戦争とは国の支配者が勝手に始める事で、剣を持たぬ民衆には何の罪もない。傷付き、苦しめられるのはいつだって民衆だ。
 だが、『剣を持つ』民衆は罪がないと言い切れるのか。生活の為、家族の為に、兵士として戦う道しか選べなかった者もいれば、合法的に人を殺したくて兵士に志願する者もいる。その区別を付け、罪があるか否かを判断する事は不可能だ。特に、国と国との戦争とは名ばかりで、一方的に侵略された側の国にしてみれば、どちらであろうと自分の国の人間を殺された事に変わりはない。
 殺されたのが、自分の愛する人だとしたら。侵略した側の国の人間を許すなんて、出来る筈もない。



 ガレマール帝国が事実上崩壊し、そして、世界の災厄も去った今。とあるアラミゴ人の女は、イルサバード派遣団の一員として、キャンプ・ブロークングラスで復興活動を行っていた。
 帝国の属州と化したアラミゴで生まれた女は、帝国軍に家族を殺され、復讐のために剣を取った。アラミゴ解放軍の一員としてリセ・ヘクストとともに戦い、そして、長きに渡った帝国の支配は幕を下ろしたのだった。
 時が経ち、このキャンプ・ブロークングラスでも、イルサバード派遣団としてリセたちとともに帝国と戦う――筈だった。

 だが、すべての戦いが終わった今、彼女はかつて己たちアラミゴ人を苦しめた帝国軍と共同生活を送っている。
 アシエン・ファダニエルによる精神汚染で、エオルゼアの人間だけでなく、多くの帝国民も犠牲になった事は、末端の派遣団の人間でも把握していた。まさにその精神汚染の瞬間を、このキャンプでも目の当たりにしたのだから、疑う余地はなかった。
 ゆえに、世界が災厄から救われた今、精神汚染から逃れた、あるいは回復した帝国民も保護対象とし、暁の血盟のアルフィノ、アリゼーを中心に復興活動を行う事となった。

 帝国軍に家族を殺された女にとって、今の状況は易々と受け容れられるわけではなかった。とはいえ、すべてを投げ捨ててアラミゴに帰ることも出来ずにいた。勿論、この地に残ることは強制されているわけではなく、選択権は与えられていた。
 それでも女がこの地に残った理由は、はじめこそ信念があるわけではなかった。アルフィノとアリゼーが積極的に人道支援を行っているなか、役割を放棄してアラミゴに帰ったら、後々引き摺るのではないか。そんな優柔不断な気持ちから、この極寒の地に残る事を選択した。
 だが、結局のところ、末端で戦わされる兵士もまた被害者なのだ。完全に戦争が終結したからこそ、女は少しずつ、無意識にそう思い始めていた。

 いつもと変わらず、女はこの地で偽神獣がいないか見回りを行っていた。天候が良ければ見回りの範囲を広げるなど、滞在期間が長くなるほど臨機応変な行動を起こせるようになっていた。だが、この日ばかりはそれが裏目に出てしまった。
 たまたま足を踏み締めた場所が大きく窪んでいて、雪に覆われていて見ただけでは分からず、女は云わばまんまと落とし穴に嵌ったような状態になり、雪の中に埋もれてしまった。
 とはいえ、自力で這い上がれないほどの窪みではなく、いつもの彼女ならひとりでどうにか出来ていた。だが、最悪な事に足首を捻ってしまい、すぐには脱出出来ない状況に陥っていた。
 他の派遣団の者が見回りに来るか、帰りの遅い己を探しに来てくれれば、なんとかなりそうだが、その前に天候が悪化したら、雪に埋もれて凍死してしまう可能性がある。寧ろ、今この瞬間も少しずつ雪の冷たさが体温を奪っているだけに、悠長にはしていられない――女は最悪の事態を想定してしまい、つい声を上げた。

「誰かー! 助けてー!」

 そう都合良く誰かが通りかかるわけもなく、張り上げた声は雪風に乗って虚空へと消える。凍てつく空気がより一層肌に刺さるような気がして、女は肩を落として少しばかり落ち込んでしまった。人が絶望を感じると、偽神獣に転身してしまうというのは耳が痛くなるほど聞いてはいるものの、こんな理由で転身したら死んでも死にきれない。誰でもいいから助けてくれと女が一縷の望みに懸けた瞬間。

「――大丈夫か!?」

 上の方から男の声が聞こえ、奇跡が起こったと女は心の中で歓喜し顔を上げた。
 だが、相手の顔を見た瞬間、女は顔を強張らせた。
 己を見下ろしている男の額には、真珠のようなものが埋め込まれていた。それはれっきとした器官であり、ガレアン族の身体特徴に違いなかった。
 ガレアン族――ガレマール帝国にしか存在しない種族である。

「今引き上げる。身体は動かせるか?」

 そう言って手を差し伸べたガレアン族の男を、女はただただ呆然と見上げていた。それを男は『拒否』だと察し、一瞬だけ表情を暗くさせたが、すぐに気を取り直して女に言い放った。

「派遣団を呼びに行っている間に、天候が悪くなれば凍死する可能性もある。今だけ、我慢して欲しい」

 その言葉に、女は自分が相手を傷付けるような態度を取っていたのかと気付き、目を逸らしつつ、男の手を取った。
 痛む足首を庇いつつ、なんとか這い上がる事が出来、女は安堵の溜め息を吐いた。

「あんな風に、一見ただの雪道に見えて、実はトラップめいた地形になっている事はよくある。気を付けた方がいい」
「…………」

 男の気遣いに、女は何も言えなかった。尤も、まずは助けてくれた礼を述べるのが礼儀なのだが、どうしても言葉が出て来なかった。
 目の前のガレアン族の男の腰元には、ガンブレードが携えられていた。アラミゴで何度も見た、帝国軍の武器である。彼が身に纏う服も、民間人のそれとは違う。この寒冷地における軍服だと察するのは容易かった。

「……その、本当に大丈夫か?」

 男はどういう意味で言ったのか、女は瞬時に理解出来ず、反射的にこう答えた。

「大丈夫」
「……そうか、ならいい」

 女の素っ気ない態度に、男は少しの間を置いて頷けば、背を向けて帰路を辿り始めた。彼女によく思われていない事くらい分かるからだ。一緒に行動したくないのなら、その意思を尊重するしかない。それが、帝国民が世界から向けられている視線なのだから。話し合いで解決出来る事態はとうに超えており、男とてイルサバード派遣団の全員と上手くやっていけるとは思っていなかった。
 ひとまず今は、帰り道が同じな以上、別行動するわけにはいかないが、はぐれない程度に一定の距離を置けば良い。そう思い、男は慣れた雪道を歩き始め、念の為彼女がついて来ているかどうか振り返った。
 だが、彼女はその場から歩を進めている様子はなかった。
 さすがに心配になり、男は彼女の元へ駆け寄った。いくらなんでも己と行動したくないからといって、その場から一歩も動かないというのは少々様子がおかしい。考えられる一番の理由は、怪我で思うように歩けないという事だ。

「……怪我してるのか?」
「大丈夫」
「じゃあ、歩けるか?」

 お前が歩くまでこの場から動かない、とでも言いたげな男の態度に、女は苦虫を噛み潰したような表情で、ゆっくりと歩を進めた。
 思うように歩けず、明らかに片足を庇っている。

「捻挫か。悪い事は言わない、無理はしない方がいい」

 男はいったん女の手を掴んで制止すれば、手を放して女の前まで回り込んで、背を向けてしゃがみ込んだ。背負うから乗れ、という事だ。

「帝国民にこんな事をされるのは嫌かも知れないが、今だけは我慢して欲しい」
「……別に、そういう訳では……」
「それなら、早くしてくれ。このままだと俺も風邪を引きそうだからな」

 そんな訳がない。嘘だ。女はそう思いつつも、このまま男の言う事を聞かなければ埒が明かないと覚悟を決め、仕方なく男の背中に身を預けた。
 男は女を軽々と背負い、雪道を慣れた足取りで進んでいく。女は、かつて敵であった帝国軍人に助けられた屈辱よりも、己が感情的になってしまった事を恥じていた。どんな立場であれ、相手は何の益もないのに己を助けてくれた事に変わりはない。表面上取り繕って、ありがとうと一言告げる。そんな単純な事がどうして出来ないのか。女は心の中で葛藤していた。



 キャンプ・ブロークングラスに戻った女は、すぐさま処置を受け、暫く大人しくしていればすぐに痛みも治まり歩けるようになるだろうと言われ、ほっと息を吐いた。

「ユルスには感謝しないとな。あいつが助けてくれなかったら、お前は今頃雪に埋もれて死んでたぞ」

 イルサバード派遣団のひとりが、女に向かってそう告げた。彼らが滞在する小屋の外では、雪風が猛威を振るっていた。猛吹雪という現象らしい。アラミゴでは絶対に見られない気候だ。よくこんな地で暮らしているものだと女は思ったが、ガレマール帝国の歴史では、ガレアン族の祖先は他種族から温暖な土地を奪われ、この地に追い遣られたのだという。これはガレマール帝国がでっち上げた嘘ではなく、きっと事実なのだろう。だからといって各国を侵略し、属州として支配して良い理由にはならないが、彼らには彼らなりの理由があったのだ。
 ただ、それが己の家族が殺されていい理由にはならない。
 女は未だに葛藤していた。復興の為に力を貸しておきながら、己がガレアン族に助けられた事が、どうにも受け入れがたい。矛盾にも程がある。
 女が憤っているのは、ガレマール帝国や己を助けたユルスという軍人に対してではない。意思の定まらない自分自身に対してであった。



 それから数日経ち、問題なく歩けるようになった女は、真っ先にユルスの元へ向かった。ユルス・ノルバヌスというかつて軍人だった男は、今は復興の為に動き、時には偽神獣と戦うひとりであった。この地を取り仕切っているルキア・ユニウスが帝国軍人の武器の所有を許可しているだけに、異を唱える事など出来なかった。だが、ルキアとて考えなしに許可しているのではなく、彼らは絶対に裏切らないという確証があるのだろう。
 だとすれば、派遣団として来ているにも関わらず、協力すべき帝国民に対して負の感情を未だに抱き続けている己が間違っているのではないか。そう思い、女はもう一度ユルスに会って自分の気持ちを確かめようとしたのだった。

 女を前にして、ユルスは少しだけ驚いた様子で目を見開いた。

「……その、この前は、助けてくれてありがとう」
「当然の事をしたまでだ。気にしなくていい」

 当然の事。そうはっきりと言い切るユルスに、女は漸く心の整理が付いた。間違っているのは、己なのだと。

「最後にお礼を言えて良かった。ごめんなさい、その場で言えなくて」
「……最後?」
「うん。私、アラミゴに帰る事にする」

 その言葉を聞いた瞬間、ユルスは彼女が己を頑なに拒否していた理由が分かり、目を伏せた。
 ガレアン族にしてみれば、己たちのエオルゼア侵攻は、祖先が奪われた土地を取り戻す聖戦であった。だが、今の時代にその地に住まう人々にしてみれば、帝国の行いは侵略でしかないのだ。とりわけアラミゴとドマは、蓋を開ければ差別や圧政、そして虐殺が行われていたという事実は、後になって分かった事である。

「アルフィノ様やアリゼー様、それに他の皆も立派にやっている。私だけが過去に囚われて、未だにあなたたちに良い感情を抱けずにいる……こんな私が復興を手伝う事自体が間違ってた」

 別に女はユルスに同情して欲しいわけではなかった。もしかしたらこの男も、己たちと同様に家族を喪い、生きる為に剣を取ったのかも知れないからだ。皆それぞれ傷を負い、葛藤を抱えても、それでも自分の中で答えを見つけ、日々を生きている。自分だけが可哀想な人間というわけでは決してない。ならば、過去に囚われているのは、きっと甘えなのだ。女はそう結論付けたが、ユルスから返ってきた言葉は思いも寄らないものであった。

「そんなのは、お前だけじゃない。皆が皆、あの二人のように清廉潔白に生きていけるわけがないだろう」

 あの二人、というのはアルフィノとアリゼーの事だ。驚く女をよそに、ユルスは言葉を続ける。

「良い感情を抱けない、そんなのは当たり前だ。けれど、間違っているなんて思って欲しくない」

 ユルスは決して女を責めるのではなく、淡々と自身の思いを紡いでいた。引き留めるわけではなく、引け目を感じながらこの地を去って欲しくない――ただそれだけであった。

「お前がアラミゴに戻らずここに残り、復興を手伝うと決めた事で、少なからず俺たちは救われている。だから、間違っているなんて言うな」

 真っ直ぐな眼差しでそう言い放つユルスに、女は今まで抱いていた憤りが消えていくような錯覚を感じていた。かつて敵だった相手を受け容れられないのは当たり前だと肯定された事。ただそれだけで、己はここにいても良い、素直にそう思えたのだ。
 かつて敵だった相手と共に行動する事は、決して過去をなかった事にするわけではない。受け容れられないという感情を否定する必要はなく、肯定し、それを以てこの先どのように生きていくか、この地で考えながら暮らして行く。それは自分たちが決める事だ。過去は変えられなくても、未来は、自分たちの手でこれから作っていくのだから。

「まあ、お前がどうしても故郷に帰りたいというのなら、止めはしないが――」
「決めた、やっぱり残る」
「は?」

 女の突然の心変わりに、思わず呆けた声を出してしまったユルスであったが、当の本人は実にすっきりした様子で笑みを浮かべていた。恐らく、彼が初めて見る表情である。

「皆葛藤を抱えながらやっているなら、私も上手くやらなきゃ。ここで復興を投げ出して帰ったら、きっと一生後悔する」

 ユルスはまさか自分の些細な言葉が彼女の心を変えたとは思ってもおらず、怪訝な顔をして首を傾げたが、まあ、彼女が我慢しながらここにいるのではなく、折り合いを付けて上手くやっていくのならそれに越した事はないと、同じように笑みを浮かべた。

「それに、ユルスには借りを作ったし、返さない事には絶対帰れない」
「俺は貸しなんて思ってないが……」
「そっちは良くても、私は嫌なの」

 もしかして厄介な女を助けてしまったのではないかと、ユルスは頬を引き攣らせたが、対する女は、もう距離を置く様子はないらしい。そんなふたりの様子を、イルサバード派遣団や帝国民の者たちは、遠くから暖かく見守っていた。復興は決して不可能ではない――国境を超えたふたりの遣り取りは、先が見えぬ未来を照らす小さな光であった。
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