黄金郷を探せ――師の言葉を今更ながら思い出し、冒険者と共に故郷へ戻ったことは、決して間違いだったとは思っていない。後々になって真実を聞かされるほうが、余程後悔しただろう。
 だが、それでも。師でもあり、そして己の母でもあった人が、既に命を落としていたと分かっただけでも耐え難いのに、更に追い打ちを掛けるような現状を、今すぐ受け入れるなど出来るわけがなかった。

 ここリビング・メモリーのシステムをシャットダウンする。それは、『永久人』としてこの場所に存在する母を抹消することに他ならない。
 女王スフェーンを止めるため、己たちの世界を救うため。それは、絶対にやらなければならない、避けられない手段だった。



「エレネッシパ!」

 もうこれ以上己の心を掻き乱す出来事など起こって欲しくなかったのに、現実はどこまでも残酷だ。
 生い茂る色とりどりの花を背景に、舗装された道を歩く己の背後で聞こえて来たのは、紛れもなく同郷の幼馴染の声だった。

「エレネッシパ! ねえ、聞こえてる?」
「……うるさい」
「あ、聞こえてたんだ」

 反応してしまった己が悪いのだが、正直勘弁して欲しかった。今己がいるここ『ウインドパスガーデン』――リビング・メモリーのシステムをシャットダウンする最後の場所で、まさか母以外の顔見知りに再会するなど、苦行以外のなにものでもないからだ。
 そんな己の胸中など知る由もないのだろう。『こいつ』は己の前に回り込めば、最後に別れた時と変わらない姿で、屈託のない笑みを浮かべながら己を見上げていた。
 故郷を発つ己を見送った、あの頃の姿。
 永久人は、一番幸せだった頃の姿で再現されるのだという。つまり、己と別れた後のこいつの人生は――考えただけで、胸が締め付けられる気分だ。

「エレネッシパに会えるなんて思わなかった。嬉しい、って言ったら変だけど……」
「…………」
「ここにいるってことは……エレネッシパも永久人になったってことだもんね」
「いや……」

 別に嘘を吐くことだってできる。面倒だからと適当に話を合わせておけば、己と別れた後、こいつは何も知らないまま抹消される。
 けれど。
 各地のシャットダウンを進めるたび、穏やかな時間を過ごして来た人たちが消えていくのを目の当たりにして、何も思わないわけがなかった。

「……俺は永久人じゃない」
「え?」
「俺は生きてる。生きて、ここに辿り着いた」

 目の前のこいつは、まるで新種の生物を発見したかのように目を輝かせた。
 以前の己なら、こうなることが分かっているからこそ、面倒だと適当に誤魔化して本当の事は口にしなかっただろう。
 でも、今は違う。
 ちゃんと向き合わなければならない。
 それが、こいつの存在をこの手で抹消しなければならない己の責務だと思ったからだ。



「『外つ国』は本当に凄いんだね。凄い、としか言いようがなくて申し訳ないけど……」
「そりゃそうだ、一遍に言われてすべてを理解しろってほうが無茶だ」

 母に言い渡された『最後』の願いを叶えるため、この地で散策を続けながら、多くの事を話した。『外つ国』のシャーレアンでグリーナー稼業をしていること。そこで出会った暁の血盟に協力し、終末を防ぐために奔走し、世界を救うに至ったこと。そして、ウクラマトの継承の儀に付き合うために、冒険者たちと共にトラル大陸へ舞い戻り、その過程で黄金郷への扉を見つけたこと。
 己は饒舌な性格ではないし、今こうしてすべてを話し、面倒臭がらずにこいつと向き合っていることが、自分自身でも信じられない。

「……エレネッシパは、変わったね。きっと、旅をして、多くのものを見て、知って……たくさんの人に出会ったからなのかな」

 こいつの言う通りなのかも知れない。己は口数も少ないし、ウクラマトといい、大抵は周りが己にちょっかいを出して来て、それを煩わしく感じるのが常だった。
 今のこの状況が己の心境に変化を与えているのか、あるいはこいつの言う通り、己自身が変わったのか。

「私もエレネッシパと一緒に『外つ国』に行ってたら、何かが変わったのかな……」

 そうぽつりと呟くそいつに、己は何も言えなかった。
 己と同じように、こいつも自分の性格を変えることが出来たのか。否、運命を変えることが出来たのか。
 鏡像世界との統合に巻き込まれずに済んだのか。
 他者の命を糧にこんな形で生き続けることなく、正しい世界の理で、己と同じように生きることが出来たのか。
 そんな仮定の話なんて意味がない。どうしたってこいつはこの後『抹消』される運命にあるし、いくら考えたってこの現実を変えることなんて不可能だ。
 それでも――。

「だろうな。それに……お前ひとりついて来る程度、別にどうってことないしな」

 後悔の念が、自然と口をついた。もし一緒に外の世界に飛び出していたとしたら――こんなことを言ったところで、何かが変わるわけじゃない。
 それでも、今の己には取り繕うことなど出来なかった。

「過ぎたからこそ言えることだけどな。今更言ったところで、お前は……」
「ううん。エレネッシパがそう思ってくれただけでも嬉しいよ」

 こいつはどこまでも純粋で、優しい笑みを己に向けていた。
 それはまるで責め具のように、己の胸を蝕んだ。この後、己の手で、何も知らないこいつの存在を消さなければならないのだから。

「ずっと考えてたんだ。エレネッシパのあとを追い掛けて『外つ国』に行ってたら、私の人生はどうなってたのかなって」

 何も知らないこいつは、己がこれから為す事も知らず、嬉しそうに歩を進める。終わらない生を享受することで、このウインドパスガーデンはとうに見飽きているだろうに、己に案内することがそんなにも嬉しいのだろうか。

「だから、その答えが分かって良かった。私も勇気を出してエレネッシパのあとを追い掛けていたら……全く違う未来が待ってたんだね」

 分かったところで、何が良いのか。
 時間を過去に巻き戻すことなんて出来るわけがない以上、こいつの人生は変わらない。己がひとりで故郷を出てシャーレアンに渡ったことも、こいつが故郷に残ることを選んで、旅立つ己を見送ったことも。すべては過ぎたことで、過去を変えることは出来ないのだ。

「……良いわけないだろ」
「エレネッシパ?」
「良いわけないだろ! 俺があの時お前を連れて行けば、俺は……」

 こんな形でお前を消さずに済んだのに。
 抹消、なんて言い方はただの換言に過ぎない。
 要するに、己がこの手でこいつを殺すのだ。
 今目の前で微笑んでいる、こいつの命を、この手で終わりにしなければならないのだ。

 黙り込む己の頬に、手が触れる。
 その手の感触は、生きている人間となんら変わりはなく、何が生で何が死なのか分からなくなるほどだった。永久人と普通の人間の何が違うのか。理屈では分かっていても、感情が付いて行かなかった。

「いいんだよ。全部、分かってるから」
「何が……」
「カフキワさんが教えてくれた」
「……知ってたのかよ……」

 こいつを追及する気はなかった。そんな気力もない、というより、そんな事をしても無意味だからだ。『全部分かってる』が一体どの程度なのか、己の母からどこまで聞いているか、問い質すことは容易いが、それを知ったところで、何の意味もない。

 ――そんなことに時間を費やすよりも、残された時間でこいつに何が出来るのか。
 ふとそんな感情を抱いた瞬間、終わりはどうしようもなく近付いているのだと認識する羽目になった。
 この美しい虚栄の世界は、どこまでも己を追い詰める。

「黙っててごめんね。でも、エレネッシパになんて話したら良いか分からなくて……」
「別にいい」

 母から何処まで聞いているかは知らないが、己たちの手によって、自分自身が消えることをこいつが覚悟しているのだとしたら。
 もう己に出来ることは何もない。そんな権利もない。
 けれど、本当に諦めてしまっても良いのか。
 そうやって目を背けて、仕方ないと決め付けてしまうのは、本当に正しいのか。

「……お前、何かやりたいことはあるか?」
「え?」
「付き合ってやらないこともない」

 自分でもまさかこんなことを言い出すとは思わなかったが、今は己とこいつのふたりきりなのだ、気恥ずかしく思う必要もない。

「でも、エレネッシパ、カフキワさんの頼まれ事があるんでしょ?」

 この期に及んで戸惑うものだから、ある方向を指さして、きっぱりと言ってやった。
 この場所で、今まで見た事もない生物を発見して欲しい。それが、己の母の最後の願いだった。
 偶然か、あるいはこいつの導きなのか。己が指差した先には、トラル大陸でもエオルゼアでも見た事のない生物が悠々と佇んでいた。

「目的は達成した。だから、お前の願いを聞く時間はある」
「でも……」
「何もないならここで解散するか」
「えっ!? 待って! 考える……」

 尤も、こいつがちゃんと望みを言うまで別れるつもりはなかったのだが、随分と必死に考えて、そして、全く予想外のことを宣った。

「ぎゅってして欲しい」
「…………は?」
「駄目?」

 てっきり母のように、何らかの課題めいた要求を出されると思っていた己が浅はかだった。
 こいつはいつも俺のあとをついて来るようなヤツで、自分から何かをして欲しいと言い出したことはなかった。
 どうして今まで気付かなかったのか。
 一緒に外の世界に行きたかったという願いに、どんな想いが込められていたのかを。

「ごめん、エレネッシパに恋人がいるなら諦める」
「いない」
「そう? でも、好きでもない人となんて無理だよね――」

 言った後で遠慮するなら、初めから言うな。いつもの己ならそう突き放していただろう。
 でも、今は他に出来ることなどない。
 過去を変えることも出来ないし、こいつを外の世界に連れ出すことも出来ない。
 こいつ自身がそれを分かっているからこそ、こんな願いが飛び出したのだ。

 きつく抱いたその身体は、どう見ても生きている人間としか思えなかった。血が通い、息をしている、己たちと何も変わらない存在。
 どうしてこんなことになってしまったのか。考え、悔やんだところで、目の前のこいつを救うことなど誰にも出来ない。こいつの身体のぬくもりを通して、改めてそう自覚させられた気がして、どうにかなってしまいそうだった。

「ねえ、エレネッシパ。人は死んだら、どうなるのかな」

 今の己に出来ること。
 それは、こいつの命が終わるとき、せめて穏やかな気持ちでいられるようにすることだ。

「……人の命は星海へ渡り、すべての記憶が洗い流され、そして新たな生命としてこの星に生まれ落ちる」
「そうなの?」
「シャーレアンの人間が皆そう言ってるんだ、間違いない」

 記憶はすべて失われるのだから、こいつが生まれ変わったところで、己と再会することは叶わない。生まれ変わった命は、目の前でのこいつではなく、見知らぬ誰かなのだから。

「じゃあ、私が死んで生まれ変わったら、エレネッシパの前に現れるかも知れないね」

 不可能だと分かっていても、嘘を吐くことになっても、それでも。

「……その時は、今度こそお前を連れて行く」

 叶わない希望に縋りたいのは、己のほうなのかも知れない。
 もういい、とでも言いたげに、己の胸に手が触れる。腕を解くと、目の前には頬を染めて恥ずかしそうに目を逸らす幼馴染がいて、故郷を発つ前にこういうことが出来ていれば、こいつの運命を変えることが出来たのではないかと、尚更後悔の念に駆られてしまった。

「エレネッシパ、ありがとう。さあ、早くカフキワさんのところに戻らないとね」
「お前も来いよ。ウクラマトもお前に会ったら絶対喜ぶ」

 けれど、意外にもこいつは首を横に振って、苦笑を零した。

「ううん、いい。だって、ラマチはエレネッシパと一緒に生きるんでしょ?」
「一緒ったって……あいつはもうれっきとしたトライヨラの武王だ。そもそも、お前が疑うような関係じゃない」
「そういう意味じゃなくて……ふたりを見て、私だけが生きられないって思うと、辛くなっちゃうからさ」

 もしかして、己たちはここで再会しないほうが良かったのではないか。
 そう思ったものの、過去をなかったことにするなど出来ないのは重々承知している。
 それに、こうして再会したのも偶然じゃない。生前結び付きが強かった者同士は、ここで巡り合えるように出来ているのだという。ウクラマトと育ての親のナミーカも、クルルと実の両親も、このリビング・メモリーで再会を果たしている。己がこいつと再会したのも、きっと定められた運命なのだろう。

「エレネッシパ、見つけてね。生まれ変わった私を」

 その言葉は約束か、あるいはこの手で命を終わらようとしている己への呪いなのか。
 どちらでも同じことだ。己が返す言葉は、こいつに希望を与えるものでなければならないのだから。

「……ああ、約束する」


 黄金の光で満たされたウインドパスガーデンに、静寂の時が訪れる。
 他者の命で構築された虚栄の理想郷は、恐ろしいほど呆気なく終わりを迎えてゆく。
 あいつの願いを叶えることなど不可能だと分かっていても、それでも、多少は夢を見たって良いだろう。これからも続く旅路の途中で、生まれ変わったあいつと巡り合える日が来ることを。
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