与太り癖エッセンス



※2020年バレンタインイベストのネタが少しだけあります



 このヴァイガルドにはバレンタインデーなる風習がいつからか存在するようになり、愛する男性にチョコレートをプレゼントする年に一度の催しとなるのだが、王宮に仕えるメイドであるラウラにはまるで縁のない話であった。そもそも恋人へプレゼントをするのに、いちいち日付と贈呈品を決める必要があるのか、それに渡したければいつでも渡せば良いのではないか、と思っていたが、それは単に心から異性を好きになった事がないゆえであった。

 つまり、カスピエルと恋仲になって初めて迎えるバレンタインデーは、ラウラにとって初めて心が躍るイベントと化したのだった。



「シバさま、ソロモンさまも喜んでくださると良いですね」
「ふん、人の心配より自分の心配をする事じゃな」

 シバの女王と共にチョコ制作に励み、お互い形にはなったものの、今頃になってカスピエルは喜ぶどころか迷惑に思うのではないかと不安に感じるラウラであったが、シバの女王とて本気で言っているわけではない。

「女性からのプレゼントを無下にする男とは思わぬがな。まあ、万一の事があればわらわが有り難く貰ってやるから、安心して会いに行くが良い」
「シバさまの分はルネと一緒に別に作っていますよ」

 満面の笑顔で言うシバの女王に、ラウラは気が抜けて安堵の溜息を吐いた。バレンタインデーは本来女性が男性に贈るものであるが、最近は友人同士で交換する新たな価値観が生まれているらしい。バレンタインに興味がなかった頃のラウラも、過去にルネからチョコを贈られて、女性だというのにホワイトデーにお返しをした事があった。自分も一応女だというのに男性のしきたりに倣うのは如何なものかと思い、友チョコなるものはいっそルネと一緒に作るようになったのだった。

「では、カスピエルさんに会いに行って来ますね」
「うむ。楽しんでくるのじゃぞ」

 シバの女王に見送られ、ラッピングした手作りのチョコを携えたラウラは王宮を後にした。
 この後、シバがソロモンにチョコを贈るにあたり、ガブリエルと戦って勝利すれば渡すなどという条件を出すなど、ラウラは知る由もなかったのだった。





「えっ、ラウラの手作りなん?」
「はい! カスピエルさんのお気に召すか分かりませんが……」
「気に入るに決まっとるやろ。ふふっ、有り難うな」

 雪が舞い落ちる王都の街並を歩きながら、ラウラが包装されたチョコを差し出すと、カスピエルは満足げに笑みを浮かべて受け取った。嫌がられずに無事受け取って貰えた事に安堵して、一瞬気が抜けたラウラの頬に、カスピエルの唇が触れる。

「だ、駄目ですよ! 人前でそんな……」
「別にええやん。見られたら困る事でもあるんか? シバの女王も俺たちのこと認めてるんやろ?」
「はい、それはそうですが……」
「向こうもきっと今頃、ソロモンと仲良くやっとるって」
「仲良く……してると良いんですが」

 いつもの如く口喧嘩でもしていないかとラウラは王宮へ思いを馳せたが、その横でカスピエルが包装を開けて中を見ようとしている事に気付き、慌てて止めようと手を伸ばした。

「待ってください! カスピエルさん、ここで開けるんですか!?」
「ええやん。アジトに持って帰ったら、俺が目を離した隙にインキュバスとメフィストに勝手に開けられて食われそうやしな」
「そんな……私の目の前で、恥ずかしいです〜」
「いや、ラウラが作るモンに外れはあらへん。大丈夫やって」

 普段のカスピエルならこんな事はしないのだが、今日はバレンタインデー当日であり、かつ彼にはラウラ以外にも交際関係にある女が複数いる。つまり、今日この日もこの後ラウラ以外の女と会う予定が入っているのだ。出来れば手荷物は減らしたい。ならばいっそこの場で全て処理してしまえば良い、という短絡的ではあるが理に適った行動であった。

「へえ、綺麗やね。宝石みたいやん」
「はい! カスピエルさんに似合う美しい宝石をイメージして作ってみました」
「嬉しい事言ってくれるやん。さすがはラウラやね」

 遠目に見れば本物の宝石と見紛うくらい精密に作られ、一流のパティシエに作らせたのではないかと疑いたくなるほどであったが、カスピエルはラウラが努力家である事を知っていた。王宮のシェフなど周囲の助けや教えは当然あっただろうが、本人なりに試行錯誤して作ったのだろうと窺えた。
 尤も、この先予定が控えているカスピエルにとっては、早くこのチョコを全て食べてしまおうという気の方が先走っていたのだが。

「食べるのが勿体ないところやけど、食べんかったらラウラの努力の結晶が水の泡やしな。折角やし、ひとつだけ頂くわ」
「御口に合うと良いのですが……」

 心配そうに見上げるラウラをよそに、カスピエルは複数あるうちの一つのチョコを口内に放った。口では『ひとつだけ』と言ったが、美味しいからとこの場で一気に全部食べてしまおうという作戦であった。
 しかし、チョコを齧った瞬間、カスピエルは予想しなかった感覚を味わった。

「あの、カスピエルさん、美味しくなかったら無理しなくて良いですので」
「……いや、めっちゃウマい。コレ、中に何入れたん?」
「お酒です」

 そういう事か、とカスピエルはしてやられたと謎の悔しさがこみ上げて来た。見た目の美しさに気を取られていたが、ラウラはしっかりと己の好みを把握していたのだ。酒好きにウイスキーボンボンを贈るのは単純ではあるものの、確実に相手の好みに沿っている。

「味見していなかったので不安でしたが、美味しかったなら良かったです」
「味見してないんかい!」
「私、まだお酒を飲めない年齢ですので」
「チョコにほんの少し入っとるだけやん、子供でも食えるやろ」
「それが……」

 いつもなら子供扱いされるとラウラは怒るのだが、今日はそんな様子が見えない。カスピエルは不思議に思ったが、徐々に意識が朦朧としていく事に気付き、嫌な予感がした。

「メギドのお酒好きの皆様は、ただのヴィータが飲む度数では物足りないと聞き……かなりの度数のものを選ばせて頂きました」
「オイ! 『かなり』ってどんくらいや!」
「ええと、私はどの程度の度数が良いのか全く分からないので、先日フラウロスさんにご教示頂き……」

 よりによってあの男かとカスピエルは呪詛の言葉を吐き掛けたが、それよりも体中が熱く、本当に頭が働かなくなって来ていた。最悪な事にこの時に限ってカスピエルは空腹であり、空きっ腹に高濃度のアルコールがダイレクトに入った事で、日中だというのに完全に『酔っ払い』の状態になってしまったのだった。

「カスピエルさん、顔が赤いですけど大丈夫ですか?」
「気のせいや。それより、今日はずっと一緒に居ような」
「え? この後用事があるから少しの時間だけ、という話では?」
「何わけわからん事言っとるんや。まさかラウラ、この後他の男と会う予定でもあるんか?」
「ないですよ! カスピエルさん、どうしちゃったんですか!? しっかりしてください!」

 カスピエルはラウラが浮気をしていると勝手に決め付けて、拘束するかの如くきつく抱き締めて来て、苦しさに身悶えつつもラウラは顔を上げた。視線の先にいるカスピエルの様子は明らかにおかしい。赤く火照った頬に恍惚の眼差しで己を見つめる、今まで見たことのない表情に、これは完全に酔っ払っていると察した。

「私、そんなに凄いお酒を入れてしまったんですね……カスピエルさん、申し訳ありません。ラウラ、今日は責任をもってカスピエルさんの面倒を見ますね」
「今日だけやなくて、ずっとずっと面倒見てな?」
「あのう、それはプロポーズという意味でしょうか……?」

 どう考えてもカスピエルの本心ではなく、酒に酔っているゆえに言動が滅茶苦茶になっているだけだと分かってはいるものの、それでもラウラは自分を頼ってくれる事が嬉しくて堪らず、最高のバレンタインを過ごしたのだった。尤も、カスピエルはこの後二日酔いに悩まされ、更に数日後には約束を無下にされた女性からこっぴどく振られるという散々なバレンタインになってしまったのだが。

2020/02/16


[back]
- ナノ -