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 冬の寒さが人々の体をこわばらせる。それでもどことなくゆったりとした空気感が漂っているのは、なにも正月明けだからというだけではないのだろう。異能警察第一課、通称DAPと呼ばれた組織が解体されてから、4ヶ月。かつて東京中を……日本全土を恐怖の渦に叩き落したスキル犯罪の横行は9月頭のあの一件を気になりを潜め、人々は束の間の平和を手にしていた。
 無論、スキル犯罪がなくなったからと言ってすべての犯罪がなくなったわけではない。むしろ精神的に不安定な状態で過ごしていた人々が多いからこそ、従来通りの犯罪は起きやすい傾向にあった。
 故に、今日も捜査第一課内では無線が鳴り止まない。無線越しに聞こえてくる怒号交じりの指示に了解を返し、男は口を開く。

「全員、無線内容は確認したな。市内で強盗事件が発生、容疑者は20代の男性とみられる! 怪我人はいないが刃物で武装しており、依然逃亡中だ! 浅倉班、出るぞ!」

 浅倉正義のその声にデスクワークをしていた数名の刑事が立ち上がる。そのうちひときわ小柄な女性は机上に置いてあった鍵をひったくるように手に取るとよく通る声を上げた。

「出口に車両回します! 穂波くん、ヤノの荷物お願いします!」
「了解っす! いつものセット持っていきます!」

 それを聞くが早いか夜野歌姫は駐車場へ続く廊下へ飛び出していく。支度をしながらけらけらと声を上げて男が笑った。

「夜野、今日も張り切ってんじゃん? な、栄祢!」
「そ? うたさん、割といつもあんな感じだと思うけど……てか東、お前急いだほうがいいんじゃない?」
「その通り、急いでください西門くん。置いていきますよ」
「げーっ、冗談でもそういうこと言うなっつーの!」

 冗談ではないですが、と低く呟く瓶原ユタに西門東は引きつった笑みを向けた。それを横目に淡々と準備を続けていた初羽栄祢は乾いた笑い声をあげて部屋を出ていく。どうやら助け船は出ないらしい。それを理解した西門は慌てた様子で身支度を整え始める。もう一つため息をついた瓶原の隣を夜野の荷物を抱えた穂波櫂人が「先に行くっすよー!」と元気のいい声を上げて通り過ぎていった。無言の圧にせっつかれた西門が身支度を終えて転げるように飛び出したのを確認し、後に残っていた浅倉と瓶原も部屋を出る。
 署の入り口には既に黒色のバンが回転灯をつけた状態で停車しており、各々がその中で暗黙の了解のように決まっている座席についていく。運転席に座った夜野は全員が乗り込んだのを確認すると短く息を吐いてからアクセルを踏み込んだ。
 サイレンの音と赤い光を振りまきながら捜査車両は走り出す。
 刑事部捜査第一課、浅倉班の日常は概ねこのようにして始まるのだ。


◆ ◆ ◆


「浅倉ァ! 遅ぇ、三度殺すぞ!」
「すみません黒田警部! 浅倉班、ただいま到着しました!」

 無線の向こうと何ら変わらぬ怒号が刑事たちの耳を刺激する。黒田勘九郎は苛立った様子で松葉杖を鳴らしながら近づいてくると手早く情報共有を始めた。

「被害者は容疑者の顔に見覚えはねえとのことだ。刃物で武装していたとのことだが、被害者が怪我をしていなかったところを見るとそこまで派手に暴れなかったようだな。てめぇらも現場の確認終わったら……と言いたいところだが、予定が変わった。即刻容疑者の確保に向かえ」

 普段の黒田らしからぬ情報共有に浅倉の眉間にしわが寄る。それに気づいたのか黒田は低く舌打ちをすると「状況が変わった」とつぶやいた。

「周囲警戒をしてた刑事が一人で容疑者を見つけて声を掛けやがってな……それで動転したのか、奴ァ今立てこもりに近い状態になってやがる。適当な空き家に入ったから他に怪我人が出ることはねえはずだが……人手がいる。こういうのには慣れてんだろォ、なあ、元DAP?」

 にんめりと口角を上げた黒田に「はいっす!」と元気よく返事を返したのは相も変わらず穂波だけである。他のメンバーは恨めしさを込めた目線を黒田に向けるのみ。辛うじて腹を決めたらしい浅倉が「承知しました、最善を尽くします」と班を代表して口を開いた。
 立てこもり犯の対応は本来専門の部隊が出る。それをわかっていてなお当該班ではなく元DAPの浅倉班を増員に呼んだというのだから、黒田の思惑は十二分に伝わった。

「んえーっ、なんで俺らがンなことしなきゃなんねーんだっつーの! そんなん特殊部隊に……」
「ンー……あのねえ東。ちゃんと自分の頭で考えなよ。特殊部隊待てない……っていうか、待たなくてもいいように荒事慣れしたおれらに行けって言われてんでしょ」

 西門の問いに初羽が呆れたように言葉を返す。口をつぐんでこそいたが、初羽の口にした内容は西門以外の全員が察していたことでもある。突然の状況変更を伝えられていなかったわけ。妙にご機嫌にみえる理由。そこから推測されることと言えば。

「手柄は捜査一課で全取りにしろと。そういうことでしょうか。いやあ強欲ですね、黒田警部」
「瓶原くん!」

 んべ、と浅倉班にだけ見えるように舌を出した瓶原を夜野が窘めるように呼ぶ。それに対して黒田は目線を向けると、見る者すべての臓腑の底まで凍らせるような壮絶な笑みを向けた。瓶原の頬もわずかばかり引きつる。

「……よく分かってんじゃねえか。分かってんならとっとと行ってこい! おい穂波、浅倉どもが尻尾巻いて逃げださねえかよく見ておけよ!」
「りょ、了解したっす! 万に一つも逃げ出すなんてことはないと思うっすけど」
「警部……何度も申し上げているように一応穂波よりも俺のほうが役職は上なので、あまり穂波に無茶を仰らないでいただきたいのですが……」

 もはやお決まりのようになったやり取りを終えたあたりで容疑者が立てこもっている空き家のほうから若い刑事が走ってくる。彼が黒田に二言三言何かを伝えると黒田の様子は一変し、刑事を下がらせると浅倉班に向き直る。若干の焦燥感が無表情の中に見て取れるのは思い違いではないだろう。

「中に民間人がいやがった。小学生、女。同級生との遊びで空き家に隠れていたところ、容疑者が入ってきて分断されたらしい。今、一緒に遊んでたって連中が報告に来やがった」

 黒田の言葉に全員の背筋に冷たいものが伝っていく。気の立った男と、状況が呑み込めないであろう女児。最悪の場合が起こりうる可能性は決して低くない。すぐさま体をメンバーに向けた浅倉は声を張り上げた。

「今から、班を二分する。容疑者の説得、もしくは無力化を行う突入班、人質の安全を確保する潜入班だ。突入班には俺、穂波、西門。潜入班には夜野、瓶原、初羽だ。基本は分班のリーダーの指示に従って行動するように」
「了解!」

 鶴の一声。浅倉の声に班員は一斉に返事をすると次の指示を待たずに散開する。幸い件の空き家は平屋建てのため、潜入箇所には事欠かない。夜野は瓶原と初羽の二名を率いて分班リーダーとして指示を出す。

「まずは潜入箇所を探すところからですね。最悪高いところでも侵入経路さえあれば、二人には無理を言いますがヤノを持ち上げて中に入れてください。内から鍵を開けて入れるようにしておきます」
「まー、うたさんがそう言うなら別にかまいませんけど。ね、ユタ先輩」
「入った先が容疑者の目の前、ということのないようにだけしてくださいね。あなた、問答無用で殴りかかりそうですから」
「むっ……ヤノはそこまで直情的ではありません」

 それは失礼、と心のこもらない謝罪をする瓶原と、それを聞いた初羽が笑う。この非常事態にあまりにも間の抜けた空気だが、この三人にはそれくらいの状況が心地よかった。突入班ならまだしも、緊張しすぎると逆に潜入任務には差し障る。特に夜野が虐げられる人間を前にして私情を殺す、という立ち振る舞いを苦手とすることは班の誰しもが知っていた。だからこそ万が一の時に夜野に代わって指示を出せる瓶原と、冷静な判断を下すことのできる初羽を班員に選定されているのだ。夜野自身もそれをわかっているから、過度に緊張しないように普段以上に軽い口のききかたをする。

「ここがちょうど家の裏手ですね。どこか中を覗ける場所はあるでしょうか……」

 小声の問いかけに瓶原と初羽が散開する。上の部分は背の高い二人に任せて夜野は低い位置の侵入箇所を探し始めた。万が一のことを考えれば不用意にドアノブなどひねることはできない。運よく鍵が開いていたとて、人質との距離が遠ければ潜入班のミッションは失敗してしまう。

「ありました。少々高い位置なので、副チーフには俺から情報を共有しますね。初羽くんは見えるでしょうから、こちらへ」
「はいはーい」

 瓶原に声をかけられて向かったのは、裏口よりもう少し行ったところにある小窓のようだった。リビングまでの視界が確保できるであろうその窓を覗きながら瓶原が無線を口元に当てながら言葉を紡ぐ。

「容疑者は……興奮している様子です。包丁ではなくてナイフ、でしょうか。大ぶりのナイフを両手で握ってます。遠距離攻撃を行えそうなものは手近にはなさそうですね。突入予定の入り口までの距離はおよそ1メートル強でしょうか、思ったより距離がないです」
「まー、ラッキーなのは女の子がおれたちの近くにいることかなあ。気づいてないみたいでめーっちゃ泣いてるけど、普通に忍び込めれば助けられそうな感じ」
『了解した。では合図ののちに突入する。穂波、西門、行くぞ』

 浅倉の呼びかけに小さく二人が返事をしたのを最後に通信が途絶える。夜野も顔を上げ、瓶原と初羽に姿勢を落とすように指示を出した。突入班の様子を見つつ、裏口を開けるか窓等から侵入する必要があったが、今回は裏口の開錠を優先することにした。理由は至極単純で、人質が裏口に近い位置にいたからだ。無理して遠い入り口から入り、勘付かれて人質を傷つけられては元も子もない。
 表口のほうからよく通る声が響いた。浅倉の声だ、と認識した夜野は二人にもう一度目を向けると、目の前の扉の鍵穴に針金を差し込み始めたのだった。

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