花嵐と手をつなぐ



※6章2節より少し前




 王宮の仕事の一環で、王都の街に繰り出したラウラは、長いポニーテールを揺らして闊歩する後姿を見つけて、思わず声を掛けた。

「ムルムルさん!」
「あ、ラウラ!」

 ムルムルと呼ばれた少女は振り向いて、ラウラに向かって愛想の良い笑みを浮かべてみせた。ラウラは彼女の傍まで駆け寄れば、軽く一礼した。

「そんな畏まらなくていいわよ。あたし、頭下げられるような立場じゃないし」
「ムルムルさんは王宮とメギドの連絡係を担っていらっしゃいますし、敬意を払って当然です」
「なんかそういう風にされると、距離置かれてるように感じるっていうか……」

 ムルムルは言葉を続けようとしたものの、かぶりを振って諦めるように軽く溜め息を吐いた。

「ううん、いいわ。距離を置かれるのには慣れてる。あたし、どうせぼっちだし」

 はっきりと聞こえる声量ではなかったため、ラウラは彼女の独り言が聞き取れず首を傾げたが、気にせず話を切り出した。

「あのう、ムルムルさん。今、お時間はありますか?」
「え? うん、あるけど」
「では、少しだけお付き合い頂けますか? せいぜい数十分程度ですので」
「別にいいけど……って、ちょっと、どこ行くの!?」

 ムルムルの返答を承諾と捉えたラウラは、ほぼ強引に手を取って歩を進めた。当然、ムルムルにしてみたらいくら暇でも目的地も告げずに連れて行かれては困惑するばかりである。ただ、ラウラは王宮に関わるヴィータであり、己たちの協力者である。いくらなんでもメギドに害を為すことはないし、迷惑を掛けるような子ではないこともムルムルはそれなりに分かっているつもりだ。だから、不思議には思いつつもラウラに付き合ってあげることにしたのだった。





「このミートパイ、すぐに売り切れになるのでなかなか手に入らないんですよ」

 ラウラがムルムルを連れて来た場所は近くの公園であった。二人並んでベンチに腰掛ければ、ラウラはムルムルに買ったばかりのミートパイを一切れ差し出した。

「あたしに……くれるの?」
「はい。一緒に食べましょう。お使いのお仕事が思ったよりも早く終わったので、自分へのご褒美に買ったんです」
「ラウラが自分のために買ったものなのに、あたしが貰っちゃっていいの?」
「はい、その為にムルムルさんにお声掛けしたのですから」
「どうして……?」

 ムルムルは純粋に疑問であった。ラウラに裏があるとは思えないが、何故すぐに売り切れになるようなレアなものを自分なんかに易々と渡すのか。食べ切れなければ持ち帰って後で食べれば良いのに。そう言おうとしたら、ラウラは淡々と質問に答えた。

「一人では食べ切れそうにないのですが、王宮に持って帰ったらカマエルさんが勝手に食べちゃうんですよ」
「へえ、ラウラもハルマには歯が立たないの?」
「当然です」
「怖いものなしだと思ってたから、意外」

 何気なくそう言って、ムルムルはラウラからミートパイを受け取って、「ありがとう、お言葉に甘えて貰うわ」と告げたものの、今度はラウラの様子がおかしいと感じた。いつも喜怒哀楽のなさそうな、何を考えているか分からない表情をしているが、今は視線を落として少し落ち込んでいるように見える。

「ラウラ? あの、あたし変なこと言っちゃった……?」
「あ、いえ、違うんです。怖いものなしどころか、世界は怖いもので溢れていると思うと、自分の無力さに少々落ち込んでしまって」

 そう言って苦笑を浮かべるラウラに、ムルムルは申し訳ない気持ちになった。このヴァイガルドが滅亡の危機に瀕しているのは、云わばメギドラルの内乱に巻き込まれているせいなのだから、ヴィータである彼女が気に病む必要などない筈だ。

「ラウラはヴィータなんだから、落ち込むことなんてないよ。むしろ、巻き込んでしまって……ごめん」
「どうしてムルムルさんが謝られるのですか? メギドラルに追放され、今は私たちヴィータの味方なのですから、本当に頼りにしています。逆に何も手伝えなくて申し訳ないくらいです」
「ラウラこそ謝らないで。あたしたちのことを怖がらないで、こうやって普通に接してくれるのも、なんていうか……嬉しいし」

 ムルムルはラウラが特に打算等もなく、単純に偶然ばったり外で出くわしただけで、友人のように誘ってくれたことが、意外であると共に純粋に嬉しく感じていた。この世のヴィータが皆ラウラのような価値観でいてくれたら、どんなに戦いやすいかと思わずにはいられなかった。

「メギドの皆さんを怖がるだなんて、とんでもないです。私にとってメギドとは、シバさまと共に世界を救う英雄ですから」
「それは褒め過ぎじゃないかな? ……って、ああ、そっか、ラウラにとってはそうだよね」

 そういえば、この子は自分たちの仲間の一人と恋仲であったと思い出し、ムルムルは一人納得した。尤も、相手の飲んだくれた普段の姿を鑑みると、手放しに応援しても良いものかと少々悩んでしまうところはあるが。ムルムルがそんなことを悶々と考えていると、ラウラが口を開いた。

「私にとっては、というより、王宮の者は皆そう思っていますし、何も知らない民衆も、いずれ全てが分かる時が来ます。今はまだ、その時ではないというだけです」
「……そうかな。だといいな」
「はい! ですから、ご自身の事を怖いだなんて仰らないでください。私はメギドの強さを美しいと思っていますから」

 ムルムルはラウラの言葉に、嬉しさのあまり熱い気持ちがこみ上げて来る感覚を覚えたが、いや、この子の言っている『美しい』というのはあくまで彼女の想い人のあいつの事なのだと心の中で言い聞かせた。ラウラはそんなムルムルの胸中など知る由もなく、呑気にミートパイを一口齧って、ほんの少し口元に笑みを浮かべた。

「ムルムルさんも食べてみてください、とっても美味しいですよ」
「うん、いただくわ」
「きっとムルムルさんと一緒だから、美味しく感じるのかもしれません」
「……ラウラ、そういう台詞、好きな人の前以外で言ったらダメだからね」

 どうせいつも独りぼっちだから――ムルムルはそう思っていたが、こうしてラウラと一緒に過ごしていると、たまにはこんな日も悪くないし、この子が安心して暮らせる世界にしよう――そう心に誓うのであった。

2019/05/17


[back]
- ナノ -