添っていて。
 今感じている些細な幸せを宝物として大切に胸の中にしまっておきたい。きっとこの指輪が何度でもこの日々を思い出させてくれるのだろう。

「また、買い物付き合ってくれる?」
「もちろんだ。俺でよければ荷物持ちにでも使ってやってくれ」

 ライナーが快活よくそう告げる。それが、二人で交わした最初で最後の約束だった。
 あの日から、周りが少しずつ歪んでいった。何を信じればいいのか、自分はどうすればいいのか、見えなくなっていた。唯一分かったのは自分で見たもの、聞いたもの、それらが全てであり、真実であること。
 だからクリスタは信じることにした。他でもない彼を。あの日の彼が演じていた人間だと到底思えない。クリスタの前に居たのは自身を救いあげた、自分だけの知る彼なのだから。
 ライナーとの関係はあの日から止まったまま。止まった針を動かせるのは、彼だけだった。


* * *


「──スタ、クリスタ!」
「……ん?」
「こんな所で寝ちまったら風邪引くぞ?!ちっと目を離した隙にこれなんだからな」
「ごめんね、ユミル。気づいたら寝ちゃってたみたい」

 握っていたペンを再び走らせながら、久々に見た長い長い夢に想いを馳せる。
 忘れていたわけではない。思い出さない日がないわけでもない。だが、あんなにも鮮明に思い出せるのも珍しかった。
 早く終わらせろよ、とユミルが執務室から出ていった途端静寂を取り戻した部屋に、ふと孤独を感じた。

「──っ会いたい、会いたい……」

 指輪に祈るようにさめざめと泣き出したクリスタを見ていたものはいない。


 取り残されたのは一つの指輪。それは彼と彼女の繋げる、たった一つのものだった。




目の前のかなしい指輪
(あの日の私が焦がれて離さなかった唯一のもの)




end

≡≡≡≡≡≡
□あとがき

こんにちは、初めまして。七瀬瞳と申します。僭越ながら今回の企画に寄稿させて頂きました。
ライクリ数年後のクリスタ視点で書いたのですが、思った以上に迷走していて驚きました。
あまり深く考えず、クリスタがライナーと過ごした過去のあの日を大切にしているのだな、と捉えて頂けたら嬉しいです。
改めて素敵な企画に参加させていただきありがとうございました。
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