すべておまえの召すままに



 ラウラは一着のワンピースを身に纏い、部屋の姿鏡でくるりと一回転して、おかしいところがないか入念に確認した。私服に華やかさなど求める事もなく、王宮のメイドが外に出ても恥ずかしくない質素な服しか所持していなかったラウラが、初めて異性に己を見て欲しいと思って購入した服であった。
 この服を着て初めて異性とデートなるものをした際は、よりによって相手の男が友人たちと共に己をダシに賭け事をしていた事が発覚し、それはもう気分の悪いものであったが、どうしても男の事を嫌いになれなかった。
 もっと深く知れば嫌いになれるかもしれない。嫌いになれないのなら、どうして『そう』なのかという確固たる理由を見つけたい。己の感情を形容することで何らかの答えを見つけたい。そう思っていたものの、男と過ごす時間は砂糖菓子のように甘く、時には刺激的で、別れた後もまた会える日が楽しみで仕方なく、考える事を忘れて甘美な時間に身を委ねてしまっていた。だが、ラウラにとって男と過ごす時間は、間違いなく己の人生を彩る瞬間であった。

「ラウラさん、お似合いですよ」
「ルネ、いつからそこにいたの?」
「ちゃんとノックして入りましたよ〜」

 頬を膨らませるルネに、ラウラは微笑を零した。思い返せば、ルネにはいつも迷惑を掛けてばかりであった。己が悲しめば代わりに怒りを露わにしてくれて、己が惚気話をすれば呆れながらもなんだかんだで耳を傾けてくれて、己が暴走しそうな時は苦言を呈してくれる。ルネという友人と出逢えた事も、己の財産と言っても過言ではない。ラウラは改めて、ルネの存在の有難さを身に染みて感じた。

「……ルネ、いつもありがとう」
「えっ!? 何がですか?」
「いつも私と仲良くしてくれて」
「そんなの、当たり前ですよ〜。それにラウラさんと一緒にいると楽しいですし、感謝される事ではないですよ〜」
「私、いつもルネを振り回してるのに……」
「ふふっ、それも楽しんでますから」

 ルネは己に対して世辞や建前を言う子ではない。本当に迷惑が掛かっていないなら良いのだが、とラウラは安堵した。
 一緒にいて楽しいから――己がカスピエルに抱いている想いも、大それた理由などなくとも、そういう単純なもので良いのかも知れない。

「カスピエルさんと仲直り出来るといいですね」
「ええと、一応それはしてる、と思う」
「でも浮かない顔をしてるじゃないですか。詳しい事情は知らなくても、ラウラさんの機嫌は分かりますから」

 長い付き合いゆえに心境などお見通しのルネに、ラウラは苦笑しつつ素直に打ち明ける事にした。

「私なんかが、カスピエルさんを好きになる資格なんてないって思っていたんだけど……」
「ええええ!? ラウラさんがそんな事言うなんて、一体何があったんですか!?」
「色々あったけど……もう一度ちゃんと向き合ってみるつもり」
「事情は分かりませんが、きっと大丈夫です!」

 初めの頃はあれだけ己の交際に苦言を呈していたルネが、今やこうして己の背中を押してくれるなど、それだけ今の己が落ち込んでいるように見えるのか、それとも――

「好きな人が出来て、色んな事を一生懸命頑張るラウラさんはとっても輝いてます。カスピエルさんも、分かっていらっしゃると思いますよ」

 自分が周りにどう見えているかなど今まで考えた事もなかったが、ルネがそう言うのなら、少しくらい自信を持っても良いだろう。せめて今日ぐらいは。ラウラは漸く、心からの笑みを浮かべた。

「ありがとう、ルネ。ちゃんと仲直りしてくるね」





 待ち合わせの時間より三十分も早く、ラウラは落ち合う場所に着いてしまった。以前アムドゥスキアスが、想い人が帰って来るまで待っている時間も良いものだと言っていたのをふと思い出して、のんびりと待つことにした。ここのところ忙しなく過ごしていただけに、たまには何もしない時間というのも大事なのかもしれない。そう思って人々の群れをなんとなく眺めていたラウラの目に、見間違えるはずがない、愛する男の姿が飛び込んで来た。

 まだ待ち合わせの時間まで随分とあるというのに、どうしているのか。ラウラは頭が真っ白になった。
 遠くからでも目を引く、美しいマゼンタの長髪を靡かせてまっすぐとこちらへ向かって来る姿は、間違いなくカスピエルであった。

「カスピエルさん!」

 ラウラは最早考える余裕もなく、無意識にカスピエルの傍へ向かった。メイドとして過ごす時や伝令として王都を駆け回る時に履いている靴ではなく、慣れないヒールで来てしまった為、思うように全速力で走れない。案の定うっかり足を挫いてしまい、バランスを崩し掛けたラウラの身体を、タイミング良くカスピエルが駆け寄って抱きかかえた。

「そんなに焦らんでも、俺はどこにも行かへんよ」
「うう……申し訳ありません、早速カスピエルさんにご迷惑を――ひゃっ!?」

 ラウラが謝罪の言葉を述べながらカスピエルの顔を見るよりも先に、ラウラの身体は宙に浮いていた。カスピエルがラウラの背中と太腿に手を回し、軽々と抱き上げてみせたのだ。

「あ、あのう、カスピエルさん。さすがに公衆の面前で横抱きは……その……」
「ラウラはお姫様抱っこされるの好きやない?」
「いえ、好きではないわけでは……ただ、ついこの間もされましたし……」
「は?」

 まさかのラウラの告白に、カスピエルは思わずこのまま地面に落としてやろうかと思ったが、辛うじて理性が働いて素っ頓狂な声を上げるだけに留まった。

「ラウラ、俺が命懸けで戦ってる間に浮気してたんか?」
「ひえっ!? ち、違いますよ! カマエルさまに無理矢理お姫様抱っこされただけです!」
「カマエル? ああ、ハルマの……どっちや? あの下睫毛野郎か?」
「ええと、お父さんみたいな方です」
「筋肉ダルマの方か。ならええわ」

 カスピエルの中にある善し悪しの基準がラウラにはよく分からなかったが、一先ず誤解は解けたようでほっと息を撫で下ろした。

「あの、そろそろ降ろして頂きたいのですが……」
「足挫いとるやろ。俺がこのまま連れてったるから」
「いえ、全然痛くないので大丈夫です」

 周囲の注目を浴びて恥ずかしいという気持ちよりも、カスピエルに迷惑を掛けたくない一心で、ラウラは正直にそう述べたところ、カスピエルはどこか呆れがちに笑ってみせた。

「ほんまにラウラは甘えるのが下手やね」
「……可愛げがないと思いますか?」
「ううん、そんな事あらへんよ。俺はありのままのラウラが好きやから」

 決して本心で言っているわけではないと分かっているはずなのに、カスピエルの言葉にラウラの胸は高鳴った。カスピエルの手はゆっくりと己の太腿から離れ、ラウラは漸く再び地面に足を付けた。顔を上げると、そこには微笑を浮かべてこちらの様子を窺っているカスピエルの姿がすぐそばにあった。

「今日はラウラがお目当ての場所に俺を連れてってくれるって話やけど……」
「はい! 私がエスコートしますね」
「普通逆やで。女の子が男に言う台詞やないやろ」
「あ、そうなんですね。すみません……」
「俺の役目取らんといてな? ラウラは道案内だけしてくれればええよ」

 カスピエルは決して笑みを絶やすことなく、ラウラの髪を優しく撫でた後、手を取って歩を進めた。ラウラの足を気遣ってか、いつもよりも緩慢な足取りである。
 決してひけらかすわけではない、ちょっとした瞬間にカスピエルの優しさを感じ取る度に、ラウラはやっぱりこの人を嫌いになるなんて出来ない、と思ってしまうのだった。





 ラウラの目的地は、幾多もの花々が咲き乱れる庭園であった。まあ女はこういうのが好きやな、とまるで興味のないカスピエルは心の中でぼやいたものの、それを表に出す事はしなかった。

「申し訳ありません、私の好みで連れて来てしまって」
「ううん、謝らんといて。俺もこういうとこ嫌いやないし」

 手を繋いで庭園内をゆっくりと歩きつつ、ラウラは心の内を少しずつ解き放っていこうと、不器用に言葉を紡いだ。

「こう花が多いと、カスピエルさんの香りがかき消されそうですね」
「ふうん、俺の香りなんて意識してたん?」
「いつも香水のかおりがしていますから」
「ちゃんと気付いてたんやね。苦手やったら止めるけど……」
「いえ、好きです。王宮ではこんな芳しい香りがする事などありませんから」

 もう十分すぎるほど近い距離にいるというのに、カスピエルはラウラの言葉に気を良くしたのか、今度は手を解いてラウラを抱き寄せた。突然の事に頭が真っ白になって身動きが取れないラウラに、カスピエルは耳元で囁いてみせた。

「こうすれば花にかき消される事なんてないやろ?」
「うう……」

 てっきりそのまま甘んじると思っていたものの、ラウラが胸元を軽く押してきて少し距離が空き、カスピエルは意外そうに目を見開いた。

「ですが、これだとカスピエルさんと話す事が出来ません」
「無理に話そうとしなくてもええよ?」
「駄目です、今話したいんです」

 強引なラウラの様子に、カスピエルは軽く溜め息を吐いた。ラウラの言いたい事などこれまでの経緯で分かっているからだ。メギドラルからこのヴァイガルドに侵入した敵との戦いに役立てなかった事を引け目に感じており、それを謝りたいのだろう、と。

「楽しい話ならええけど、ひたすら謝るのはナシやで」
「……善処します」
「皆の力になれなかった事が悔しいんやろ? そもそも落ち込む事自体が間違っとるんやけどな。本来、メギドラルの争いにヴィータやハルマを干渉させたらあかんのや。フォカロルかてアジトが襲撃されとるって知ってたら、絶対にラウラを巻き込まんかったって言い切れるで」
「ですが……」
「ムルムルの事も気にしとるんよな。せやけど、騎士団はただのヴィータやない。幻獣ぐらいは倒せるよう訓練されとる。ラウラもそうなりたいなら、メイドを辞めて騎士団に入隊せなあかん。生半可な気持ちで出来る事やない」

 カスピエルにとってはラウラのような小娘の考える事など全てお見通しで、優しく説き伏せるぐらい容易いものであった。そもそもラウラの謝罪が聞きたいわけでもなく、聞いたところで何の得にもならない。尤も、ラウラとてこんな話をする為に己を誘ったわけではない事も分かっていた。

「カスピエルさんはなんでもお見通しなのですね。これでは私、謝る隙がありません」
「せやな。って事でこの話はもう終わりや」
「はい! それでは、カスピエルさんの求める『楽しい話』を……提供できるかは分かりませんが……」
「無理に話さなくてもええよ? 俺はラウラと一緒に居るだけで楽しいし」

 カスピエルはそう言い切って、ラウラの髪を撫でてやった。まるで子供扱いされているようで、ラウラは少しだけ不満に思ったが、それ以上にカスピエルの指が己に触れる度に嬉しくて、何をされても全てを受け容れてしまいそうな位であった。
 カスピエルの甘い言葉は本心なのか、美辞麗句に過ぎないのか。作られたように見える笑みからはどちらが正しいか探る事は出来ないが、ラウラにとってそれがどちらであろうと構わなかった。何故なら――

「私、カスピエルさんの事が好きです」

 頬を紅潮させながら真っ直ぐな瞳でそう告げるラウラに、カスピエルは表情ひとつ変えなかった。そんな分かり切った事を宣言する必要などないと思いつつも、ラウラなりに言いたい事があるのだろう、とカスピエルはその先の言葉を待った。

「此度の戦いで、ご自身の命を犠牲にしてでも仲間を守ろうとしたあなたの本質を知って、私はカスピエルさんに相応しくない……そう思いました。自分が役に立たなかったから、だけではないのです。正直私は、カスピエルさんの事を甘く見ていました」
「ほう?」

 さすがにそんな事を宣う女は初めてであり、カスピエルは腹立たしいと思うよりも、この女が如何にして考えを改めたのか、それを知りたいと思う気持ちの方が勝った。ハルマの影響を強く受けているラウラが、メギド全体をハルマより下だと思っているのは仕方のない話であり、ろくでもない生活をしている己を軽く見るのも筋が通るからだ。

「私、自分が恥ずかしいと思ったんです。カスピエルさんは私を口説いたその口で、同じ言葉をありとあらゆる女性に囁いて……そもそも初めてのデートでご友人と私をダシに賭け事をしたり、その後もお酒の飲み過ぎでデートに遅刻はするし、もうどうしようもない人だったというのに」
「いや、ほんま……すまんな……」
「どうしてこんなにどうしようもない人が好きなのかと悩んだ時期もありました。容姿が美しければ中身はどうでもいいのかと、自分自身の気持ちが分からなくなりました。ですが、カスピエルさんには良いところもたくさんあります」

 まさか自分の身を犠牲にして仲間を助けた事で見直したわけではないだろうな、とカスピエルは内心身構えた。ソロモンに召喚されてからというもの、仲間たちに影響されて己が丸くなりつつあるという自覚はあるが、聖人君子のような振る舞いを普段から求められるような事になるようであれば、ラウラとの関係は終わらせてしまった方がいい。そう考えた矢先、ラウラの言葉はカスピエルの想像とは異なるものであった。

「どなたとも分け隔てなく仲良く出来るところ、常に情報収集を惜しまないところ、いざとなれば仲間の為に戦えるところ……それらすべては、主であるソロモンさまの為」
「ソロモン?」
「ええ。私と同じです。私もシバさまには恩義があり、損得勘定ではなくただ自分がそうしたいから、ずっとお仕えしたいと思っています。カスピエルさんも、そうではないですか?」

 まさかそう来るとは思わず、カスピエルはついこくりと頷いてしまった。彼女の出自を詳しく知っているわけではなく、己と同一視するつもりもないが、何となく相通じるものがあるのは否定できなかった。

「メギドの皆様、意外にもカスピエルさんの事を悪く言わないんですよ。それはきっと、皆様カスピエルさんの良いところを、私以上に知っているからなのだと思います」
「別にそういうわけやないと思うで。気の合うヤツ同士でつるむだけで、あんま互いに干渉せんしな」
「そういう適切な距離感を誰に対しても取れる事も、カスピエルさんの良いところだと思います」
「ものは言いようやな」

 女を褒めるのは慣れ切った事だが、逆にこうして己に言及される事はあまりなく、カスピエルは何とも形容し難い、むず痒い感覚を覚えた。容姿を持て囃される事はあるが、中身に踏み込んでくる女はそういない。あちこちで女を引っ掛けても長続きしないのだから、中身に問題があるゆえであるとはっきり分かっているだけに、ここまで褒められるとこの女は正気かという気すらしてきたカスピエルであった。

「という事で、私、色々と遠回りしましたけれど……これからも変わらずお付き合い頂けると嬉しいです」
「別に俺ははなからそのつもりやけど……」
「愛する男を甘く見るような女でも良いのですか? ほんとうの姿を見て怯えてしまうような女でも……」
「その考えは改めたんやろ? まあ、後者はどうにもならんかも知れんけど」

 そういえば、己のメギド体を見てラウラが怯えてしまい、それから暫く距離を取っていた事もあったと思い出し、カスピエルは苦笑を浮かべた。ラウラはただのヴィータなのだから、彼女から見た己は異世界から来た侵略者も同然である。彼女の言う『ほんとうの姿』など、そもそも知る必要のない事なのだ。

「善処……いえ、受け容れてみせます!」
「無理せんでええよ。このヴァイガルドで俺達があんな姿で戦わなあかん事自体、ジブンらにとっては大迷惑な事やしな」
「いえ、ムルムルさんの戦いを見て、考えを改めたんです。無力な私達を守る為に戦う姿が、どれほど美しいものか……今思い出しても涙が出そうです」
「それはムルムルのメギド体が、ジブンにとって怖くなかったからちゃうん?」
「そうでしょうか? そうは思いませんが……」

 あっけらかんと言うラウラに、彼女も痛い思いをして精神的に少し成長したのだとカスピエルは捉えた。ただのヴィータとは違い、あっさりと己たちを受け容れるソロモンは、指輪継承者である王たる所以か本人の善良な性格によるものか、価値観が普通のヴィータとは異なるのだろうと思っていた。それは紛れもない事実である。

 だが、この女も己たちメギドと交流するようになった事で、本人が知らず知らずのうちに多様性を認めるようになったのであれば、この世界も捨てたものではない。さすがにそれは大袈裟かと思いつつも、カスピエルはラウラの心境の変化に悪い気はしなかった。

「カスピエルさん、今笑いました?」
「ん? ずっと笑ってるつもりやけど」
「ちょっと表情が柔らかくなった気がしたんです」
「気のせいちゃう?」

 まさかそんな筈がないとカスピエルは自分に言い聞かせ、とりあえずラウラの話もこれで終わりだろうと判断し、話題を変えた。

「ところで、どうしてここに連れて来たん? ラウラがそこまで花が好きやって知らんかったわ」
「それは……」

 カスピエルの問い掛けにラウラは口籠って、視線を逸らした。ラウラの視線の先を追ったカスピエルの双眸に、咲き誇る薔薇の花が映る。

「薔薇、好きなんやね」
「はい……なんだかカスピエルさんみたいだと思いまして」
「ん?」

 ラウラはまた変な事を口走ってしまったとでも言いたげに、困惑の表情でカスピエルへ視線を戻した後、恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。その様子に、前にもこんな事があったような気がする、とカスピエルは過去の記憶を辿り、少しの間を置いて口を開いた。

「ラウラ、前は俺のことケーキだと思っとったのに、今は薔薇に見えるんやね」
「ひえっ、前の事は忘れてください!!」
「ちゃんと覚えとるよ。ケーキみたいな甘い男やなくなったって事やろか」

 ラウラは別にそういう意味で言ったわけではなく、そもそもカスピエルもふざけて言っているだけなのだが、とりあえず彼の質問に答えようと、ラウラは恥ずかしさのあまりその場に倒れ込みたい気持ちを抑えつつ、恐る恐る顔を上げた。

「薔薇はこんなにも美しいのに棘があって、下手に触ると怪我をしてしまいます」
「褒めてるのか貶してるのか分からんけど、まあ、的確やな」
「棘を取られた薔薇も綺麗ですが、私は、ありのままの姿が一番美しいと思うんです」

 一体何を言い出すのかと最初は思ったが、ラウラの言いたい事を何となく察して、その認識が正しいかはともかく、カスピエルは満足げに頷いてみせた。

「それって、どうしようもない俺を愛してくれるって事やろか」

 そう囁いたカスピエルの表情は間違いなく穏やかで、ラウラの胸は一気に高鳴った。

「愛してくれる、だなんて……逆に私が一方的にカスピエルさんをお慕いしているだけですよ」
「お互いに好きやないと恋愛は成り立たんやろ?」

 カスピエルはきっぱりとそう言って、少し腰を屈めてラウラに目線を合わせれば、小さな唇に優しく口付けをした。周囲に人がいないか気になるのか、目を見開いてすぐに後ずさったラウラだったが、カスピエルも負けじと顔を近付ける。

「俺の事、愛してへんの?」
「あっ、愛してますっ! ですが、一応ここ、王都の所有地なので……」
「は?」

 慌てふためくラウラの様子に、何かがおかしいと気付いたカスピエルは、まさかと思いながらラウラから顔を離して周囲を見回した。
 案の定、近くではないが肉眼で捉えられる距離に警備担当と思われる騎士団の男がこちらを見ていた。「変な事をしようものなら女王に言いつける」と言われているような気がして、カスピエルは頬を引き攣らせながら再びラウラに顔を向けた。

「ラウラ、ここも王宮が監視しとるって初めから分かっとったん?」
「いえ、私もつい先程気付きました……」
「ほんまジブン、変なところで抜けとるな!?」
「ご、ごめんなさい〜!!」

 カスピエルはラウラの馬鹿さ加減に呆れつつも、そういう抜けたところがあるからあっさり落とす事が出来たのだから、これはこれで良いかと思い直す事にした。これまでの彼女の物言いから、嘘を吐けない性格なのは分かっており、己やソロモンに義理を欠く事はないと思っているが、俗に言う恋人らしい事を堂々と出来るようになるのは一体いつになるのだろうと溜息が零れた。別に本気でラウラを愛しているわけではないのだから、無理にそういう事をしなくても良いのだが。

「カスピエルさん、許してください……なんでもしますから……」
「なんでも? ほんまに?」
「はい、勿論です!」
「ん〜、何がええかな……」

 とはいえ、憎たらしいハルマの庇護下にいながら、本来は敵対関係にあるメギドである己を愛し、歩み寄ろうとしてくれているラウラの事を、カスピエルは自分が思っていた以上に気に入っていた。己の夢の中に勝手に入られた時の事は今でも腹立たしく思うが、あの時と今のラウラは違う。惨めだった昔の己に同情心から手を差し伸べるのではなく、『出来る事をする』という行動理念で助けようとするだろう。
 自分の行動によってラウラがより従順になったという事実は、カスピエルの征服欲を満たすには充分過ぎたのだ。

「ほな、ラウラがもう少し大人になったらキス以上の事して欲しいなあ」
「あ、あの、それだと私が何かするというより、される側ではないでしょうか……」
「ふふっ、色々教えたるから」

 一体何をどう教えるのかと、ラウラはこれ以上ない程顔を赤くして、カスピエルの胸元に顔を埋めた。

「『もう少し大人』になるまでお預けなんて、意地悪です」
「棘がある方がええんやろ?」
「そ、そういう意味では……うう……」

 カスピエルにまた髪を撫でられて、もう少しとは一体いつになるのかとラウラは不満に思ったが、安堵の気持ちの方が大きかった。カスピエルがいざとなれば仲間の為に命を懸けて戦う意志を持っていると、シバの女王やハルマの面々にも伝わったお陰で、己達の間に障壁はなくなったも同然であった。
 至らない己を受け容れてくれただけでなく、心からの笑みを見せてくれたカスピエルを愛し続けようと、ラウラは固く心に誓った。喜劇にも似た二人の歪な関係は、これからも続いていくのだから。

2019/12/21


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