青い春ならいつだって其処に



 ラウラが仕事の一環で王都に繰り出し、一段落して一息吐いた時。聴き慣れた声がラウラの耳に入って来て、慌てて振り返るとそこには己の主であるシバの女王と協力関係を結ぶ同い年の少年、ソロモンが笑顔を向けていた。

「ラウラ!」
「あ、ソロモンさま。お一人ですか?」
「いや、皆と買い出しに来てたんだけど、ラウラを見掛けて走って来たんだ」

 注意深く周囲を見回せば、離れた場所でモラクスやマルコシアス達がこちらに向けて手を振っていた。いつもならソロモンの傍にいるのに、まるで敢えて遠くから様子を窺っているようにも見える。
 つまり、ソロモンは己と二人きりで何か話したいことがあるのだろうとラウラは推察した。考えられる内容としては、カスピエルの事だろう。ラウラとしては別にソロモン以外の皆に聞かれて困ることはないのだが、ソロモンなりの気遣いなのかもしれない、と捉える事にした。

「あのう、何か込み入ったお話でもあるのでしょうか?」
「ああ、ええと……うん。そういえばラウラとゆっくり話した事がなかったなって思ってさ」
「私を話し相手に選んでくださるなんて嬉しいです。ちょうどお仕事も一段落付きましたので、どこかのお店に入ってゆっくり話しましょうか」

 どう切り出せばいいのかとでも言いたげに、頬を掻きながら苦笑いを浮かべるソロモンに、ラウラは強引に誘ってみせた。
 ラウラはソロモンの事をそこまで詳しく知っているわけではないが、シバの女王とのやり取りや、メギド達の話を聞く限り、どうも押しに弱い性格のように思えた。ラウラとて強引に異性を誘うなど普段は一切したことがないが、何と言っても相手は己の愛する男の主である。これは浮気でも気の迷いでもない、れっきとした交流である。後ろめたいことなど何もなく、堂々としていれば良い。

「カスピエルさんに教えて頂いた素敵なお店があるんです。もしかしたらソロモンさまも既に行ったことがあるかもしれませんが……」
「いや、ラウラの行きたいところでいいよ」
「そうですか? それなら遠慮なく。ありがとうございます、ソロモンさま」

 ラウラはそう言うと、ソロモンの手を引いて目的地へと向かって歩を進めた。異性の手を取るなど、昔のラウラでは考えられないことであったが、そもそも今もカスピエル以外の男と過剰な接触をしたいとは思えないので、これもソロモンが良心の塊たる所以であろう。





「この店は初めて来たよ」
「そうなんですか? 良かったです」
「まあ、気に入っているお店なら何度来てもいいと思うけど」
「確かにそうですが……どうせならソロモンさまにとって初めてのところが良いと思いましたので、ほっとしました」

 喫茶店に入り、席に着いて何気ない会話をしつつ、ラウラはソロモンの様子を窺った。メニューを眺めている間も特に変わった様子はなく、店員が注文を取りに来て去った後、本題に入るかと思いきや、

「ラウラはこういうお洒落なお店に詳しいんだな。メギドの皆もそう言ってたよ」

 雑談はまだ続くようで、本題には入らないようだ。用事を済ませた己はともかく、ソロモンも多忙の身だとは思うのだが、とラウラは不思議に思いつつも、粗相のないよう言葉を返す。

「私も以前は詳しくなかったんですよ。カスピエルさんが色々教えてくださるんです」
「へえ、本当カスピエルって、女の子が喜びそうなことをちゃんと分かってるって感じなんだ」
「私はまだお酒が飲めない年齢ですから、こういう選択肢になるのかと。逆にカスピエルさんが楽しめる場所に付き添うことは出来ないので……」

 カスピエルが酒好きなのはラウラも把握しており、酒場に繰り出しては他の女性をナンパしているのだろうと考えると腸が煮えくり返るが、あれこれ考えたところで己の気持ちがすっきりするわけではない。お酒を嗜める年齢になるのをただ待つしかないのであった。

「……あのさ、ラウラ。もしカスピエルの事とか、他にも何か悩んでることがあったら、相談に乗るよ」
「いえ、お気遣いなく。私は大丈夫ですから。それよりも」

 店員がラウラ達の席に再び来て、注文の品である紅茶を出して去った後。
 ラウラはそろそろ頃合いだろうと、自ら話を切り出した。

「ご用件は何でしょうか? 敢えて二人きりになるなど、余程の事情があるかと存じますが」

 そう訊ねた瞬間、ソロモンはひどく驚いた顔をして、その表情は徐々に曇っていった。



「あ、あのう……私、何か失礼なことを言ってしまいましたでしょうか」
「ごめん、用もないのにラウラを付き合わせて」
「え? いえ、私は全く以て構わないのですが、どうして私なのかと不思議に思いまして……」

 己の無神経な発言がソロモンを傷付けてしまったであろう事は、彼の様子から明確なのだが、ラウラとしても意味が分からない状態で謝るのもどうかと思い、一先ず理由を訊ねてみた。用もないのに誘うほど、己とソロモンは密接な関係ではないと認識している。行動には理由があり、それが分からない限りはラウラとしてもなんとも言い難いのである。

「用がないと、ラウラを誘ったら駄目なのか?」
「ええっ、なんだか哲学的な質問ですね……駄目というわけではなく、純粋に疑問なのです。私のようなつまらない女などと……」
「ラウラはつまらなくなんかない! 優しくて、しっかりしてて、それに可愛くて……」

 何気なく言ったラウラの謙遜に、ソロモンは全力で否定してみせた。が、うっかり可愛いなどと言ってしまい、言われた側のラウラではなくソロモンが赤面した。

「えっと、そういう意味じゃなくて! その……」
「ええ、大丈夫です。ソロモンさまは仲間の女に手を出すような倫理観の欠如した方だとは一切思っておりませんから」
「いや、本当にそんなつもりじゃないから!」

 まるで土下座する勢いで、テーブルに突っ伏しそうになるくらい頭を下げて弁解するソロモンに、ラウラはつい笑みを零してしまった。

「私なんかで良ければ、いつでも話し相手になりますよ。ただ、それなら他のメギドの皆さんもご一緒してもよろしかったのではないかと思いますが」

 そもそもメギドの皆が護衛に付いて来ていない時点で、ソロモンが二人きりにさせてくれと言ったであろうことが窺えた。ラウラにとってはやはりどうしても不可解であった。だが、その疑問は続くソロモンの言葉であっさりと解消された。

「……なんていうか、たまには普通のヴィータの子と話したいな、って思ってさ」

 今度はラウラが驚く番であった。ヴィータ同士で話すなどごく当たり前の日常だというのに、おかしなことを言うものだ――最初はそう思ったが、ラウラはその浅はかな考えをすぐに訂正した。
 眼前の少年、ソロモンは幻獣の襲撃で故郷を失い、運命に導かれるように追放メギド達と出逢い、彼らを統べる王となったのだった。自身の意思であることに間違いはないが、そうせざるを得ない状況であったことも事実であろう。
 既に彼に故郷はなく、メギド達と共に暮らすアジトが帰る場所である。だが、『そうなる』前は彼は普通のヴィータとして生きており、本当に帰る場所は確かに存在したのだ。早くに家族を亡くしていると聞いているが、故郷にはただのヴィータである友人たちが間違いなく存在したはずだ。

 異世界から追放されたメギドを統べる王として生きることとなり、日常を捨てなければならなかった彼が日常を求めるなど、おかしいことは何もない。

「……申し訳ありませんでした、ソロモンさま。私、酷いことを言ってしまいました」
「謝らなくていいよ! 俺も最初からそう言えば良かっただけだし……メギドの皆が一緒に来なかったら、不思議に思って当たり前だよ」
「ソロモンさま、優しすぎではないですか? もしここにカスピエルさんがいたら、ソロモンさまを傷付けた罰として、間違いなく別れを切り出されていると思います」
「いやいや、そんな事絶対させないから」

 漸くお互いに自然な笑顔が零れ、ラウラはほっと一息吐いた。事情が見えて来なかったとはいえ、女王に仕えるメイドたるもの、相手に失礼のない言動を心掛けなくてはならない。相手が優しい少年であったから良かったものの、そうでなければ大惨事である。
 そう考えると、己にとってもソロモンは、ある意味肩肘張らずに話せる貴重な存在なのかも知れない。ラウラはそう認識を改めた。勿論、指輪継承者としての敬意は払うが、あまり仰々しくするのも失礼だろう。それに、ソロモンは己に普通に接して欲しいと思っているのだから。

「あ、あまりのんびりしていると紅茶が冷めてしまいますね」
「あっ、すっかり忘れてた」

 何はともあれ、これから良い関係を築けそうだ――ラウラはソロモンと少しだけ距離が近付いたような気がして、飲み慣れている紅茶が、不思議とより一層美味しく感じたのだった。

2019/10/19


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