自分の今寝ころんでゐる側わきに、古い池があつて、そこに蛙かへるが沢山たくさんゐる。
 池のまはりには、一面に芦あしや蒲がまが茂つてゐる。その芦あしや蒲がまの向うには、背せいの高い白楊はこやなぎの並木なみきが、品ひんよく風に戦そよいでゐる。その又向うには、静な夏の空があつて、そこには何時いつも細こまかい、硝子ガラスのかけのやうな雲が光つてゐる。さうしてそれらが皆、実際よりも遙はるかに美しく、池の水に映うつつてゐる。
 蛙はその池の中で、永い一日を飽きず、ころろ、かららと鳴きくらしてゐる。ちよいと聞くと、それが唯ころろ、かららとしか聞えない。が、実は盛に議論を闘たたかはしてゐるのである。蛙かへるが口をきくのは、何もイソツプの時代ばかりと限つてゐる訳ではない。
 中でも芦の葉の上にゐる蛙は、大学教授のやうな態度でこんなことを云つた。
「水は何なんの為にあるか。我々蛙の泳ぐ為にあるのである。虫は何の為にゐるか。我々蛙の食ふ為にゐるのである。」
「ヒヤア、ヒヤア」と、池中の蛙が声をかけた。空と艸木くさきとの映うつつた池の水面が、殆ほとんど埋うまる位な蛙だから、賛成の声も勿論もちろん大したものである。丁度ちやうどその時、白楊はこやなぎの根元に眠つてゐた蛇へびは、このやかましいころろ、かららの声で眼をさました。さうして、鎌首かまくびをもたげながら、池の方はうへ眼をやつて、まだ眠むさうに舌なめづりをした。
青空文庫 芥川龍之介『蛙』
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